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フランク王国の信仰
フランク王国の信仰が 自然神→ほんの少しアリウス派→アタナシウス派 と移り変わったと授業で習いました。 なぜ「ほんの少しアリウス」なんですか?もっとがっつりアリウスではないのはどうしてですか?
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- takeko85
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回答No.1
その改宗順は少しおかしいような気がしますね。 少なくともフランク人の支配者層は 旧来の信仰→ローマの多神教→アタナシウス派キリスト教だったとおもいます。 まずアリウス派にならなかったのはガリアに普及し始めた頃はまだガリア(フランス)にはまだ入っていなかったこと。というのもフランク人は300年ごろにゲルマン系、イラン系、ケルト系、ラテン系の諸部族・諸集団の離散集合によって形成されていた一種の連合政権です。そのころはローマ帝国のガリア国境の外側にいました。 354年にローマ帝国のガリア国境が崩壊し、フランク人もガリアに侵入しましたがすぐにローマと同盟し傭兵として他のゲルマン人を防ぐようになります。これから1世紀ローマと同盟したフランク人はローマ文化が浸透しローマの多神教になります。 496年フランク王国のクローヴィスは妻の感化により3000人の家臣と共にローマの多神教からアタナシウス派に改宗し、フランク人のキリスト教(カトリック)への大量改宗が起こる。 アリウス派はゲルマン人でもヴァンダル王国、東ゴート王国、西ゴート王国、ランゴバルド王国、クリミアゴート族でひろまりました。