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神道(しんとう)はなぜとうと読むのか

大した問題でもないのですが、漢字変換で神道が 「しんどう」ではなく「しんとう」であることに気付きました。 他の読みは武道にしても茶道にしてもほとんど「どう」ですが、 「とう」と読ませることに意味があるのでしょうか。

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  • kine-ore
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回答No.3

#2です。 >シントウについては特別な何かがある気がします。 古来からの和語「かむながらのみち(神随道/惟神道)」を、神道(シンタウ)と漢語読みにしたのは鎌倉期の伊勢神道が嚆矢とされています。いわゆる社家神道であり、典拠とされる神道五部書もまた同時期の偽書と見做されます。その経緯からしても「道」を当時最新の中国の知見を踏まえた老荘の「タウ」思想を踏まえた度会神主の意図があったと思われます。 一方、「天のみち」については、史記に「天道是か非か」と現れている通り古来からの由緒を持つが、その漢音「テンタウ」が連濁して「テンダウ」とも読まれるのであって、このような清濁混在系は単なる呉音「テンドウ」との共存ではなく連濁形と見るべきです。「まつりごとのみち」の「政道(セイタウ)」や「みちなし」の「無道(ブタウ)」なども、平安期からの漢音読みとしていわば「古来の表現」なので、現代語しては大きな辞書に載っているレベルの"死語"といえます。 その意味では、「道」を「どう」と読むものが等し並み呉音だけではないことになります。 辞書によっては漢音「タウ(とう)」に対し、「どう」と発音する音でも、実は呉音「ドウ(どう)」は別に慣用音として「ダウ(どう)」があると明記しています。「武道(ブダウ)」「茶道(チャダウ)」などの多くの表現もまた、「タウ」の連濁形として受けとることも強ち意外なことではないとも思えます。

uzume_z
質問者

お礼

どうもご回答有り難うございます。 神道の呼び名の始まりがそんなところにあったのですね。 古来からの国語の変遷は詳しくは知らないのですが、 つまらなさそうに見えることでも奥が深いのですね。

その他の回答 (2)

  • kine-ore
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回答No.2

「道」の漢音読みには次のような例があります。 天道(テントウ/テンドウ) 政道(セイトウ/セイドウ) 聖道(セイトウ/セイドウ) 公道(コウトウ/コウドウ) 無道(ブトウ・ムトウ/フドウ) 左道(サトウ/サドウ)

uzume_z
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 変換ソフトで反応があったのは天道のみでした。 ドウの方が一般的というか、圧倒的ですよね。 シントウについては特別な何かがある気がします。

回答No.1

「道」の音読みのうち、「どう」は呉音で「とう」は漢音です。 あまり漢字の歴史には詳しくないのですが、呉音は仏教の伝来(593年頃・飛鳥時代)とともに入ってきた音で、仏教用語では主に呉音が使われています。 それに対して漢音の方は、遣唐使やそれに付随して中国に渡った留学生などによって奈良時代から平安初期伝わったと言われています。 そしてその漢音の方が「正音」として、朝廷(役所)や仏教以外の学者(それこそ神道関係の学者など)が漢音使っていたようです。 神道は朝廷関連ですから、そのあたりの「正統的」読み方ということで漢音の「とう」が採用されているのではないかと思います。 ではなぜ武道などの他の「道」でも「どう」と読むのか、ということについては詳しくないのでわかりません。 ただ、「茶道」は仏教(禅)と深く関わっていますし、武道にしても仏教的精神性の方が神道的精神性にくらべて関わりが深そうなイメージがありますから、そういう所から呉音読みになっているのかもしれません。 もっと詳しい方からの回答が、たぶんあると思います。

uzume_z
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 呉音、漢音から来ていたのですか。 仏教用語と対をなし、朝廷関連だからトウになる。 ちょっと奥が深そうですね。

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