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回答というより思ったことをご参考に: 学べる教訓っていえべ当然、#1さんの獅子身中の虫、油断大敵でしょうね。 しかし質問者は更に読み解きも求めていませんか?民俗学てきな、あるいは神話学での。 帝・堯、陶唐氏は帝・嚳の子なり。という漢文を中学ですから60年前にならいました。でもご紹介のURLでは少し系譜的に異なるようですね。 天帝の命で、地上に赴いた羿。彼は聖なる帝王の堯にも、奥さんにも試練に遭わされ、且つ、命令した天帝にも不興をかいます。 羿は、自己の責任や理由を意識できない、あるいはそういう理由や能力がないのに地上に生まれて来ている人間達の代表者みたいな気がしてまいります。 裏切りと試練の連続の地上の人生という歩み。 それでもなんとか必死にいきていきますね。そして逝った後には善なりとされ、追善をされ、地上界に不可欠な鬼という執着としがらみをコントロールする神という立場を送られます。 人間はどういう存在なのか、どう生きる運命なのか。人生の執着やしがらみという鬼に対してどうするのか。 ということをお話しているような気がします。 マハーバーラタも人間界の存在として、神の子王子のアルジュナは弓の名手の武人です。これは人生や存在の目指すべき的を射る機能なんですね。 そんなことを考えながら、なお三本の鳥居が各地にあるのを思い出します。わたしの近所にもありますが。 更に、神武東征の八咫烏なども考えていました。三本の何とかはたくさん世界の神話にあるんですね。 一、三、六、十二、そして二十四は天界の運行に関連し、二、五、十というのは人体や地上界に関連するので、天帝は十の太陽も一の太陽に戻して、天から地上を照射する意志で羿を派遣したのでしょう。 羿は天と地を媒介するforceの一側面ではないですか。 これが天に戻る事は性質上好ましくない。あくまでも境界境壁としておかなければならない。 地上との境、つまりその隔ての存在でしょう。これを越える事は天に戻ることですね。 羿自身はせいぜいが人間の執着としがらみを支配する神、力としてしか存在ができない。人間の宿命でしょうね。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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羿を中心に自分、人間そして羿に関った存在者達について、いろいろに宛てていくと人生と創造界、そして人間というものについて、無限に近い慰めと認識が、認識と慰めがえられます。 ここの文章ではとても尽きることなく、場としても形式としても表現することが適当ではありませんね。 むしろnyanksさんがブログを開いてくれて、訪問させていただくと少しずつ話し合えるかと存じ、楽しみにしております。
お礼
ありがとうございます。 ブログ(http://blog.goo.ne.jp/nyan555nyan)はありますが、あまりやる予定はありません... コメントをしていただければ、返信をすると思います、 そちらの方にお願いします。 どうぞよろしくお願いします。
- chomicat
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獅子身中の虫、油断大敵。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。油断大敵ですか。。。 とても参考になりました。 ありがとうございます。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 お礼が遅くなってすみません。 確かにそのようにもとらえることが出来ますね。 参考にします。 どうもありがとうございました。