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疑問文と平叙文の語順について
小学生みたいな質問なんですが、なぜ英語は疑問文に変えるときに語順を逆にするんですか? 文化的背景みたいなものとか、彼らの言語の感覚みたいなものをしりたいのですが、 例えば日本語だと 平叙文 昨日横浜にいった 疑問文 昨日横浜にいった? ですよね 主語がなくても話している本人の事を言ってるのがわかりますね これを山田さんという人に対して二人で会話をしていたら 平叙文 山田さんは昨日横浜にいった 疑問文 山田さんは昨日横浜にいった? 語尾の音をあげればいいですよね わざわざ いった山田さん横浜に? としなくてもいいですよね。 長くなってしまいましたが、なぜ語順を入れ替えるのかが知りたいです
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お礼、ありがとうございます。 ご興味を示されれば、追加でもっと申し上げることもありましたのにね。 一つだけ言えることは、英語圏(印欧語圏)では、最初から言いいたいことの論旨がハッキリする必要があったということ。ちなみにお考えのような、 >いった山田さん横浜に? ではなくて、「Did(したのか?) 山田さんは横浜に行く?」です。Didを最初に出す。それで「この人は何か聞きたいのだな」と聞き手に分かる。もし、話の途中で遮られても、話し手が聞きたいことがあったことだけは分かる。否定文で、否定語をできるだけ最初のほうに持ってくるのも同様です。 尋ねたいのか、そうでなくて主張したいにしても否定か肯定かはできるだけ、先に示すということです。相手とのやり取りでは、相手の行ったことがベースになりますから、途中で遮っても、言いたい「方向」を見せる。 これはね、異なる習慣の人間が接するとき、さらには混在するときには大変大事なことです。相手が自分と異なる考えで、話し合っても、言いたいことが言い終わらないことがたくさんあったのです。日本でもそういうことはあります。 つまり、敵対する人間、さらに民族が多い時、有効な手段です。まず、意思の方向を見せて、それを説明する。相手のことを考えてでもあり、話途中でも話し手の立場を理解したうえで聞ける。「こういう方向で、そういう話をしてるんだな」と。話しながらでも、考えながら聞けるわけです。相手だけではない、周囲の聞き手にも影響します、自分の考えの方向通りに。 でも、日本では「いかに悪党だろうと、言い分は最後まで聞いてやれ」ということが大事とされていました。呑気かもしれませんが、話は最後まで聞くのものだったのです。 このときに、うまい話し方はあります。相手の言うことに従って、自分の言いたいことを言ってみるということを考えてみましょう。分かりやすいよう、相手は自分より偉いとします。 日本語では自分は文の最後のほうまで否定か疑問か示しません。相手の話を受け取って答えるなら、話は相手にとっては途中まで自分通りに進みます。話し手は、自分の結論はあるのだろうけど、相手を見ながら結論を出すことができます。否定で相手の気分を害するか、疑問で様子を見るか、あるいは自分の考えを押しとどめて賛成するか。 私個人としては、そういう日本語は好きですよ。英会話においてすら、そういうことを取り入れています。しかし、言語は集団の意思疎通のために働かねばなりません。言語には、その言語を使う集団の歴史的、文化的背景があるということなんですね。 ちなみに、そういうこともあってか、どの単語に強勢を置くかで正反対になることが、英語ではよくあります。 I thought tt would snow today. これを言ったとして「今日、今現在」雪が降っているかいないか、正反対の意味になるんですね。英語でイントネーションが大事、ということが日本語よりはるかに強く言われますけど、そういうことです。
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語順を変えず、You went to Yokohama yesterday? と聞くことはよくあります。さらに、Went Yokohama yesterday? などと、目の前の相手で主語を略すのもあります。現在形の疑問文ですと、Do youの二つを略すこともよく行われます。 それから、日本語で正しく疑問を表すなら、「山田さんは昨日横浜にいきましたか?」あるいは「~いったのか?」ですね。 なぜ日本語では文の最後まで行かないと、平叙文か疑問文か分からないようにしてあるのですか? 否定文も英語はできるだけ最初のほうで分かるようになっていますが、日本語は最後まで行かないと分からないのは、なぜでしょう?そこを答えるべきかもしれませんよ? まあ、ぶっちゃけた話をすれば、日本語と英語は生まれも育ちも全く違う言語だから、ほとんど何もかも違うんだ、ということなんですけど。
お礼
ありがとうございます
お礼
会話をしないで文字だけで勉強していると文化的背景が見えにくくなるのかもしれないですね