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北海道開拓と被差別部落民

北海道十勝帯広界隈を開拓したのは官主導ではなくて富山県や岐阜県や静岡県松崎町の民間人だったみたいですが、 この中に被差別部落民はどれくらいいたかわかりますか? 場所も時代も違いますが、江戸時代に田沼意次さまが蝦夷地開拓を計画した際に被差別部落民を主に開拓地に派遣させようと計画したみたいなので、 おそらく北海道や満州の開拓民も本州内で差別されたりくいつめた被差別部落民がかなり多かったんじゃないかと思いますが。 事実現在日本国内に居住している在日朝鮮人は大半強制連行とは全く関係無い移民難民の子孫ですけど、こいつらの大半は先祖をたどれば朝鮮半島内で差別されていた白丁みたいな連中でしょう?

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回答No.1

静岡の者ですが、静岡の松崎町で非差別部落民って聞いた事が無い。 江戸時代の伊豆、駿府、遠州は徳川ゆかりの者が多く江戸時代でも、 大きな町に多少いる程度。

その他の回答 (2)

回答No.3

部落とかは関係ないです。 被差別部落民 は戦後、左翼団体が歴史捏造して作った概念だし・・・。 本来の被差別民(非人)とは犯罪者と病人です。(ハンセン病患者も犯罪者と同じ扱い、 あるいはそれ以上・・・。) 北海道開拓は刑務所の歴史との関連が深い。 江戸時代の犯罪者は死罪以外、鞭で叩かれようが基本的に体に刺青を入れられて身柄を解放していました。 明治時代になって、犯罪者を収監する『集治監(刑務所の前身)』が建てられ『 囚人労働 』が始まる。 北海道に『 集治監 』を多く配置して、犯罪者の『 囚人労働 』=北海道開拓にあたらせていた。 『 囚人労働 』には未開地開拓の他、政府直轄の事業や炭鉱などで労働させていた事例が多く 『 犯罪者 』=『 被差別民 』とすれば、北海道開拓にあたった被差別民はかなり多いです。 官主導であっても民間主導であっても、劣悪な労働環境とされる開拓や炭鉱に従事した 末端の労働者は、犯罪者の他、おそらく貧困から脱出したい貧困層や在日朝鮮人が 多く志願したのではないかと思われます。 ちなみに山本作兵衛さんの炭鉱記録画がユネスコの「世界記憶遺産」に認定されましたが 『うわぁ~』って感じてした。

  • furoshiki
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回答No.2

前半はわかりませんが、後半では、日東壮遊歌などを参考にすると、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9D%B1%E5%A3%AE%E9%81%8A%E6%AD%8C (朝鮮では家舎に制限があり、最高権力者の大君とその嫡子でも60間まで)    基本は、ほとんどの時代、中国の属国扱いであり、属国のなかでも、最下位のようです。 琉球王朝が中国に使節を送ったとき、琉球王朝のきらびかな服装で面会したときに、その様を見学した朝鮮の使節が嘆いた文書が残っていて、彼らには、丸い白服以外の服を着ることはゆるされていなかったようです。   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4701359.html

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