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フラクタル的な微細化の限界
もし裏側とか周辺環境とかが存在していませんでしたら、其の場合には、認識対象の表側の存在を峻別させられないのではあるまいか、と私には思われますが、其の事情は裏側との関係だけに限られていないでしょう。 つまり、たとえ素粒子よりも小さな認識手段が見付かったとしましても、内部の時空間が存在していない場合には、対象の表面への認識が叶えられ得ないのではないでしょうか?
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(1) 素粒子の特質 入門書を読めば書いてあるから、ご質問者も既にご存知のことと思うが、素粒子は内部構造がない。内部構造を有するなら、その構造に沿って分割する。内部構造を持たなくなるまで分割した先が、素粒子である。 なお、素粒子といえば、私は大学1年のとき物理基礎というような科目で習ったのが最後で、ろくに勉強してません……。 (2) 物理的実在 ご質問者の疑問は確かにごもっともな疑問である。素粒子はずいぶん奇妙な存在だ。しかし、素粒子は物理的実在なのである。その特質などは、度重なる観測によって確かめられている。 物理的実在といえば、例えば「場」(field)もそれである。物理学にとって、「素粒子」や「場」は仮想や方便ではなく、実在するものである。 物理学は素朴実在論におもねらない。常識的に考えれば存在しえない様態であっても、実験の結果確認されれば、それを実在とする。また、観念論にも引き回されない。ハイゼンベルクの『部分と全体』を例に挙げると、新カント主義の哲学者との論争が出てくる。哲学者は、空間や時間を先験的なものとしたが、ハイゼンベルクらはそれに反論するのだった。 (3) 古典物理学と現代物理学の違い 相対性理論以降、例えば太陽の周りの空間は、歪んだ重力場として認識されている。この空間は、経験に先立つもの(人間が認識をなすための前提)ではない。重力場は、観測にかかる物理的実在である。 どうもご質問者は、空間を、人が観測をなすための所与の前提と捉えているのではないだろうか。認識に先立って与えられていなければならないと、思い込んでいるのではないだろうか。しかし、それは現代物理学の考え方ではない。 相対論と量子論ではまた風合いに違いもあるだろう。例えば、極微の粒子の存在様態は「確率の雲」とされている。それだけでも驚きなのに、それを観測者が観測した途端、「収束」するというのだった。これが益体もない作り話ではなく、実証的な理論というのだった。とにかく、いろいろ奇妙な考え方を受け入れなければならないことを、私は十代の終りに悟った。 しかも大学だから、単に「お話」として聞いているだけでは済まず、具体的に計算する方程式も覚えることになっていた。今では全部忘れてしまった。
お礼
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6882788.html)へ関連の質問をスピンオフさせて頂きましたので、其処でも御教授を賜れますと幸いです。
補足
凄く分かりやすい説明を提供して下さり、 誠に有り難う御座います。 仰る通りに、「先験的な時空間の存在不可能性」と「粒子の構造」との関係を、私は見落としていました。