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産業革命前の中国について。
産業革命前の中国は、どのような様子だったのでしょうか? ヨーロッパにどんなものを輸出していたのでしょうか? なるべく詳しく宜しくお願いします!
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- isa-98
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西洋では白磁に適する土が無かった為に中国の白磁は高級品でした。 マイセンには牛の骨が混ざっているんだそうです。 http://www.geocities.jp/utak49/bone.htm 中国の主要品目は お茶、白磁、絹製品でした。 日本は 銀銅、ショウノウ、硫黄、刀剣類が主です。 清は中華思想を持っていましたので、貿易では無く、冊封体制(朝貢貿易)でした。 もちろん、三角貿易でオランダ、日本、清国はいくらでも貿易可能です。 豊臣秀吉は、冊封は許すが、(属国となるのは許すが)朝貢(貿易)は認めず。 に激怒して二度目の征伐を行いました。 その為明は国力を消耗し滅び清が起きます。 江戸幕府は正式な国交が回復しない中、民間レベルで清と貿易を行います。(冊封体制でない) (室町幕府の勘合貿易は朝貢貿易でした。) こう言った状態はアヘン戦争以降も続きます。(三角貿易) ベトナムが仏領となっても続き、日清戦争で朝鮮の独立(冊封でない)を認めてようやく終わります。 産業革命後の三角貿易では、 清から英国へお茶が。 英国から産業革命で大量に生産された綿布がインドへ。 インドから銀が英国(清への支払い)へ流れました。 しかし、工業が発展していたインドの工業力は安い英国製品に押されて壊滅。 第一次産業国へ失墜します。 国力の象徴の銀では無く、アヘンで支払いが賄われるようになります。
- eroero1919
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古代から中世にかけての中国は、ウルトラスーパーデラックス超大国でした。 ヨーロッパルネサンスの三大発明といわれるのが、活版印刷、火薬、羅針盤ですが、これらは全て中国で発明されたものです。なんてことはない、中国のこれらの発明品がイスラムを経てヨーロッパに伝わり勝手に「自分たちが発明した」といっているに過ぎないのです。 特に中国からヨーロッパにもたらされたもので圧倒的な差があったものとしては紙と絹と陶器があげられるんじゃないかなと思います。陶器はそのあまりのクオリティの高さにヨーロッパ人は圧倒されました。ヨーロッパにもマイセンなどの有名な陶器がありますが、これらは基本的に「中国製品に追いつけ、追い越せ」で作られたものと考えていいと思います。 また絹に至っては「どうやって作るのか想像もつかなかった」のです。まさか虫の繭を使うとはね。 あとは律令国家システムとか、科挙みたいな人材システムとか、まあ社会制度も優れていた時代が長かったですよ。日本(大和朝廷)は基本的に法律から国家制度から都市計画に至るまですべて中国を真似しました。朝鮮国家など、中国周辺の国家は全てそうだったといってもいいでしょう。 中国が明らかにヨーロッパに後れを取りだしたのは清以降ですかねえ。まあ、誇り高い中国人からすれば清は漢民族王朝ではないのであれは王朝が悪い、となるのでしょうけどね。
- shepherd_100
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>産業革命前の中国は、どのような様子だったのでしょうか? 皇帝がいて巨大な官僚機構があって広大な領土を統治していました。 皇帝の姓はしばしば変わりました。 政治機構は今の中国とあまり変わらないですね・・・皇帝が共産党になっただけです。 ちなみに領土という言葉を使いましたが、昔の中国では領土という概念は無いです。 地上の全ては皇帝によって統治されるが、辺境に住んでいる野蛮な輩が皇帝の偉さを知らず、その無知ゆえに自分達で勝手に政治を行っていると考えていました。 ・・・・この辺の中華思想も今もあんまり変わってないようです。 産業革命前は文明・テクノロジーで世界の先進地帯でした。 >ヨーロッパにどんなものを輸出していたのでしょうか? ・陶磁器 ボーンチャイナ(ウエッジウッドやスポード)は中国の磁器を真似して作られました。 今でも英語で「china」は磁器を意味します。(cが大文字だと中国を意味します) ・お茶 インドのアッサム地方でイギリス人により初めてお茶が栽培されたのは19世紀になってからです。 それまでは中国からの輸入に頼っていました。 中国から大量にお茶を輸入していたイギリスは対中貿易赤字に悩み、それを解消するためアヘン(麻薬)を中国に売りつけます。 アヘンの流通を阻止しようとした中国(清朝)とイギリスとの間でアヘン戦争が起こります。