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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

みんなの回答

  • yuri21
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回答No.108

80年代生まれの首都圏育ちです。 学生のときに教育を受けたかどうかは忘れてしまったのですが、入社教育で軽くふれられました。 その際に新入社員50人中2/3は言葉すら知りませんでした。 教育がいいのか悪いのかは私も判断がつきませんが、私たちの世代だと身近でそんな話はめったに出ないので、知らないと差別もしないと言うのは当たっているのかもしれませんね。 ちなみに本当かどうか分かりませんが、江戸初期に勝利した徳川側が敗者・豊臣側の一部を見せしめで住まわせた地域が始まりだと聞いたようなことがあります。 もしそうだとすると、差別される側だった人も昔は特権階級だったわけで…などと考えると身分や差別って一体なんだろうと考えます。

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  • 2237
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.107

No105さんのように 同和教育以前に 差別解消の第1歩は 行政や同和関係の団体が自ら同和地区を公表しないことです 関西の大都市O市へ行ってごらん スローガンの看板 張り紙 施設などですぐわかります しかし 部落地名総監 企業購入したらだめ買う必要ないのに

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回答No.106

初めまして。 僕は必要だと思います。 やっぱり差別を“しない”ように、そういう知識を入れてるんであって、そこからは、おのおのの人間性の問題になってくるんで、難しいとこなんですが、少なくとも僕は良かったと思ってます。 小学校の道徳の時間からずぅっと叩き込まれてきたんですが、別にそういうの聞いて、どうしろって訳じゃなくって、「人を分けて考えたらアカンねんなぁ」と、心に留めておく程度でも、これから先、役に立っていきます。 やはり、その中学生の「知らなければ良かった」発言って、その問題に向かい合ってない、というか、僕から見れば逃げてるだけです。

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  • 63ma
  • ベストアンサー率20% (265/1321)
回答No.105

 人権教育は、ある程度必要かもしれません。しかし、ご質問の「部落差別教育」については、難しいところがあります。  人権意識の教育には必要かもしれませんが、反面では寝た子を起こしてしまう事にもなりかねないからです。つまり、知らなければそれで済んでいたのにです。  いずれにしろ、人間はこの世に生まれ出でた時より、平等で誰も差別をする権限も資格も無いという事です。  そして、他人の痛みと悲しみを思いやる心を育てる教育が、最も必要かと思います。

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  • tryouts
  • ベストアンサー率31% (126/404)
回答No.104

同和問題の教育は必要ない、もしくはそれ自体を止めるべきと考えます。 関東に生まれ育ち、関西の某市に引っ越した際に、差別を禁止するための同和地域対策MAPと言う、地域がわかるものを頂いたことがあります。 これを発行しているのは、市の同和対策室です。 実際に行政・教育が行っている同和対策とは、同和地域を解消することではなく、常に毅然と線引きするものに他ならないのです。 言い換えると、歴史に埋没させること無く、同和問題を解消させないことが目的であると言えます。 日本の転覆を企む南北の在日とは異なり、同和地区であろうがなかろうが日本国民には変わりません。 塾の生徒には、日本人同士で差別してどうする?と言って置けばいいのではないでしょうか。

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noname#16469
noname#16469
回答No.103

私は,必要だと思います。 教育関係で仕事をしていますが,子どもたちは親や周りの大人の偏見がなければ,まっすぐに考えてくれます。そして,仕事現場でいるときは,私も,自分の事を気にせずいられることもあります。 私は,いわゆる,被差別部落に住んでいます。 ただ,何も知らない友だち同士や,一般の人と話をすると差別は,全然なくなっていないと感じます。 私は30代半ばの年齢なのですが,最近,一人で寂しいので結婚をしたいと考えています。 差別はなくなったとはいえ,結婚は別物みたいです。 やはり,自分のことや親戚のこととなると,普段差別はしない人でも,地区の人は絶対いや。と言われます。結婚相談所でも,地区の人でも良いという人は少ないし,あまり選べないと,いわれました。 私は,現代社会は,だんだん,部落差別を学ぶことが少なくなって,逆に差別が残ったままになっていると思います。 本質をしっかり,学んで欲しいと思います。 まだまだ,同和教育は,必要です。

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回答No.102

過度な教育は不要と思います。 差別はいけないことだ、という一般論で十分ではないでしょうか。 部落差別の度合いは、教育熱心な地域の人のほうが強くはありませんか? 私は東日本で育ち、あまり部落差別のことを教わってきませんでした。 部落差別がいまだ存在する、ということも、去年知りました。 けれど、インターネット上に限ったことなのかもしれませんが、私よりはるかに多くの時間、同和教育を受けているはずの地域の人たちが、恐ろしいほど差別的な発言をしているのをよく見ます。 そして私はほとんど同和教育を受けていないにもかかわらず、彼らの差別的な発言を、不快に感じます。 差別はいけない。 これは常識として染み付いていることであり、人は教育されなくても「差別」そのものを軽蔑するものなのです。 特に部落差別問題については、教育を受けている地域の人に限って「利権問題」を口にするのではありませんか? 教育を受けていない、無知な人のほうが「差別するなんてひどい!」と言うはずです。 そして一番嫌なことですが、東日本の住民たちの多くが知らないだろう、東日本の部落地区を、離れた場所に住んでいる彼らのほうが、熟知しているのです。 おそらくその地区は、かつて部落地区だったとしても、今はその歴史が消えかかっている場所でしょう。(なにしろ近隣住人が「知らない」のですから。知らなければ差別しません) 消えかかった差別の火を再燃させる行為です。 あまりにも差別の根が深すぎて教育するしかない地域は仕方がありません。 けれど、現在、差別のない地域であれば、過度な教育は逆効果をもたらすと思います。 あえて同和教育なしでも、現代日本の教育ならば、差別を憎む人間は育ちます。

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  • nyanhuu
  • ベストアンサー率33% (77/228)
回答No.101

私は、その言われている部落地域に住んでいます。 私も含め子供達も部落差別の勉強をしています。 ご質問を読んでとても不安になったので投稿させていただきました。 塾で教えている中学生が、 >「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」と言いました。 この中の 『ついそんな目で見てしまう』です。 ついそんな目で…ってどんな目なんでしょうか? 学校はいったいどんな教え方をしたのでしょうか? 正確できちんとした事を教えていたなら、ついそんな目で…なんて思わないはずです。 そのための「部落差別教育」「人権教育」なのですから。 教える側にも問題があるのですから部落差別についての問題も消えない(正されない)のだと思いました。 まだ、こんな教育の仕方をしている学校があるのですね。 投稿が3年程前なので、改善されている事を望みます。

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回答No.100

私は必要だと思います。 私が学校で習った頃には、とうにそんなものはなくなり、歴史の一事実にすぎないと思っていました。部落の出身だという友人がいたとしても、「へえ」ですませたことでしょう。大抵の人は、そうだと思います。 しかし現在でも、「あいつは部落出身だ」とそれだけで蔑む人や、結婚の段階になって調べ、親戚中から反対されることもあるそうです。 なぜ部落ができたのか、どうして差別されたのか。そしてそれが正しいことと思うか。 そういったことを考えるべきなのだと私は思います。 無知は罪とも言います。知らなければ、確かに差別することはないでしょう。しかし、将来知らないそのことについて、信頼できる人から「差別するものだ」と言われて、そういうものだと思い込んでしまったら。 そのことのほうが、私は恐ろしいと思います。

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回答No.99

私は必要ないと思います。高校で同和問題について取り扱い、講演者から話を聞いたりしましたが、いまいち実感が沸かない。自分の身近に部落地域があるなんて全く思っていませんでした。確かに一部では残っているけれど、もうほとんどの人は全く気にしてない。だから、そんな話をされても興味をもてないという感じです。私もそう感じました。だから、いちいち多くの時間を割いてまでやることはないと思います。塾の講師なら、やる気のない生徒に勉強を教えてもむなしいと感じますよね?そんなところです。

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