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部落差別について
こんにちは。 人権教育の授業を受けている大学1年生です。 ちょっと気になったことがあったんで、よければ教えてください。 部落差別はどうして西日本、特に近畿地域に多いんでしょうか。 東日本の人々は、あまり気にしてないようですが、 近畿の人は、部落に敏感な気がします。 いつから、部落が作られ、なぜ近畿地域に多いんでしょう。 どなたかお返事ください。 お願いします。
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eriko-erikoさん、こんばんは。 私も近畿地方在住です。 近代国家となった現在にも残っている「部落差別」の体制は、江戸時代に徳川幕府が作った悪政に端を発します。 徳川幕府は一般庶民が「怒涛を組んで力をつける」事を極端に恐れきらいました。 幕府は全国的に部落を定め、一般庶民の中でも差別をしいたげて「士農工商」よりもある意味もっときつい隔離制作をしたのです。 そして、その後その制度が守られているのか監視を続けていたのですが、自分の目の届きやすい関東地方や、徳川御三家のある東海地方当たりは目が届くのですが近畿地方(和歌山にも御三家はありましたが)から以西は、遠くて管理できかねるのでなおの事「それ」を厳しくしたのです。 私の家内は名古屋生まれですが、そんな差別は「本で読んだ事しか無い」と申しておりました。 *中国地方や九州、四国にも多いですし、今でも根強く残っていますよ。 これとよく似た制度で、幕府は宗教(特に仏教にそれが強い)も分離させています。 浄土真宗がたくさんの派に分かれたり、日蓮宗にわざと圧力をかけいくつかに分派するもめ事の基礎も作って焚きつけていた事もあります。 そして、ある地域には神社をたくさん造らせ寺を少なくし、又ある地域にはその逆をさせていたりもしています。 幕府はとにかく大きな集団を細かく分けさせ、大勢での力を持つ事を押さえたのですね。 そんな細かい事まで制度かしたからこそ、江戸時代は400年も続いたのだと思います。
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- masahumi-1
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京都市の部落問題(あえて差別とは書きません)を取材し続けているジャーナリストのサイトです。ご参考までに。同和差別がなくなったら、一番困るのが被差別部落のかただったりして。(それほど「利権」が絡んでいるヨという意味ネ)
- 参考URL:
- http://almarid.tripod.co.jp/
お礼
ありがとうございます。 参考にしてみますね(^-^)
- nagatos
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shige_gegeさん。 近畿、大阪には出所者が多いという統計を見たことがあります。これを指摘するのは差別でしょうか。マナーの悪さ、少年犯罪の多発。---暴力団、エセ同和が活発であることが想像できます。 それと伝統的に「人権意識の高い」左翼、共産党などが強い地域としても知られています。 エセ同和 + 左翼。---「近畿の人は、部落に敏感」な理由。わかりましたか?
お礼
人柄というか、地域柄というか、 そんなのがたくさん重なって、問題がいろいろおきているんですね。 何度もご意見ありがとうございました。
- shige_gege
- ベストアンサー率11% (26/218)
「エセ同和」について書き漏らしましたが、部落差別が根絶してないから、利用する人間が出てくるという事例じゃないですか?勘違いですね。
- shige_gege
- ベストアンサー率11% (26/218)
nagatosさんは、質問されてる方の目的から離れた単なる「アラシ」になろうとしてますよ? 「部落いじめ」なんて言葉は存在しません。 実態を知らず喚くだけなら2チャンネルですれば良いじゃないですか。 質問者のために誠意ある回答をするのがこのサイトでしょう?
- nagatos
- ベストアンサー率20% (23/112)
「マイノリティー」を主張できる人間は弱者で、マイノリティーを主張できない人間は弱者ではない、といった単純な話を今時、信じる人間はいない。 アメリカ兵に暴行されると政治的に利用されて大騒ぎになり、件数的に圧倒的に多い「日本人による暴行」はサヨク弁護士が犯罪者の人権を守り、刑の軽減のために活動する。---こんな矛盾は誰でも知っている。 学校では「部落いじめ」など存在しないのに、「人権」教育が行われる一方、普通の人間によるイジメに人権教師がどのように対処したのだろうか? 90年代中頃からいじめられた側からの裁判が始まり、文部省などが学校の責任追及のがれのため(?)に教師に対して厳しい姿勢が取られるまでは、教師も「いじめられる方が悪い」なんて堂々と言っていたのです。 学校内での暴力、暴言、恐喝、窃盗などのあらゆる人権侵害が「人権問題」に非常に敏感な教師によって保護される一方、なぜかそんな教師に限って、わざわざ沖縄まで行ってアメリカ兵によるたった一件の事件を糾弾するというおかしな現象を我々は見てきた。 ほんの些細な理由、やくざの因縁めいた理由でいじめられ続けた子供たちは、一般社会より「自由と人権」が非常に重んじられる、「人権を重視する教師」が多い学校ほど泣き寝入り。 「自分は被害者」で「他人はのうのうと生きている」という、おかしな幻想を信奉しているような苦労知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃん教師がやっていた「人権教育」など今時、誰も相手はしません。 普通の人間は苦労しているのです。 パート・タイム労働者は生活保護より低賃金の生活に耐えているのです。
- nagatos
- ベストアンサー率20% (23/112)
たぶん、世の中の流れとか、活動家の暗部とか何も知らずに「自分は弱者の見方、いい人」、他の人は「意識の低い人。差別する人。悪い人」という子供じみた単純な構図を信じているのですね。 私以前の投稿でもう十分に解放運動の問題点は指摘されていたのであえて言うこともないと思っていたのですが、、、若い人が馬鹿な話に騙されない様に乏しい記憶を振り絞ってみましょう。 60年代前半ぐらいまで、同和、左翼組合活動は過激で、文化大革命なみの「つるし上げ」が当たり前だったようです。創価学会でさえ、「大勢で押しかけ信者にするまで帰らない」という洗脳的折伏が有名でした。そういう時代だったのです。 「弱者」のはずが数にものを言わせて自らの意志を押しつける残酷な(文革を知っていますか?)暴力集団、脅迫集団だったようです。 組合につるし上げられて経営者が自殺するなんて話はいつものことだったのです。同和も恐れられていました。差別を理由に押しかけてつるし上げ、ありとあらゆることを要求する。ということでしょう。 私が小学高学年の70年前後でさえ、「差別は昔のこと」「昔は、差別されていた」ということなのに30年経ってもまだ、同じことをやっているとは驚きです。 70年代後半の唯一の記憶は「同和地区の学校などは豪華」だという話です。 あとはいわゆる「エセ同和」、詳しくは警察署で。 暴力団・総会屋対策の講習などで企業と「組織」の癒着を断ち切るよう指導しています。 昔のような一時金では恐喝になるので正業に近い形で産業界に浸透しているはずです。ネットにも暴力団がらみのものが多いでしょうが、一般人にはフロント企業かどうかはわからないでしょうね。 知らずにフロント企業、フロント組織で働いている人もいるかも。 宗教を根本的に否定している共産主義、暴力革命を信奉しているクリスチャンもいるぐらいですから。
- shige_gege
- ベストアンサー率11% (26/218)
別に、意見を闘わせる掲示板ではないのでeriko-erikoさんの質問に沿ってレスしたいのですが、#10の方の報告された事例のような「差別を助長させかねない人権教育」というのは、本来の「部落差別」問題と一般的な「差別」とを混同して教えようとすること、また、教える側にも「差別」と「部落差別」の問題の考え方の認識の仕方においての誤りがあるが故です。 他人事としか思ってないウチは、一般論でまとめて論じてしまうのでしょうね...。 こういう書籍に一度でも目を通して自分達の事として考えるようにならないと、絶対に無くならないと思います。
- nagatos
- ベストアンサー率20% (23/112)
No.8 の方へ。 >>自分は、臨時任用で教員をした時に他人事にしてはいけないという意識をもったので、哀しく思います。>> 「権力者が差別を創り出した」という一般人の幻想を指摘したつもりですが。また、上層階級、貴族、金持ちに対する憧れが貧乏人を下に見るという差別意識のもとである事も。 「差別」そのものは特別なものではなく、ひとりひとりの内に存在しているのです。若い人はおやじ、おばんを差別し、ちょっとした服装や成績の差を「全然違う存在」のように指摘したりします。 私は大阪生まれ大阪育ち(43年)ですが同和のことについてはほとんど何も知らないので。差別したこともないし、差別を見たこともない。 ちなみに「韓国、朝鮮人差別」についても同じです。 ひどい差別が行われていて「みんなで改善しなければならない。」というのは一部の政治的意図を持った人の主張です。私にとっては「他人事」というより、ソ連が崩壊し、中国の現実を無視しているような愚かな人たちの相手にする意味もないバカげた話です。 #9について 「かはい保育士」>> 「加配」ではないでしょうか。 >>合格、採用者のうち一定割合の人数は、必ず同和地区民が含まれるように保証せよ>> アメリカのものまねですかねぇ。レース(人種)・カード、マイノリティー・カードというやつですね。
お礼
お返事ありがとうございます と言いたいのですが 私の質問とだいぶずれてきています。(・-・;) でも、nagatosさんの意見を聞いて考えたりするのは いいことだし、タメにんると思っているのでお返事しますね。 どうしても 人間ですので「差別」から逃れることはできないと思います。 無意識の内に相手を差別する事もあるでしょう。 それでも、差別は悪いことだと思っているから なくそうとするんでしょうね。 あなたはきっと頭がいいのでしょうね。 私には少し、わかりません。 アメリカのマイノリティーカードさえ、わかりません。 勉強しますね。
- mdld2001
- ベストアンサー率38% (16/42)
私は一時期関西にも住んだことがあります。 そのときを振り返って感じるのは、近畿(なかんずく関西、もっといえば大阪府下)での部落差別問題が、他の地方と比べて、公然かつ政治的要素と化しているということです。 例えば、ある市町を訪れますと「同和推進モデル地区」と大書きされた看板がいくつもあり、いかにもここは被差別部落でしたといわんばかりです。 そこには「解放会館」などと看板をつけた立派な公民館施設があったり、高級団地も顔負けの立派な公営住宅が建ち並び、近隣の他の学区とは比べものにならない新しくて立派な設備を持つ幼稚園や小中学校、公園などが建っていて、それらには例外なく「XX年度同和対策事業」「解放推進事業」などという銘板が光り輝いています。どうみても、部落であったことを明示したいという意図を感じます。 また、同和地区住民が、同和推進地区で事業をやる場合には地方税が減免になったり、公共の調達などで他の業者よりも優遇される決まりがあったりするそうです。また、家畜処理場の新築など、同和地区に限って許可が下る(事実上の競合業者参入規制)ような業種もあるようです。 また、その付近で発行されている解放運動の資料を見たのですが、就学や就職の差別解消を訴える中で、「結果の保証を求める」という文言がありました。 意味が判らなかったので、細かい文字をよく読むと、以前の解放運動は「同和地区の人も、そうでない人と同じように採用試験を受験させ、差別のない基準で選考せよ」との主張だったそうですが、最近ではエスカレートして、「合格、採用者のうち一定割合の人数は、必ず同和地区民が含まれるように保証せよ」というようになっているそうです。 つまり、成績主義であるべき採用選考を、公平に採点、評価されるというだけでは飽きたらず、成績に関係なく一定割合を必ず合格させよ、というように変化しており、驚くべきことに全国レベルの同和運動でも、このような主張をする傾向にあるようです。 以上、あくまで外部から見た印象ではありますが、関西地区での同和運動は、すでにある種の「逆差別」の様相を呈している感があります。これは他地方では感じなかったことです。 確かに、長い歴史の中で被差別部落の問題は、国民が背負った重い十字架といえるかも知れません。そしてその回復策や解放策には全知が尽くされなければならないでしょう。 しかし、仮に誤解であるにせよ、被差別部落であったという事実を利用して、他より、より有利な条件、優遇された環境を求めていると思われる印象も確かにあります。 当事者の方にとってみれば「長年のツケを返してもらっているんだ。賠償みたいなものだ」ということかも知れませんが、近畿地区の様子を見ている限り、本当の意味での部落解放、同和とは何かを見直してみるべき時期に来ているのではないかと思います。 そもそも、最近の小中学生は、部落差別や同和などはほとんど知りません。 知らない人間にわざわざ部落差別を教えた結果、子供達が前述したような「同和推進」などの看板をみて、「このへんが部落や」などと言い、その付近の同級生や住民を特別視するようになってしまうのを何度も見ました。一考が必要なのではないかと思います。
お礼
お返事ありがとうございました。 参考になることがたくさん書かれてあって勉強になりました。 差別をなくそう!としてる人と、差別されているということを 利用する人。どうでもいい人。と、一口に部落といっても 様々な人がいるということですね。 mdld2001さんのいうように、部落問題は簡単には解決しそうに ないと思います。 同和を知らない人間にわざわざ教えるのも変なことです。 さほど気にしてない人間に差別をするなと注意するのも変なことです。 部落だといえば、援助金がもらえたり、など 差別を利用しようとする人がいるのは 残念ですけど、人間なのでそのような気持ちをもつ人がいることは 仕方ありません。 下でも述べましたが、 同和問題を解決するには、まだまだ政策が甘いようですね。 もっともっと国全体で強化していかなかれば 人権問題はならないでしょうね。 ご意見ありがとうございました。
- eternity-mai
- ベストアンサー率29% (8/27)
答えの主旨がだいぶ逸れると思いますが・・・。 うちの近くにもそう呼ばれる地域があります。 小さな頃、それを知らなくてそこに自転車で遊びに行った事があるんです。 夕食の時、親にそこに自転車で探検に行ったよ~^^と話すといっちゃダメって注意された事がありました。 いま、地元の保育園に就職していますが、その地域から通園してくる子ももちろん居ます。 その為かどうかはわかりませんが、障害児に為の「かはい保育士」とは別に、その地域の子の為の「かはい保育士」というのが存在します。 その存在が必要かどうかは何も知らないので何も言えません。 ちなみに、そこの地域の事で伝わっているエピソードが・・・。 その地域の道路を1台の車が通っていました。 その車が1台の自転車の横を通過した時に当たってもいないのに、その自転車は横転しました。 車に乗ってた人がその自転車に駆け寄ると、「痛い!痛い!」と言ってたそうです。 車に乗ってた人が「おじさん、おじさん、ワシじゃ。」と言うと、 「なんだ、お前か。」 と言って自転車に乗って笑顔で手を振りながら帰ったそうです。 その2人はご近所さんだったんだそうです。
お礼
お返事ありがとうございます。 私も、似たような経験はあります。 家族で車で部落地域を通る時に、ここにだけはお嫁にいっちゃだめ よと言われました。なんで?と答えると、怖いから と言ってました。その時は意味がよくわからなかったんですが いま、思うと、差別を受けてきた人たちが恨みを持っていて 怖いから、ということなのかなとわかりました。
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お礼
長々とお返事ありがとうございます。 私も少し本を読み勉強してみましたが 部落の歴史について語っている書物は多いのですが 近畿地方になぜ多いのかということはなかなか書いてなくて 苦労してます(^-^;) 少し近畿について書かれている部分に、 gokurakuyamaさんと同じようなことが書いてありました。 部落だけに限らず、差別は昔々からあって その名残として残っているのが いま人権問題となっている「部落」と呼ばれる人たちなんですね。 差別についてさかのぼれば、弥生時代まで振り返らなければ ならないようです。 回答ありがとうございました。 参考になりました(^-^)