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学校で被差別部落問題教育するのって関西・・・

学校で被差別部落問題教育するのって関西(福岡も?)だけで他の地域はしないのですか? 僕は滋賀県で小学・中学と結構な時間、部落問題の勉強をさせられましたが、僕は全国でやっていると思ってたのですが、関東や東北ではほとんど習わないと聞いたんですがホントですか? 部落問題が今でもある関西だけ特別に習うのですか?

みんなの回答

  • C-elegans
  • ベストアンサー率42% (97/230)
回答No.14

20代福岡出身です。 親しい友達がまさにその部落(同和地区)出身です。 また別の友達は母親から「あの辺に住んでいる子と遊んではいけません」と言われていました。 そんな土地柄なので小中学校での被差別部落問題教育も盛んです。 (同和という言葉はあまり使っていませんでした) 友人のこともあって、その後個人的に同和問題を調べることも多くなりました。 そういう教育を受けていた当時(10年ほど前)でさえ、ネットでは「もう差別はない」と言われていましたが、地元企業で「リスト」が出回ることが毎年のように問題に(そして教材に)なっていました。 小学生の時は市会議員(確か共産党)が小学生相手(友人含む)に問題起こしていました。 数年前に新興住宅地が整備されて人口の流入があったときは、市役所に「○○は部落か?」という電話が何件もあったという話を父親から聞きました。 「差別はもうない」と言う人は多いですが、単にその人の周りからなくなっただけだと思います。 「日本から差別はなくなった」と断言するためには、全国各地の人間関係を全て知らなければなりません。 根拠のない断言をしている点では「危険はない」と言う今の政府と同レベルです。 (戦後東日本で部落問題が起きていないという発言がありますが「狭山事件」は埼玉県の事件です) また、差別感情そのものがなくなったにしても、差別によって固定化された不利益(土地や学力)がまだ残っている場合があります。 差別がなくなることと差別問題がなくなることはイコールではありません。 そして「寝た子を起こすな」問題についてですが、これは自分自身経験しました。 中学時代に同級生が教育から学んだ知識で問題発言をして職員会議+学級会議みたいな事態になりました。 確かに特別な教育がなければ問題も起きなかったかもしれませんし、自分も特別な教育はしないほうがいいと思ったこともあります。 しかし、消えない過去をずっと隠し続けることはできず、寝た子を永久に寝かし続けることはできません。 悪意のある人間が無知な人間を扇動して差別が再燃することも十分に考えられます。 そういう正確な情報を知らせていたほうがまだましだと思います。 (ただ自分のところはやりすぎだと思いもしますが…) (さらっとやるにしては少々重い問題です) あと、多くの地域では、同和団体と同和の名前を利用する団体との間に関係性がないのですが、一部の地域ではネットでのうわさ通り同和団体自体がその名を利用しているところもあるようです(特に関西)。 同和地区も同和団体も一枚岩ではなく、利権のための利権がある一方で必然性の結果としての利権があったり、利権で甘い水を吸っている人もいれば、現在進行形で差別問題の被害者であって行政の手を必要としている人もいる。 利権関係は黒い部分が多いですが、全部まとめて切除してしまうこともできない厄介なところだと思います。

  • tamoht
  • ベストアンサー率43% (60/137)
回答No.13

確かにある時期には差別があったかもしれません。しかし それは歴史の一部分であって過去の話です。 もし教科書にまったく部落問題をのせなかったら、ほとんど の人は、この問題は全く知らないで過ごすでしょうし、のせ るにしても、過去の一時期にこんなこともありましたが、いま は、なくなりました。と書くべきです。関西だけ変にまだ部落 問題が残っているなどと書くから、返ってよからぬうわさが広 がったり、これを利用した、「えせ○○」といわれる暴力団さな がらの詐欺集団が、部落問題を隠れみのにして恐喝事件をお こすのです。 「Aさんは、部落民なんだって」と聞けば、Aさんのことを特別の 目で見る人も中にはいるでしょう、でも何も聞かなければAさん は、いつものAさんです。よけいなことは、知らなくてもいいので す。教えなくてもいいのです。今はほとんど部落問題は、おこ っていないのですから、さらっと過去の歴史の一部分として納 得すればいいのでは。

ajtwmdagp
質問者

補足

僕はあなたの意見と同じで教育などなくなれば自然に部落問題などなくなると思っています、ただ義務教育で無理やり教育させられるからどうしようもないです。 部落をメシの種にしてるやつは今でもかなりいますね。

  • shin1417
  • ベストアンサー率27% (199/721)
回答No.12

東北の出身ですが、同和教育なんて受けた事がありません。 被差別部落なんてもの自体がありませんので。 うちの方では部落なんて言葉は『本来の意味(集落の意味)』で普通に使ってます。 ですから、部落問題なんて「集落の過疎化問題」の事だと思ってました。

noname#143032
noname#143032
回答No.11

虐め問題と同じです。差別されていると感じる限り、差別が生まれてゆきます。 関西にも、もはや部落差別は、ありません。 15年くらい前まで、国の方針で普通の会社でも教育が行われていましたよ。 部落問題は、もはや、解決済みです。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.10

文部科学省は県毎に学習指導要領を作成しているわけではない。それは全国一律です。ところが実際には地域で異なる学習が公立学校で教職員によって行われている。教職員は地方公務員であって国家公務員ではない。すなわち特定の県に採用されれば一生その県の中でしか人事異動は無いのです。滋賀県に採用された教職員は一生県の外には出ません。つまり教職員にとっては滋賀県が全てであり、他の県でどういう教育が行われているかを知る機会は一生ありません。また滋賀県の教育は滋賀県の教育委員会が統括していて、これには文部科学省も介入できないのです。地域には地域の特性もあるから、全国一律でないからといって一概に否定されるものでもない。ところが特定の政治的団体が、そのような地域の自主性につけこんで教育に不当介入している実態があるわけです。特定の政治的団体が県教育委員会や教職員組合に不当に影響力を持っている。その度合いが関東、東北、関西で極端に違っています。教職員組合というと日教組を連想すると思いますが、実態は県教組です。県毎に組織された教職員組合が上部団体としての日教組に加盟しているのであって、個人としての教職員が直接日教組に加盟しているわけでもない。そして日教組は必ずしも個々の地域の実態を把握してもいないし、単組を統括できているわけでもない。 以上のような実態をほとんどの国民は知らない。たとえ転勤族の子弟であっても中学校・小学校に通う年齢で2つも3つも異なる県にまたがって転勤することは少ないからです。 今でもあるのは特定の政治的団体が県教育に不当に介入しているという実態が特定の県であるということだけです。

noname#140643
noname#140643
回答No.9

40代北海道在住です。 恥ずかしながら、現代でも部落差別があると知ったのは 小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」を読んでからです。 北海道は、やってませんね。 また、アイヌの方の「被差別」の歴史もほとんどおそわらないので、 逆に「アイヌの歴史や文化」もほとんど知りません。 差別意識はありませんが、 一つの文化の事を「なかったことにしている」とも言えるので、やはり適切な教育は必要だったと思います。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.8

 部落問題は関西以西で問題を残しているだけで、その他の地域では戦後は問題が全く起きておらず、これを教えることは寝た子を起こすようなことになるので差し控えているのでしょう。敢えてこれに異をを唱える必要があると思います。関西以西で義務教育期間に教えるのは実害が残っているからで、そのような差別がいわれのないもので根絶しなければならないと教えることが必要だからです。

回答No.7

 福島県中通りではその様な教育はありませんでした。 ただ、大人の会話でその様な内容を聞いてますので、実態はともかくとして、差別意識はあったと思います。

回答No.6

埼玉の46才男性です。 「部落」と言う言葉を知ったのは高校の倫理の時間でした。 最初は「部落」=「集落」=「村」? のようなちんぷんかんぷんの発想でしたが、 差別用語なのだと気づくまでに時間は要しませんでした。 過去の名残ですね。 なぜ現代社会でもそのような偏見が残っているのかが不思議で仕方ありません。 知らない人に変な知恵を授けるなら「部落問題」は勉強しなくても良いと思います。 まだ、そのような風習が残っている地方なら、差別・偏見を取り除くためにも必要な授業と考えます。 質問者様への回答ですが、埼玉の中学生までは「えた・ひにん」と言う言葉は習いましたが 「部落」と言う言葉は習っていないと思います。 とてもデリケートな問題なので、中学生では理解しがたい内容なのかもしれません。 (私の学生時代のことなので現在ではどうなのでしょう・・・?)

noname#133362
noname#133362
回答No.5

高校卒業まで名古屋にいました。 隣接学区に部落があり、友達もできて遊びに行きましたが、意識したこともなかったですね、当然授業では習ったこともなく、部落という言葉も知りませんでした。 年が年なので半世紀前でしたが、部落を歩くと異様な雰囲気で、けっこうおもしろかったですね。 子どもたちは知らずに育ちました。