• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:部落差別はまだ根強く残っているのですか?)

部落差別の現状とは?根強さを検証

このQ&Aのポイント
  • 部落差別はまだ根強く残っているのでしょうか?その現状を検証しました。
  • 部落差別は部落の存在や差別される経験について言及されがちですが、現代の部落差別はどの程度の広がりを持つのでしょうか。
  • 京都についても部落差別が根強く残っているというイメージがありますが、実際のところどうなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mibuna
  • ベストアンサー率38% (577/1492)
回答No.13

京都市内については現在は「根強い差別」なるものは残っていません。 部落が怖かったのは昭和後期までで、今残っているのは「部落利権」です。 >京都人というだけで「部落差別で冷たい人間」 京都でややこしいのは昔部落だった地域に韓国・朝鮮人が入り込んで いるからですね。おまえら部落と直接関係ないやん!と言いたい。 (しかもヤクザも絡んでいる) 関西で現業職(環境局・上下水道・交通局)公務員の犯罪や事件が 多いのは公務員の部落採用枠と言うのがあって優先的に部落地域の 人を採用したためです(今は廃止されています)。 部落出身者の救済の為だったのですが実際にはヤクザ・チンピラが 公務員として多数潜り込んでいるんです。 (大阪の公務員で刺青入れている人が多いのはそういう理由) >しかし、それは部落とは関係なく、その人自身の人間性が招いたものです。 まさにその通です。 真面目に試験を受けて採用された公務員にとっては部落採用枠の 公務員が度々事件を起こすのは非常に迷惑でしょう。 一般市民としてもエセ同和活動で税金が無駄遣いされるのは困ったこと だと思います。

noname#169183
質問者

お礼

お礼遅くなりました。 中学校の授業で部落を学ぶ時 「部落出身者でありながら公務員になった方をお呼びしました」と、実際そういった方の話を聞いたことがあります。 その方は公務員ですが金髪だしピアスも開けているしで、全然公務員という風体ではなかったのですが、「俺は迫害されてきたけど本当は自由だ!だから何をしてもどんな格好でもいいんだ!」と全校生徒の前で発言していて、皆して「何言ってるんだこの人…」という思いを抱いていたことがありました。 周りの部落出身者も皆努力して公務員になったと言っていましたが、皆さんの話を聞いていて、単純な話ではなかったのだなと今更思い知らされました。 「俺は部落差別を克服した、でもまだまだ世の中で我々は不遇だ、国は対策していくべきだ」と熱弁されていました。 そう単純な話ではなかったんですね。 在日のかたの話も聞いたことがありますが、自分たちは不遇だから不遇な土地に住まわされて差別されているとのことでした。 この方たちの言い分はよく判りません・・・。

その他の回答 (14)

  • goldman63
  • ベストアンサー率14% (27/189)
回答No.15

追伸、ひろむちゃんというのは今から10年ほど前に、自民党の政権時代を裏で青木幹雄と共に牛耳っていた、野中広務の事ですよ。

noname#169183
質問者

お礼

ありがとうございます。 その方については存じ上げませんでした。 ブドウ酒殺人事件について調べてみました。 部落との関連はよくわかりませんでしたが・・・犯人とされた方の親族が村八分を受けたということはわかりました。

  • goldman63
  • ベストアンサー率14% (27/189)
回答No.14

no,13の方が言っているのは、本当でしょう、現在は部落差別地域というのは、ほとんど存在しなくなっていますが確かに、わが国が高度成長期時代くらいまでは、差別地域と差別はあったと思います、確か、ひろむちゃんも京都の差別地域出身だったはず、だからあれほどの権力欲と金銭欲が強いのだろう、ちなみに昭和36年、三重県と奈良県県境の名張市にあった葛尾という、100人くらいの集落の集会所で起きた、ブドウ酒殺人事件、5人の女性が殺された事件だが、男女の愛憎関係が原因となっている、この部落も一つの差別地域だったと思う。

noname#169183
質問者

お礼

お礼遅くなりました。 ひろむちゃん・・?はよく判りません。 ブドウ酒殺人事件は少し調べてみます。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.12

関西です。小学校の時は小規模の学区で部落問題とはあまり関係なく過ごしましたが、 中学に行くときその学区が部落と合同の学区だというだけで、以後中学 高校 短大は 通学も不便な私立にいかされました。実家の両親が亡くなり、いろいろな手続きに行った時 驚くべきことには、市役所の職員は大多数が部落出身者であるという事を聞きました。 隣接する市の職員も採用するのはほとんど部落出身しゃで、逆にそれ以外の人は嫌な思いをするので、 就職しないそうです。 これはなんなのでしょうね。ある意味逆差別とも言えますね。 これで部落の差別問題は解決されたと云えるのでしょうか。 私は中学に行く段階で親の方針とは言え差別問題から逃げ、差別をしたと思っています。

noname#169183
質問者

お礼

お礼遅くなりました。 逆差別がされている・・・というのは実際に聞いたことがありますが、そういった場面でなされているんですね。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.11

 根深く残ってはいないが、私が随分前になるけど高校生の時に郵便物の配達のバイトの事前研修で部落差別の事も説明が有りました。現在関東から来た妻も部落問題で云々という話しを関西に来て聞いたと言うほどです。それと、その立場を利用して公務員などの仕事に就いているなども聞きます。仕事を与えるために。  京都市内とかでも、このエリアは危険という場所も聞きます。  表面上は見えない状態なので、気がつかないかな。 私自身、明確な差別を見てはいないので。  

noname#169183
質問者

お礼

お礼遅くなりました。 やはり明確に見える形では差別は殆ど残っていないのですね。

回答No.10

部落差別が無いといってる人がいますが その人たちは実際部落に住んだことが無いのでしょう… 実際住んでみてください いかに外側から差別されてるか身をもって実感できますから

noname#169183
質問者

お礼

はい、2年間住んだことがあります。 そこで出会ったのが質問文で書いている方です。

  • ADATARA
  • ベストアンサー率43% (583/1345)
回答No.9

こんにちは! 初めまして。定年まじかの60歳の男性です。 <部落差別は、未だに根強く残っているものなのでしょうか?それとも、私のような、いわゆるゆとり世代が部落について無知・無関心。無責任なだけでしょうか?京都人には・・・そのような気質が備わっているのでしょうか? 昔は差別問題としての「部落」問題がありましたが、今はほとんでありません、京都もしかりです。死語化しつつある部落差別問題がなぜときどき顔を出して「同和問題」とような形で研修とかされるのか、その答えの中に御質問者様の提起した問題の核心のところがあると思います。  昔の事はさておき、今はネットの時代です。どこに住んでいてもネットがあれば情報不足よる偏見等の持ちようがありません。また時代も変りました。戊辰戦争で戦った薩摩・長州の人と会津の人が結婚する時代です。(昔は,戊辰戦争で祖父が戦死したからなどの理由で結婚に反対されました)  部落差別が実質上ないのに、これが本題になる本当の理由は、「部落差別問題が存在する」と主張して、それをタテに金儲けをする人たちがいるからです。例えば、部落差別問題の書籍を町役場や会社等に売りにきて、買わないと、その応対の中で言葉尻を捕まえて、部落出身者への差別だと主張して金を脅しとるという手口です。公になっていないだけですが、これが実態です。これらの部落問題で難癖をつける集団にはいろいろな会派があって、その系統図まであります。暴力団ではありませんが背後に暴力団がいる会派もあり、彼らは実は部落出身者ではありません。  京都はかつて京文化として文化の栄えた土地で、「京都の人」と言えば京女のことで、他の地域の女性より聞こえの良い時代もありました。今はそんなことがありません。京都の人たちも今はそういう自負意識がなくなっていて、したがって部落の人たちへの偏見もありません。  今現在では、「部落出身者を差別しては絶対にいけない」という大多数の人の気持ちを逆手にとってお金をせびるのが、部落問題の本質であることをご理解ください。

noname#169183
質問者

お礼

ありがとうございます。 部落差別を訴える部落出身者は、差別を訴える在日の人たちと同じだ、という内容をどこかで読んだことがあります。 皆さんの答えを聞いていて、その意味が実感として解って来ました。 >京女のことで、他の地域の女性より聞こえの良い なるほど、京都というだけで羨ましがったり、京都の女というだけでお高くとまってるんでしょう?と言われたことがありますが、そういった風潮がどこかに残っている名残なのですね。

  • Red_Baron
  • ベストアンサー率13% (61/449)
回答No.8

>部落差別は、未だに根強く残っているものなのでしょうか? 一般論で言えば、都会も田舎も部落差別は"ない"が正解です。現在でも"ある"と言う人の根拠は極論か虚言です。 >京都人というだけで「部落差別で冷たい人間」と言われたことがありますが、本当に京都に住んでいる人たちにはそのような気質が備わっているのでしょうか? ただのレッテルだと思いますが、ネットの話でしょう?

noname#169183
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ただのレッテルだと思いますが、ネットの話でしょう? いいえ、実際東京の方にそう言われました。 これだから大阪・京都・奈良は・・・というような言い方でした。

回答No.7

昭和の中頃までは全国のいたるとことで見聞きすることだったようですが、昨今では昔ながらの人間関係を大切にする社会環境がある地方でもなければ耳にすることもなくなってきたのも事実です。 しかし普段の生活で見聞きするようなことがなくなったとは言っても、一度築かれてしまった利権構造は宗教みたいなものでそう簡単には消滅しないものです。 地方自治体が運営する事業の職場、例えば地方競馬場の職員は旧部落関係者で占められていて、多額の予算を消化するために、たかが平地の芝生や土面を整備する車輌に MERCEDES-BENTZ の UNIMOG やら GENRAL MOTRORS の HUMMER H1 といった軍用 Base のトンデモ車輌を導入したりして話題になったことがありますね。・・・UNIMOG を導入したのは高知競馬場だったと記憶します。 こうした職場などでの状況、職場の上司に仲人をしてもらったりして互いの素性が職場に公開されることによるり旧部落地域出身者の陰口が叩かれるるような、いわゆる「社会人」でなければ直面しない状況の中には今でも部落問題に関わるものがちらほら残っています。 しかし、普段の生活では、旧部落地域とされる地域でも家々が建て直されて他の街並みと変わらぬ外観になっていますし、人々の見た目も変わりませんので、もはや表層的には気付かないものになっています。 都市部では全国から来た人達が入れ代わり立ち代わりしていますので東京 Olympic の頃まで存在した橋の下の Barracks 街や県庁所在地から歩いても半日ぐらいの距離なのにちょっとした丘陵に囲まれた地域だけが他とは異様な雰囲気を持っていたりするような地域というものを見ることはなくなりましたね。 旧部落出身者が両親が受けた職業差別の下で満足な生活を得られず、今もなお低所得階層から抜け出せずに人格的にも問題を抱えているという場合もあるでしょうが、現在では NEET などのように裕福な生活環境で育っても問題を生じてしまう Case がありますので、個人々々の人格に部落問題が大きく影を落としているというものは少なく、むしろ利権構造という社会問題の方が大きな影響を残していると言えるのではないでしょうか。

noname#169183
質問者

お礼

ありがとうございます。 学校で学んだような単純な話ではないんですね。 部落出身のかたが学校にきて演説をするといったことがありました。 しかしこういった話を聴いていると、素直に話を受け止めているだけではダメだったのだと気付かされます。

noname#204360
noname#204360
回答No.6

今は違うのですが、昔(15年位前)は差別に近い事はありましたね 私の住んでいる地域は、線路を境に山側が昔から住んでいる人達で 海側が田んぼを埋め立てて作った新興住宅地です 私の町には、昔から使っている獅子頭が有り、祭りの時には各家庭を回るのですが 何故か、此方側(新興住宅地)には来ません 此方側(海側)の町内会長が、あちら側(山側)の町内会長に、何故来てくれないのかを問いただしたら 「伝統ある獅子頭を、余所者の目に触れさせる訳には行かない」との事でした 要するに、昔から住んでいる人達にとっては、同じ町内だとしても 新興住宅に住んでいる人は余所者扱いと言う事です ただ、ここ近年は此方にも獅子舞が来るようになりました 何処かで和解があったのか、それとも子供が少なくなり(だんだん過疎って来ています) 止むを得ずその様になったのかは、不明ですが・・・

noname#169183
質問者

お礼

ありがとうございます。 いわゆるムラ社会というものですね。 そういったものは目にしたことがありますが、それは部落差別とはまた違うと思っています。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.5

かつて首都や戦場があった場所には必ず部落が存在するのです。 奈良、京都、鎌倉、大阪、名古屋、東京、そして外国との窓口として長崎、神戸、横浜など。 武家に馬を仕入れ、年をとった馬を処分し、処分した動物の皮をなめし、革で鎧や馬具を供給する必要があったから。 幕末以降は屠殺場を作り、都市や外国人居住区に食肉を供給する場所として存在しました。 現代で言えば、ゴミ処分場。都市の清掃員として汚れ仕事を強制させられた人たち。近代まで職業選択の自由がなかったから。 部落出身の気質は、汚れ仕事以外に転職できないよう、読み書きソロバンの教育を絞ったから、親から子へ社会道徳や向上心の教育が伝わらない環境があったから。 貧困は、暴力や犯罪で稼ぐ事を強要されます。何をしても食えなければ、誰でも他人を殴って物を盗む。人間性だけではないのです。 で、食べ物と金を与えればいいかというと、働かないで食えるなら、誰でも働きません。暇を持て余してもっと豊かになれるよう犯罪を犯す。 あなたの関わりたくないという感想が、都市人口全体の意見として集約された場所が差別部落地域。 貧困と教育が代々続いたことで、スパイラルを描いて、周囲も当人も人と土地を拒否してしまう。 関東はもうほとんど部落意識がないのです。田舎者が上京して家を立て土地開発した町が首都圏東京なので、土地に縛られない。 都市として歴史を持つ土地は、それ以上開墾できないので、部落がなくならない。 忘れるというのが一番の解決なのですが、差別していた人間は忘れても、差別されていた人間の恨みは、差別をする立場にならないと消えません。 差別が差別をよび、亀裂が大きくなる。難しい問題です。

noname#169183
質問者

お礼

ありがとうございます。 私の目で見てきた限り、私が育ってきた環境では部落差別が残っているようなことは一切目にしませんでした。 ですが、質問に記載した方は部落差別で虐められてきたといっていました。 年代は私より5歳ほど離れているだけで、私より5年先輩だった方たちがひどい部落差別をしてきたとは思えず、また私の通っていた母校にも部落出身のかたが通っていましたが就職する際にそのような懸念がなかったことから、本当に残っているのか?と疑問でした。 >差別していた人間は忘れても、差別されていた人間の恨みは、差別をする立場にならないと消えません。 私の家計は遺伝的な病気を抱えていて、また家族にサバンを抱えた障害者がいます。 地域の方の理解が得られず、一家揃って障害者差別を受けていましたが、だからといってこちらが差別をしたいとは思えません。 許すことは難しいですが、だからといって差別する立場になろうというのは・・・とても疑問が残ります。

関連するQ&A