- 締切済み
部落差別はなくなったのですか?
非常にデリケートな問題だと思われますので、私の質問が不謹慎だと思われた方は管理人さまに通報して、削除してもらってください。 「今日、わが国に部落差別はない」と聞いた覚えがあります。これはどういうことですか。被差別部落がないということですか。部落差別を受けている人がいない、ということですか。 僕は小、中学校で同和教育を受けました。そのとき僕は、被差別部落出身ということを自覚している人はもうこの国にはいないのだと勝手に思い込みました。つまり、もう被差別部落がどこにあったのか、昔のことだから誰も知らない、だから部落差別はもうない、と思っていたのです。 しかし、大学に入って、以前被差別部落だった土地を知っている友人に出会いました。 僕たちはこの先子ども達に、部落差別のことをどう教えていけばよいのでしょうか。「昔はあった。でも今はないし、その土地も分からない(たとえ知っていても)」といえばいいのでしょうか、「昔はあの辺が被差別部落だったらしいけど、今は差別なんて全くないんだ」といえばいいのでしょうか。 部落差別があったことは知っているが、どこであったかは誰も分からない、という時代がくるのでしょうか、また、くるべきなのでしょうか。そしてやがて部落差別があったことさえも誰も知らない時代になった方がいいのでしょうか。そうなる可能性はあるのでしょうか。 お恥ずかしい話ですが、僕はこの問題に関して自分の意見というものを全くもたないまま23年間生きてきてしまいました。それどころか、こういうことをこういう場で口にすることの是非さえも分かりません。 だけどもう一度質問します。「部落差別はない」ということの、本当の意味はなんですか。そして僕はこの質問をしてもいいのですか。 皆さんの意見をお聞きしたいと思います。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yoda
- ベストアンサー率36% (291/804)
∇ 私の知り合いに、そういう環境で育った男性がいます。 私から見ても、彼と言う人間は素晴らしい物をもっています。 一流大学を出て、一流企業に入り、他の人よりも5年以上の早いペースで昇進もしています。 性格にしても、硬派な面ももっていますが基本的にはやさしくて気配りも行き届いて、仲間からの人望も厚いです。 そんな彼が、素敵な女性と出会う事が多いのも事実ですが、 結婚するような雰囲気になると必ず別れが訪れました。 何故なら、彼はある種のトラウマとして結婚を無意識に拒絶していたからなのです。 回答にはなりませんが、何かの参考になればと思いかきこみました。
- haijin22
- ベストアンサー率17% (4/23)
今シドニーオリンピックの開会式を見て、あまりにもオーソドックスな展開で興ざめしてしまったのですが、差別問題についてヒントになると思い、筆をとりました。 最近「ネイティヴ・アメリカン」という言葉を聞きますが、これはこれまで「アメリカのインド人」(インディアン・インディオスなど)と呼ばれていた人に対して、先住民としての「名誉回復」、白人には免罪符となるものです。 今日の放送でもアボリジニが主役を務めました。 エスキモーやジプシーも侮蔑語として使われなくなっています。 同じ能力のある男女一人ずついたとき、昇進させるのは女が優先されるそうです。 これらは「私たちは差別をしていないんだ!」と喧伝する行為に他なりません。その実態は反対であることを雄弁に物語っています。 やはり建前の世界だけです、差別がないのは。
- Haruchan
- ベストアンサー率30% (24/80)
私も同和教育を受けた記憶があります。道徳の授業でその事例を基に話し合った記憶です。 もう15年以上も前のことですが、有名な桜の名所を見に行ったことがあります。 高速(バイパス?)を降り名所の山に向かう道中におびただしい数の横断幕や垂れ幕、ノボリが立っていました。それには‘同和問題を考えよう’‘部落差別をなくそう’と書いてありました。 同和問題は過去のことと認識していたので、カルチャーショックでした。 山を埋め尽くす見事な桜の中で、1000年以上も続く人間の憎しみの歴史を垣間見たようで、なんとも言えず悲しく切ない桜に見えました。 生きて行く中で、同じ自分がいない以上必ず何らかの‘差’が存在するとは思います。でも1000年以上前の過去に縛られた‘差’が存在するのは許せません。 自分がこう感じるのは義務教育で受けた‘教育の成果’かどうかはわかりません。 でも私はこのようなことで人を差別したりしない自信があります。 部落差別は日本の忌むべき歴史です。繰り返してはいけない教訓を持って語り継がれてきたと認識しています。 厳しい意見が続出するなかで、あえて、意見でもアドバイスでも回答ない自分自身について書きました。 不適切な表現があればすみません。
お礼
>でも私はこのようなことで人を差別したりしない自信があります。 Haruchanさんのように自分も言えるよう、正しい知識をこの機会に身に付けようと思います。 ありがとうございました。
- fujinoki
- ベストアンサー率25% (29/115)
私は、小中学校で、同和教育を受けた記憶がありません。 まぁ、印象に残ってないだけだとは思いますが。 私がこの問題について知ったのは漫画「ゴーマニズム宣言」(小林よしのり)です。 アクが強いので賛否両論ありますけど、一度お読みいただければと思います。 以上がfujinokiのアドバイスです。
お礼
参考文献の提示、ありがとうございました。この件について、友人から直接「文献などでなぜ自分で調べようとしない。君のようなものに回答をしてくれる人などいない」という忠告を受けました。そうですね。気になるのだったらまずは自分で調べて、それからこういう場へ質問するべきでした。 ありがとうございました。
- haijin22
- ベストアンサー率17% (4/23)
皆さんがすでに詳細に解説していらっしゃるのでかいつまんで申し上げます。 まず「口にしてはいけない」ことはありませんし、恥ずかしいことでもありません。むしろおおいに論ずべきことです。 「部落差別はなくなった」という話は、法律上・道徳上してはいけない(憲法に抵触する)という建前ではなくなりましたが、皆さまがご指摘のように実際には就職差別・結婚差別など多々あります。 また、私は関東で育ち、一時期西日本で高校に勤めていた経験では、同和教育への力の入れ方はまるで違います。 比較的西日本ではまだ根強く差別は続いているようで、小学校から同和教育が行われますが、東日本ではまったくなく、「童話?」と間違えるくらいです。実際に研修で童話地区に行きましたが、そこで小さな工場を造り、みなそこで働くように、就職差別が行われていることは明らかでしょう。 最初のご質問ですが、要するに法律上・道徳上「差別は行われていない」だけではないでしょうか?
お礼
僕は東日本の出身なので、同和問題といってもピンと来ないのが現状です。それだけ差別がなくなったということならよいのですが…。 皆さんご指摘のとおり、話題としてとりあげてはいけなさそうだ、という消極的な立場が一番いけないのですね。 ありがとうございました。
- masahumi-1
- ベストアンサー率21% (25/117)
はっきり言って差別は無くならないと思います。政治家は、だだ腫れ物に触る あるいは選挙の際の票集めのための政策しかやっていません。私の住んでる市では、同和地区にある(民間の精肉加工業者)屠殺場及び加工工場の改築に数億円の金を出しています。どんな理由を付ければ、民間企業に税金を、注ぎ込めるんでしょうか?さらに教育の場はもっと悲惨です。近所の方が引っ越す際、学校で(そこは同和地区を含む校区だった)「××君は、同和地区が無いところへ引っ越します。我々をみすてて」と生徒の前で言って 見送ったそうです。さらにそういう学校を モデル学校に指定して冷暖房完備するなどしています。 もちろん他の地区でもあれば、別に何とも思いませんが....。今のとこら他地区へ広がっていく話は聞こえてきません。こんな事が実際にあって差別が無くなりますか?もちろんこういう特別扱いも含めて、差別を無くしていこうという人たちもいます。数年前、アメリカで人種差別ギャグで一世風靡したボードビリアン(その女性の名は忘却)の本を出版したのが、確か部落解放運動の専門の解放出版だったと思います。(部落解放運動も一枚岩ではない)そのほかに山城新吾さんの自分の「生れ」について書かれた著作も同じところだったと思います。たぶん質問者の方は今まで、同和地区と校区が同じ学校へ通われたり、 一般に同和政策・教育が行き届いてると評されている市町村で、生活された事がないために、その実態を見ぬまま来られたと思います。結局今の政治家や教育者は特別扱いしてもらいたい人たち側の事しかしていません。以上のように私は、もしこのまま世の中がいくとしたら、絶対に差別はなくならないと思っています。
お礼
「特別扱い」にしたのでは本質的に差別がなくなったとはいえませんね。 やはり「普通に」「自然体に」接することが一番重要だし、そうできるはずですよね。僕らもそういう教育を受けてきたはずですから。 ありがとうございました。
- emichin
- ベストアンサー率27% (23/83)
正直言って、私が結婚するまでの25年間、部落差別が今でも根強く残っているとは知りませんでした。 学校で学んだ同和教育は、国籍や育ち、体の不自由な人、職業などで差別をしてはいけないと言う事の総称だとずっと思ってました。 確かに私達の年代ではなくなったと言ってもいいかもしれませんが、地方の特に戦前生まれの年代層には根強く残っているように思います。 やはり、結婚の際に身元や出身を調べて、親、親類によって破談になるケースはあるようです。 「聞き合わせ」こう言う日本語があるのも初めて知りました。 結婚は両性の合意のみに基づいて成立するのに、こんな不合理な理由で破談に追いやられて良いものでしょうか? 全くの予断と偏見と差別によるものだと思います。 私は自分自身同和地区の出身だか、そうでないかは知りません。 私が生まれた場所は一つですから。 それを聞く必要もないし、親もそれを子に伝える必要もないと思います。 封建時代の悪しき政策による身分制度をなぜ今まで引っ張ってこれたのか、それが不思議でなりません。 世紀が変わろうとしているこの今も、そうやって理不尽な差別意識をもっている一部の人は、逆に21世紀には差別される側になるのではないだろうかと、ちょっと心配です。 でも、そういう人はごく一部の人だけです。 大部分の人々が、そういった差別を無くそうと考えていると思います。 ですから、この問題のみに関して子供達には教える必要はないと私は思います。 私が学んだように、人は皆平等なんだから、あらゆる事で差別はいけないということは徹底的に教えるべきだとは思いますが。 もちろん同和問題について感心を持って質問された時や、大人から間違った事を教えられてるようなら、正しい事を教えなければならないと思いますが。 そういう大人がない事を願ってます。
お礼
僕も結婚前のemichinさんのように、同和問題が根強く残っていることを知らなかった1人です。しかしそれは無理に知ろうとすることでもないような気がしてきました。emichinさんの受けられた同和教育も、もう「次段階」へ進んでいるのかもしれませんね。いけないのはこれらの問題に直面したときに、態度を一変させたり急に言葉すくなになることであることはsealionさんに教えていただきました。 僕らは人はどんなことであっても差別されない、ということを学んできたのですから、どんな差別であれ、それに直面したら、なくしていこうとする態度を子ども達に教えればよいのですね。 今回は皆さん貴重な時間を割いて僕にアドバイスしてくださって、本当にありがとうございました。
- sealion
- ベストアンサー率50% (210/418)
最初は無視するつもりでした。でも真摯な問いには答えることが義務だと考え直したので、レスします。 私自身この問題について十分な知識をもっているわけではありません。だからこれから書くことに自身がある訳じゃありません。ただ、同和地区と呼ばれている所に住む多くの友人を持っているだけです。ーと言って彼等が同和の出身かどうかは知りませんが・・・ 家系を確かめたこともないし、そうしようと思ったこともない。はっきり言って私にはどうでもいいことだから。みんな大切な友人です。ー ryuchanさん、 basilさん、悪気がないのはわかっています。でも、なぜデリケートな問題という表現を使うのでしょうか?キツイ言い方になりますが、あなたたちがそういう表現を使った。その行為こそが差別なんですよ。 たとえ善意からであっても、特別視して同情することは相手を見下しているんだってこと、はれものにさわるようにして話題から避けること、それが差別なんだって、私たちは乙武君に教わったばかりでしょう。 もう一つ、ー同和地区がどこにあったかーということをなぜ気にしなければいけないのですか? その土地に住んでいる人たちを特別視しなければならないのですか? ー昔はいわれのない差別を受けた人たちがいた。未だに彼等のことを差別しているバカがいる。お前は愚か者になるな。ー 父親としてそう教えればいいのではないですか? 闘争的な運動家に同調しなくてもいいんです。勉強しようなんてかまえる必要もありません。 というより、そんな段階はもう過ぎたのではないか。個人的にはそう思っています。必要なことは、特別視せずに自然体で接することではないでしょうか。 例えば、先祖が隠れキリシタンだったという人がいたとします。かつては、激しく弾圧された人の子孫です。 だからといって、差別する人も、はれものにさわるように扱う人もいないでしょう。 同和問題も同じ事なんじゃないですか。 かっこのいい建前論ばかりしたようですが、問題を複雑にしているのは、この問題を商売ーゆすり、たかりの種ーにしている人たちがいる。それも事実なんです。建設業界に籍を置いているとそういった話は枚挙にいとまありません。 私の経験でも、怪しげな人物が、同和差別解消のための寄付を求めてきたり、資材搬入車輌が同和地区を走ることへの賠償金を要求されたりしたことがあります。 これらのほとんどは同和の名前をかたる、暴力団の行為なんですが、一部の人が同和の人たちをはれもの扱いにする一因であることはいなめません。本当に卑劣な行為です。 最後に、今まで言ったことと矛盾しているようだけど、部落問題という表現は使わないほうがいいですよ。同和問題と言ってください。 言葉さえ言い換えればいいというのは卑劣な考えというのはわかっています。 でも問題はそんなに単純なことじゃないんです。 ー部落ーと呼ばれることに不快感を覚える人は確実に存在します。ならば、使わないのが人間としてのたしなみでしょう。 だから、ー部落差別はない。ーという無神経で不作法な表現をしただけで、その人の発言の信憑性がわかると思いませんか。
お礼
sealionさんのおっしゃられるように、「デリケートな問題」という表現を使うことがそもそもの差別になることを頭では分かっていながらも、やはり質問時の僕の同和問題に対するイメージはそこにあったのだと思います。sealionさんに指摘されるまで、実際に同和問題を「デリケートな問題」だと感じていました。これはひとえに僕の無知からくるものです。しかしそのような無知からくる同情(僕にはよく分からないけれど大変そうだね、というような気持ちをもつこと)が一番いけないのだと痛感しました。 これからは、ほかの方たちがあげてくださったURLを参考に、自分なりの考えを持ち、かといって無理にこの問題を取り上げるのではなく、自然体で接していきたいと思います。 後半の同和問題に絡まる卑劣な行為については、このような事実があることをはじめて知りました。やはり僕は本当に何も知らなくて、だからこそこのような愚かな質問をしてしまったのか、といまさらながら感じています。 今回は厳しいご意見をいただきまして本当にありがとうございました。
確実に言えることは、あなたが本当に「今日、わが国に部落差別はない」と教えられたのだとすれば、それは間違いだということです。 この問題の現状をどう考え、どう対応していくべきかについては、全国規模の団体としても2つの組織があり、ニュアンスに違いがありますので、以下のHPをみて御自身で判断して下さい。 部落解放同盟 http://www.bll.gr.jp/ 全国部落解放運動連合会 http://member.nifty.ne.jp/ZENKAIREN/
お礼
ありがとうございます。僕としては2つのサイトをまず熟読して、自分の意見を持つことからはじめたいと思います。
- basil
- ベストアンサー率35% (148/420)
確かにデリケートな問題だけに私のような、知識を十分に持たない人間がどうこう言うのは適当ではなさそうなので、参考になりそうなサイトへのリンクを張らせてもらいます。こちらをご参照ください。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。参考URLにて、自分なりの意見をもてたらよいと思います。
お礼
特別な行動(僕がこの質問を「非常にデリケートな問題」と表現したことも含まれるでしょう)自体に差別が内包されていることを実感しました。 特別な配慮を気にしなくていいほど、皆が平等な世界になることを願います。 ありがとうございました。