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被差別部落という名称に問題を感じます

被差別部落という名称は、その部落が「差別されている」という事を、呼称される時期における(差別されているかどうかの)事実の如何抜きに解説しているものです。 この呼び方が存在する限り、その部落に住んでいる人達は無条件に「差別されている人達」であり続けます。 つまり地域差別がほぼ無くなり弱者救済の考えの厚い現代において、その地域の人々は「差別されている地域の人間だ」という看板を手に「弱者という権利」を振るえる事にもなり、社会が常に無条件に保護し続けなくてはならない事になります。 差別の所在というもっとも大事な真実を曇らせてしまうのです。 世界においても、100年先だろうが「地域差別が現存している国」というレッテルが残りかねないので重要な問題だと思います。 本来、適切な時期においてこの「被差別」という部分は取り除かれるべきなのですが(実際のところ、もう取り除いていいと思います)、それを提唱した人間は間違いなく「差別を闇に葬ろうとする差別主義者だ」と非難・糾弾される事でしょう。 「被差別部落」という呼称から「被差別」の文字を取り除く為のよい段階的アイデア(政策レベルからでも)教えていただけないでしょうか。

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  • oska
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回答No.4

>本来、適切な時期においてこの「被差別」という部分は取り除かれるべきなのですが 取り除く事が出来れば、被差別部落・特殊部落とういう概念は無くなります。 当然、差別もなくなりますよね。 >それを提唱した人間は間違いなく「差別を闇に葬ろうとする差別主義者だ」と非難・糾弾される事でしょう。 部落解放同盟は「差別の実態を、未来整合教育する必要がある」として、名称を取り除く事に反対しています。 被差別部落が、自然消滅する事を嫌がっているようですね。 「差別がなくなる=利権を失う」事を意味しますからね。 (市役所・水道局・下水道局・環境(ゴミ)部署では、彼ら用に特別採用枠があります) また、公営住宅の家賃・水道・電気代が無料になるのですから・・・。 西日本の某県では、中学辺りから「特殊部落に関する授業」があります。 この授業では、特殊部落の生い立ちから現状までを学生に教えます。 結果、学生は「○○市○○町近辺は、特殊部落民の集落だ」「○○郡○○町○○地域は、特殊部落だ」と差別感覚が生まれます。 幼稚園・小学生の時に「一緒に遊んでいた子供が、この授業の後は遊ばなくなる」のです。 ですから、この県で義務教育を受けた人は「被差別部落の地名」を皆知っていますよ。 部落地名年鑑よりも、詳しく知っています。 恐ろしいことに、この県にある私立大学では「差別地区出身者用特別入学枠」が存在します。 被差別部落出身者、南北朝鮮人、アイヌ人、琉球(沖縄)人が対象です。 恐ろしい事に、アイヌ人・沖縄県民までもが「被差別部落出身」となっています。 行政・教育・団体が、三位一体で被差別部落を残そうと頑張っていますよ。 >「被差別部落」という呼称から「被差別」の文字を取り除く為のよい段階的アイデア(政策レベルからでも)教えていただけないでしょうか。 先ず、不可能でしよう。 村落の集合体としての「部落」と、被差別部落は異なります。 庁舎の玄関に「被差別部落をなくそう。差別をなくそう!」と大きな掲示板を掲げています。 子供が「被差別部落って、なあに?」と親に質問していましたが、この時点が正に差別が誕生した瞬間です。 先ず、解被差別地域解放運動をしている団体が自ら「被差別部落を無くそう!」と思わない限り不可能です。 残念ですが、彼らが利権・特権を手放すとは考えられないですね。

dendenaaa
質問者

お礼

既に歴史教科書に水平社だののページを割いているので、 >部落解放同盟は「差別の実態を、未来整合教育する必要がある」として、名称を取り除く事に反対しています。 というのはおかしな話ですよね。もう教育されてますから。 という事は、利権に群がる現代の同和構図も子供達に教育して欲しいという事なんでしょうかね・・・ 最近になってようやく同和利権について突付くマスメディアが増えてきましたが、膿を出し切るのはいつになる事やら・・・

その他の回答 (7)

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.8

議論の場ではないが >江戸時代と現代で、個人や一族の身分や家業に対する束縛の >レベルが全く異なる事が自明ではないと貴方が考えているの >でしたら、残念ながら歴史の勉強が足りないだけだと思います。 束縛のレベルが全く異なれば差別が無いという話にはならない。 リンカーン以前の奴隷制度があった時代と1990年代で黒人の束縛のレベルが全く異なるのは自明。でも、それで差別が無いとは言わない。 束縛のレベルが全く異なるかどうかでは話にならない。 >それに、目の前の誰々が、国内の何県までならともかく、 >その更に何地域に生まれたかにいちいち拘るほど、現代の >日本人(日本社会)は暇ではありません。 それは嘘。被差別部落出身者を家族に迎えるのを嫌がる人がいることを例示したように、拘る日本人はいる。 日本人にそのような人が存在しないと考えているのならば、残念ながら貴方の社会経験が足りないだけだと思います。 問題はその差別の程度。許容される範囲なのか、許容されない範囲なのか。また、どのような特性の人がどのような特性の人を差別しているのかなど。 差別の問題は、簡単に自明といえるほど簡単ではない。アメリカでも黒人優遇政策が利権になっているという主張もあれば、差別を受けているというような話もある。極めて難しい問題。 私は、そろそろ被差別部落の問題は解決して、この話を終結させていい頃だと感じているが、そのためにはちゃんとした検証と議論が必要だろう。

  • ryuken_dec
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回答No.7

論点が違うな。 >そういう人が一人いたからと、その地域の他の人皆が >役所の特別枠にあやかるのは、変な話ですよね。 ある地域の特定個人の話を地域に広げろという話ではない。 個人レベルでの差別なのか、その集団という属性に対する差別なのかちゃんとした検証が必要という話。 >昔の日本のように、人の一生を生まれた場所や社会階級 >だけで語れる単純な社会では、もう無いんです。 つまりはこの検証。dendenaaaさんはこれが成立していることが自明かのように話しているが、そんな簡単な話ではない。多くの学者や研究者が検証してもそう簡単に明確な結論が出ない問題なのだが、何故自明かのように断言できるのか? そういう明確な論拠を示さずに「もう差別が無い」とか「差別がある」とかいう低レベルな議論をしているからダメだという話。

dendenaaa
質問者

補足

江戸時代と現代で、個人や一族の身分や家業に対する束縛のレベルが全く異なる事が自明ではないと貴方が考えているのでしたら、残念ながら歴史の勉強が足りないだけだと思います。 それに、目の前の誰々が、国内の何県までならともかく、その更に何地域に生まれたかにいちいち拘るほど、現代の日本人(日本社会)は暇ではありません。自分の事で精一杯です。 出身ネタなど、せいぜい何県生まれ同士でご当地の話題がたまに花開くだけです。 それも自明ではないというのだったら、残念ながら貴方の社会経験が足りないだけだと思います。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.6

被差別を取っ払うと部落だけが残ります。 そうすると過疎や限界集落の問題と混同されます。 従って今しばらく被差別をつけたほうが分かりやすいと推測されます。 それとも士農工商の外なので第五世界とか発展途上階級とかホニャララdiscrimination(ホニャララは何か適当に見繕ってね)なんて横文字にしてみるとかはどうでしょうか。 >「被差別部落」という呼称から「被差別」の文字を取り除く為のよい段階的アイデア・・・ 問題に親しみやすいようにユルキャラを作ってもよいでしょう。

dendenaaa
質問者

補足

別に被差別の文字を取っ払えば普通の集落なので、更に固有の名称をつける必要はないと思います。 ユルキャラはいいアイデアかもしれませんね。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.5

>それを提唱した人間は間違いなく「差別を闇に葬ろう >とする差別主義者だ」と非難・糾弾される事でしょう。 それは、そこに差別が依然として存在するという主張があるから。 >「被差別部落」という呼称から「被差別」の文字を取り除く為の >よい段階的アイデア(政策レベルからでも)教えていただけ >ないでしょうか。 差別を無くす。 すでに差別が無くなっているのであれば、差別がないということを明確に示して多くの賛同を得る。 >奈良県のある住宅地に住まわれている方々が、「この一帯だけ >皆豪勢な家に高そうな車もっとるやろ。これ皆同和の家なんやで。 >こんなんおかしいやろ」と眉を顰めて語っていた こういう低レベルな感情的な議論をしていては解決に至らない。 アメリカの黒人スポーツ選手などは大金を稼いでいるが、だからといって差別問題がないとは言わない。金持ち黒人たちが集まる地域や場所があるが、だからどうしたという話。差別される社会で生き残るためにはスポーツで頑張るしかないから頑張って稼げるようになった人がたくさんいる。 金持ち=差別されていないという図式は成り立たない。 それが優遇措置によるものなのか、またその措置だけでなく全体で見た時に差別を受けている対象なのかどうかという議論が必要。アメリカでも黒人向けの優遇措置があるが、それだけで黒人の利権と主張する意見はほとんどない。差別は全体的に考えている。 同和ということで優遇されている点もあるが、同和出身ということで娘の結婚相手として嫌な顔をする親父がいることもある。そういう差別的側面も残っているのに、総合的な論拠のある説明もなしに一方的に「非差別をとればいい」というのは無茶な話。 差別はあるのか?差別はないのか?あるとすればどのような差別か?どれほどの差別を受けているのか?富の再配分などでどれほど改善されているのか? 利権だとか高そうな家だとかいった感情的な低レベルな意見ではなく、そういう議論が必要。

dendenaaa
質問者

補足

利権という論点は全く感情的なレベルではなく、現に地方自治の公正さを危うくしている重大な問題です。 ある地域のある人が結婚で差別された?就職で受からない? ・・・それがどうかしましたか? 1つあるから100を認めろ、という主張は糾されないといけない事くらい、分かりますよね。 そういう人が一人いたからと、その地域の他の人皆が役所の特別枠にあやかるのは、変な話ですよね。 この世の中、収入や顔つきや身長や学歴、幾らでも誰にでも、結婚やら就職の逆風となる要因が存在します。 その逆風は、上流階級だから存在しないというものではなく、被差別部落だから人並み外れて多いものでもない。 それが現代社会なんです。 昔の日本のように、人の一生を生まれた場所や社会階級だけで語れる単純な社会では、もう無いんです。 ・・・私は思います。 彼ら被差別部落民自身こそが、現代においても「世の中の人の処遇は社会階級で全て決まっているのだ」という幻想に取り付かれているのではないでしょうか。 幼少に虐められっ子だった人が、大人になっても腕っ節の強さに執着するのと同じように。 だからこそ同和利権に執着し、必死にしがみついて離れないのだと思います。

noname#101110
noname#101110
回答No.3

>行政の中で腫れ物としてしっかり残り続けており、また人権問題として不可侵領域にもなっており そんな明確な事実は少なくも今の日本にはないでしょう。 強いて言えば質問者様のそういった先入観と無神経かつセンセーショナルな取り上げ方が問題なのです。私は「言葉狩り」そのものを肯定するものではありませんが、こういったスレをみればそれも無意味ではないと感じざるを得ないとも思います。 過去において使用された(差別)言葉そのものを短時間に完全に抹殺することは到底出来ませんが、可能な限り公道では使用しないというみなの意識で時間とともに限りなく薄めていくことは可能だと思います。いわばそれが質問者様へのひとつの回答だと考えます。 動機としては肯定されるとしても、もう少し違った取り上げ方を工夫してほしいものです。

dendenaaa
質問者

補足

>そんな明確な事実は少なくも今の日本にはないでしょう。 あの、すみません・・・ニュース見てますか?

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

その地域と、そうではない他の地域、その違いは何なのか・・・と考えた時に、やはり「差別を受けているか否か」しか無いのでしょう。 「被差別」の言葉を取ったところで、「その差別を受けている地域」を指す特定の名前を付けた時点で特別扱いに他ならないのでは。 本来、名付けるという事は「縛り」です。何にとってもどんな状況においても。(ちなみに、陰陽道では「命名」は最も基本的な「呪」だと言われているくらいです。) なので、「被差別の文字を取り除く」という観点からばかり追求していると、問題の根本的な‘要’の部分をないがしろにしてしまい、何も解決出来ない可能性は高いですよ。 そもそも‘ある地域’を指した名としての「被差別部落」という言葉って、今の時代そんなに浸透しているのですか? 確かに「部落によって差別される事がある(過去にあった)」という意味で「部落差別」という概念を表す言葉が、広く知られているのは確かでしょうが・・。使われるとしても、それは特定の地域を指す‘名’としてではなく、漠然と広く「差別を受けている部落」という意味で使われているのではないでしょうか?

dendenaaa
質問者

補足

えっと・・・なんだか良く判りにくい文章ですね。 特定の名前を付けずに、単純に「被差別」を取って通常の「部落」という呼称でいいんですよ。 庶民に浸透している云々ではなく、行政の中で腫れ物としてしっかり残り続けており、また人権問題として不可侵領域にもなっており、それが問題になっているのです。

noname#94518
noname#94518
回答No.1

現状は 「差別されるから 補助をもらう」ことが大前提で 部落という名称がなくなると 主張できなくなって 困るらしいです。 我が家のお隣の地区が そういう地区なのですが お互いの自治会やPTAの活動で差別は一切ありませんが 年に4回の 部落がなんたら会(集会所で集まるだけ)をすると その地区の家庭に補助金が配られ 隣接地域の なぜか指名された役員(婦人部とか弱そうな役が指名を受けます)も出席すると ¥5000もらえたり… 出席したんだから文句を言うな的に思えますが_ どうも やめたいといえば文句をいうし じゃ何を求めているのか?と聞けば 部落だからという 何を言っても 言葉尻で「ほら差別した」というばかりで埒があかない 全員で被害妄想なのか? と思いました… 一部の地方で そういう問題が消えたとしても どこかに残るでしょうし… 本人たちが「差別されている人達」であることを続けたいようですから… 動かせませんよ… ※我が家の近くの部落でのオハナシです。他の地区が同じかどうかは知りません。

dendenaaa
質問者

補足

奈良県のある住宅地に住まわれている方々が、「この一帯だけ皆豪勢な家に高そうな車もっとるやろ。これ皆同和の家なんやで。こんなんおかしいやろ」と眉を顰めて語っていた記憶が鮮明に残っています。 もう利権と化しているのでしょう。 人権という、極めて行政が手を出しにくい領域に身を潜めているので手出ししにくいのが歯がゆいですね。

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