• ベストアンサー

次の仮定に基づく思想を発展させたいので何か

逝く人は皆、独り寂しく召されるのだろうと思っていたら、 大海の孤島に残されているのは、実は現生している我々数十億の方だった。 ていう、仮定に基づく思想を発展させたいので、ご意見伺います。 難回答に対しての質問者の感想記述は、不能となる場合がありますのでご了承ください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

ワシは大海の孤島の毎日が楽しくてしょうがないんじゃ。 だから当分はこの孤島で良いから、もっと良い場所につれ行くなんて言わんでほしい。

try50
質問者

お礼

流石は棟梁様。 でも私がご同行いたしますので、ご心配は無用です。 冥土でも一緒に遊んでください。

その他の回答 (4)

noname#134583
noname#134583
回答No.4

こんばんは。(・∀・)ノ ちょと宗教ぽくなるんで嫌なんですが。 >大海の孤島に残されているのは、実は現生している我々数十億の方だった< 今、我々が生きてる世界を天国、地獄と考えてはいかがでしょうか? 我々は、この地球という孤島で取り残されもがき苦しんでるわけですよ。 そして、人は、逝く事により、無という世界(でもこの世界には有しかないんですけれど) ただ、生きている時点では認識出来ない世界です。 私は、そこは、とても静かで何もない世界だと思うんですけど。 そしてまた、新たな(魂)エネルギーとして新たな生命に宿り、また、この世界のどこかに有として 現われるのではないかと思います。 まあ、生命の循環にも似た魂の輪廻転生でしょうか。 只のあほな個人の空想ですが。どうでしょうか?(・∀・)/~~

try50
質問者

お礼

こんにちは。 おもしろい空想ですね。 参考にさせていただきます。 ありがとうございました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

要は気の持ちようだよと言っているのを、一寸気取って言っていると言うことらしいですね。その場合に人を説得するには、そう考えることにどんな生産性があるかを指摘出来るかと言うことでしょう。大抵の場合、それがたとえ正しくても、何でも気の持ちようなんだよという言葉で失意の当事者を説得することは出来ませんので、その生産性を説得するのは大変でしょうね。正に貴方の力量が試されているところですね。

try50
質問者

お礼

「要は気持ちの持ちよう」などと、いつもお気楽に構えていながら難しいことは他人に任せようと、安直に質問する私。そんな姿が写る鏡をこちら側に向けていただいたようですね。 お恥ずかしい限りです。 哲学カテは傍観者に徹しようかな。でもまた質問しちゃうんだろな。

  • zakire
  • ベストアンサー率37% (104/276)
回答No.2

知るも地獄知らぬも地獄。独り孤島に残されるのもまた幸福であったと召された後で知るがいい。 みたいな感じでどうですか。ちょっと暗すぎますかね。

try50
質問者

お礼

こんにちは。 そうですね、ちょっと暗いかなって感じです。 ありがとうございました。

回答No.1

 この質問には“真の孤独とは?”と言った思いが込められているように思います。  死、は孤独な出来事。“何か”に見放されてしまった。  とは言え、生の真っただ中にいる我々は“何か”に見守られているのだろうか、いや、見放されているからこそ、こうして右往左往して生きているのではないのか。  “召される”ほうが幸せなのかも。  

try50
質問者

お礼

こんばんわ 早々のご回答に深謝します。