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人間は他人を必要とする存在として生きることに苦痛を感じる心理について
- 他人や他人との関係について嫌気がさし、悩まなくて済むように離れようとするものの、人間は独りでは生きられないため、嫌いになった場合どうすべきかについて考えられる。
- 人間は日々の生活や労働を通じて豊かな生活を追求するが、仕事や言葉、服装、生活環境なども人間によって創り出されたものであり、それらに嫌悪感を覚えることで生きづらさを感じることがある。
- しかし、この思考は個々の経験や状況に基づいており、一概に判断できない。このような思考を持つ人に対しては、その心理を理解し共感することが重要であり、心の安定や自己受容を促すサポートが必要とされる。
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質問者が選んだベストアンサー
ご質問者様こんにちは。 学校の宿題ですか?(^^;; (1)色々な考えがあって良いと思いました。ただのありがちな物欲的な個人主義ですね。幼い感じのニヒリズムですね。 (2)本人に限らず生命は消えて行く定めです。その捉え方次第で生き方が変わるのでしょうけど、本人の望む生き方がもう定まっているのなら、彼は人の意見などを聞かずに自殺を実行するでしょう。彼のような人間と関わるのは関わる側の人間にも人間的な命懸けの飛躍が必要でしょう。 何か思想を押し付けるのでは無く、存在そのものを肯定するような他者との時間の積み重ねが鍵になると思います。 「霧の中を行けば 覚えざるに 衣しめる」という言葉があります。 これは「霧の中をお坊さんが歩いていたら、着ていた衣が濡れていた」ということですが、この言葉の大事な真意は、このお坊さんはこの霧に濡れようと意識して歩いていたのでもなくて、霧の方もお坊さんを濡らしてやろうなどとという意識もないのです。お互いが意識し合うこともなく、ただ気がついたら衣が濡れていたのです。 教育というのはただ声を張り上げたり、押し付けたりするものばかりでも無くて、普段の生活の中から、じわりじわりとゆっくりと染み込んで行くものもあるのです。硬く強張った思想を挫けさせ、柔らかく弾力のあるものに変えて行くにはお互いがびっしょり濡れ合うような共通の経験と時間が必要だと思います。 ニヒリズムに陥った人間の唯一の救いは、生き続けることに希望を見出すことだと思います。その為には人生を伴走し、助けたり、助けられたりする経験が必要になるのだと思います(^-^) ご参考になれたら幸いです。
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- 22kotoh2013
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(1) ガキだなあって思うけど、思春期なら仕方ない。 それは「人間が嫌い」なんじゃなくて、人付き合いがうまくできず、 傷つくのが怖くて、ただ逃げているだけ。 しかし「自分は人に受け入れてもらえない」ということを認めてしまうと 自尊心が傷つくため、「人間が嫌い」などと高尚な思考を持っているかのように 自らをも誤魔化している。ついでに労働からも逃げる。 子供の頃、近所に浮浪者みたいなおっさんがいて。 ただただ一日中絵を描いていて、家には古書が積み上がっていて。 人に受け入れてもらおうなど全く思わず 人からどう思われようと全くどうでもいいから 何を言われても完全に無視。 完全に孤立してたし服も通報されない程度という感じだった。 まあ、そこまでいけば「人間が嫌い」というのも分からなくはない。 人付き合いに悩む時点で「人間が嫌い」じゃないんだと思う。 (2) 人は、絶対的に「すべき」ことなどひとつもない。 ずっとそう悩み続けながらも現実と折り合いつけていくのもいいし、 前述のおっさんみたいになるのもいい。 その子が、「今苦しい状況から抜け出したい」というなら、 アドバイスするけど。
お礼
回答ありがとうございました。 「人付き合いに悩む時点で『人間が嫌い』じゃないんだと思う」 という言葉には共感が持てました。 ただ、この思考の持主は、人付き合いに悩んだ結果、人間自体が嫌いになってしまったというケースで、人間嫌いという考えは、あくまで後発的に芽生えたものといえると思います。
- vansancan
- ベストアンサー率23% (341/1422)
(1):私も同じような事考えたことがあったなぁ。 でも、人間関係を0にする生き方も寂しくてできなくて、 今ある人間が作った文明や社会から逃れてたくても、 私には、田舎で自給自足の生活も、アフリカの僻地にいるような原住民族みたいな生活もできません。 だから、自分を今ある環境に慣れなくてはいけないのかなぁ。とも思っていました。 (2):私がそのような考え方を持っていた頃は、自分の不器用な性格が嫌いでした。 どこか余計なひと言を言ってしまったり、うまく立ち回れない、情けない自分が嫌いでした。 そして、ほんのちょっとしたことで人を蹴落とそうとする人とか、 人を少しも許さない人とか嫌いでした。 でもある時から、私の周りにはいい人ばかりになってしまいました。 人を気遣い、穏やかで、優しい人たちのほうが圧倒的に多い環境になりました。 すると今度は、いかに自分があさましく、配慮がなく、いやしい人間かを反省する事となりました。 人間、あきらめたら終わりです。 きっと私は最後まであきらめなかったから、いい人と出会えることができたのだと思います。 質問者さんも諦めないでください。 世の中、変な人もいるけど、(いい人たちの中では私が変な人かも。) 優しくていい人、いっぱいいますよ。 優しくていい人たちは、ひっそりとどこかで固まっているんです。 どうか、あきらめないで。
お礼
回答ありがとうございました。 ご自身の経験と重ね合わせた丁寧な回答、とてもうれしかったです。 ちなみに、質問者=この思考の持主 ではありません。
(1)人格障害者だと思う (2)妄想もしくは思い込みがひどくなって反社会的行動をとらないでほしいと思う
お礼
回答ありがとうございました。 確たる理由も書いてくださっていれば、内容によっては、ベストアンサーに選ばさせていただいたかもしれません。 結論は非常にユニークなのに、おしいです。
- ZAZAN
- ベストアンサー率38% (287/748)
1)甘え。まず第一に「自分」が人間であることを認識せず「嫌い」なのは「他人」であることを「人間」と置き換えている時点で破綻している。 単独で快適な世界であれば「自分」が「人間」であっても「生きたい」と思うのであれば「人間」が「嫌い」という根底から破綻する。 ゆえにこの思考は単なる自己中心的な甘えである。 2)係わり合いたくないと思う。一度死線をくぐるような経験をしてみるといいと思う。
お礼
回答ありがとうございました。 実は、質問者もほとんど同様の理由付け・結論に至りました。 ただ、「ここまで生きているのも人間に育てられた結果であり、少なからず恩恵を受けているのはわかっているが」と記されていることから、「『自分』が人間であること」の一応の認識はあるといえます。あと、「他人」は己以外の「人間」を指す以上「人間」と置き換えるのは妥当といえるでしょう。
お礼
回答者様こんにちは。 回答ありがとうございました。 「ニヒリズム」という言葉や、「お坊さんの衣」という例示を用いてわかりやすく考えを述べられています。 特に、「こういった思考の持主はやはり未熟であり、こういった思考を矯正していくには、適切な教育や経験の存在が不可欠である」といったような趣旨が伺えて、独特でした。 予想外の視点からの回答で、とても勉強になりました。 ちなみに、「学校の宿題」ではありません