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大学生の思想・社会への関心の移り変わりの原因は?

当方現在の大学生です。"フツウ"に遊びくらしております 本などで60~70年代の大学についての話を読むと 特に文化系のサークルの内部でというわけでもない、一般の学生同士でさえ 「読書会」「討論」が行われていたなどという記述を見かけ、驚きます そして疑問に思ったのですが (1)当時の学生と現在の学生の差について 当時の学生にとって「哲学・思想」や「政治・社会問題」とはどのような位置づけであったのでしょうか それが、どのように変化して現在に至ったのでしょうか (2)当時学生であった世代の現在について 学生運動に参加した世代にとって、 当時の体験というのはどのような影響を与えているのでしょうか 社会に出てしまえば、ただの学生の戯言になってしまうのでしょうか 社会的要因の分析といったスタイルもありがたいですが 全く個人的な感想でもかまいません。 なるべく多くの方のお考えをお聞かせ頂きたいので、気軽に回答をお願いします。

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  • harepanda
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回答No.6

大学でどのような考え方や思想が広まるかというのは、時代によって大きく異なります。 白樺派の文学者は、ルソーの「告白」から大きな影響を受けています。ルソーは確かに、文学といえば、古臭い昔話や、英雄物語や、教訓的な話や、サロン文化を背景とした甘ったるい恋愛ものしかなかった時代に、突如として自伝というものを世に放ち、物議をかもした人物です。白樺派はこのスタイルから、私小説というジャンルを確立しますが、その一方で、ルソーは社会哲学者としての側面も持ち、自然法思想やフランス革命に大きな影響を与えた人物であったということを、白樺派は忘れてしまいます(もっと昔の明治にまでさかのぼれば、社会哲学者としてのルソーを正当に評価している人もいるのですが)。 現在、高齢者である人々の大学時代の教養は、「でかんしょ」と呼ばれており、これは、デカルト、カント、ショーペンハウエルを3つまとめたもので、彼らの哲学を理解していることが、教養人としてひとつのステータスだったわけです。中曽根元総理大臣は、一番好きな書物はカントの「純粋理性批判」だとしていますが、まさに、あの年齢の人にとっては、カントを読んでいることは教養の一部だったのでしょう。本当に、カントの純粋理性批判を理解しているのかは、知りませんが。 60年代、70年代になると、でかんしょなど全く受けなくなり、学生運動に熱意を燃やすマルクス主義が、学生の間で人気を集めることになります。しかし、この時代が、実存主義者のサルトルという全く違うタイプの思想家の人気の時期に当たっていたことは、意外と言及されません。私は個人的にはサルトルは好きではないのですが、サルトルなくして、日本が誇る天才小説家である安部公房(長生きさえすれば、着実にノーベル賞ものだった人物)や、彼を高く評価している大江健三郎といった小説家(ノーベル賞受賞)を理解することが出来ないのは、事実だと思います。 当時学生であった人たちは、その後、ほとんどのケースでは企業就職したとたん、おとなしくなってしまいます。しかし、中には、太田龍のように、左翼の大物活動家だった人が、革命に挫折した後、アイヌ保護とか自然食運動とかに路線変更した人物もいます。この人は完全にオカルトにはまっており、もはやまともな議論が成立しないところにまで、到達してしまっています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%AB%9C 学生運動を体験した世代の人たちの文化は、団塊世代の大量退職という事態を受けた今日、少なからず復権の動きを見せており、例えばTHE ALFEEという3人バンドのひとりに、坂崎幸之助という日本一のフォークマニアと呼ばれる人物がいるのですが、最近、この坂崎幸之助がNHKに出て、より前の世代の歌手と一緒になってギターや歌を披露したりしています。THE ALFEEは学生運動の世代としては最後の時期にあたるため、少し上の先輩であるフォークソングの歌手とチームを組んで、昔の歌を歌うという活動を、NHKと坂崎がやっているわけです。フォークソングとアコースティックギターは、学生運動時代の若者文化のひとつです。 学生運動の体験は、多くの人にとって、学生の戯言ではなく、今でもなんらかの形で、心の中に残っているのではないかと思います。私は34歳なので確信を持って言うことはできないのですが、学生運動時代にはやった漫画に「カムイ伝」があることを指摘できます。これは、第1部が、被差別部落出身の少年カムイが、差別を逃れようと忍者の世界に飛び込んだところ、忍者には自由などなく、脱走した「抜け忍」はどこまでも追求され殺されるという、恐ろしい世界だったというストーリーです。彼の師匠である赤目は抜け忍となり、赤目があまりにも強力な忍者であるため誰が挑んでも戦いに勝てず、最後にカムイが挑むのですが、やはり敗北、ただし赤目はカムイを殺さず、生かしたままにしておきます。他方、もうひとりの主人公とでも呼ぶべき少年が、農民として成長し、商人を相手に綿やまゆを相場を調査したうえで値段交渉をするなどしながら、露骨にマルクス主義的な理想社会を目指して活躍するという重厚な物語となっています。 しかし、第一部が終了する時点で、すでに学生運動は下火となっており、その後の社会情勢の変化を受け、第2部スタートまではずいぶんと時間を置くこととなります。第2部はがらっと話を変えてくるのですが、これがまさに、団塊世代の抱えている悩みを表明したものなのです。(残念ながら、第1部ほどには、売れていないようですが)つまり、武士の世界でも昔は武力や剣術に秀でた者が評価されていたというのに、平和な時代が始まることで、武士には役人としての実務能力が期待されるようになり、特権階級でありながら自分たちの生き方を見失った若い武士がたくさん出てくるのです。この、時代は変わった、しかし、平和になりすぎて子育てがかえって難しくなったということが、団塊世代の本音だろうと思います。 なお、ストーリーの先の展開は読めているのですが、この作品が本当に完結にたどり着けるのかは、大いに疑問です。物語の展開は明らかで、死んだはずの赤目がカムイが再会し、そこから新時代を築くための活動を始めることが、次のテーマです。赤目と思われる人物が、カムイに言うのです。「初心を忘れおって。抜けるだけが、抜け忍ではない」と。 80年代のバブル期になると、今度はまた、違った思想家がはやるようになります。ポストモダンと称して、フランスの構造主義を導入した人々が出てくるのですが、バブル時代という環境もあって、構造主義の本を持ち歩くことをファッションの一部にしてしまうという、困った現象が出てきます。当時、浅田彰の「構造と力」という本を持ち歩いていることがトレードマークでしたが、これを理解していた人はおそらく少数派でしょう。私は一度読んで概要は理解したつもりですが、専門分野ではないので、正確には評価しかねる部分もあります。この「構造と力」は、「とにかく逃げろ。資本主義社会から逃げろ。それが最高の遊びだ」というメッセージとともに大いに流行るのですが、あまりに不真面目な議論が飛び交う結果となったため、浅田も反省したのか、「自分は本を1冊書くために、200冊読んでいる」などと発言しています。 そして、ようやく私の世代のところまでたどり着きました。団塊ジュニアとかロストジェネレーションとか呼ばれ、バブル崩壊後の厳しい経済状況の中で大学に進んだ人間たちです。私がドイツ観念論という、きわめて古典的で、浅田一派から嘲笑されていた哲学者のヘーゲルを勉強したいとゼミの選定に行くと、そこにはたくさんの同級生がいたのです。教授も首をかしげ、「ヘーゲルを学びたいなどという人間が、こんなにいっぺんに来たのは初めてだ。やはり、不景気になると、人間は内省的になるのだろうか」と言っていました。当時、別にへーゲルが学生の間に人気があった人物であったとは思えません。しかし、浅田の議論に同調できない人が多かったというのは事実でしょう。私たちの世代は、世代全体として学生文化や必読書を作ったという現象を起こさなかったようです。なにしろ、昨今では娯楽も多いし、飛び交う情報量も増えていますから。ただし、新世紀エヴァンゲリオン、大槻ケンヂ(筋肉少女帯)などに見られる、内面性の脆弱さや自己卑下の傾向をもった作品が、比較的、受け入れられやすいという状況にあったことは指摘できると思います。 この先の物語はpekozoさんが書いてください。

noname#82077
質問者

お礼

お礼にするべきところを間違えて「補足」としていました。 失礼致しました。 皆様ご回答ありがとうございました。

noname#82077
質問者

補足

大変充実した書き込み、ありがとうございます。 時系列に追っていくと、アカデミックな世界での思想の流行(?)の影響というものが、今ぽっかりと 無くなっていること >世代全体として学生文化や必読書を作ったという現象を起こさなかった ということを、改めて感じますね。 質問を投稿した時は『60~70年代の学生にとっての「哲学・思想」の位置づけ』が特異なものなのでは、 という興味だったのですが 逆に大きな流れの中で「今の学生」を眺めてみる事が、新鮮な感覚です。 マンガや音楽といったポップな文化と、思想の変化を並べて眺めたこともなかったので、非常に興味深く読ませて頂きました。 時間の時に、もう一度腰を据えてじっくり読ませて頂きたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • ao-golden
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回答No.5

ソ連が1990年(?ごろ)に崩壊しました。 70年代や80年代はその前ですよね。当時、社会主義の思想に理想を見出していた若者が、その理想実現に向けて燃えていたのではないでしょうか。ソ連が上手くいかず、「大きな物語」といわれた夢の終焉の結果、今のような自分のこと(小さな物語)ばかり考える学生が増えたのだと思います。

noname#82077
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 物心がついたころ(?)にはソ連が既に崩壊していた世代の者としては 「社会主義」の持っていたリアリティが、どうしても掴みきれないんですよね。

  • tyr134
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回答No.4

以下は、私の父から聞いた話と自分で聞き知った話です。 父が大学だったころは1960年代で、丁度「安保闘争」をやってたときでした。 当時は、今みたいに「全入時代」ではないけど、少し社会が裕福になりつつあって、父の家みたいな中流くらいでも大学に行ける位になってきた時代みたいです。 で、大学生活はスポーツに精を出すか、本を読みまくるかのどっちで時間を潰した見たいです。(もちろん、どっちもせずぶらぶらするのがいたのは今も昔も変らず) で、当時は大学に入学したら、「部活への勧誘」と共に「思想・政治の同好会」みたいなのの勧誘も凄かったみたいです。 これは別に共産党や創価学会だけでなく、右翼とか新興宗教とか色々ですね。 そこに、うっかり入ってしまうと「洗脳」されちゃうみたいです。 まぁ、「洗脳」というと言葉は悪いですけど、政治的な関心を高められて、その上で一定の思想に沿った政治行動をする人間に育つんですね。 んで、冒頭にも書きましたが、当時の社会情勢として「安保闘争」が繰り広げられていた時代なんです。 これは、「1951年」に結ばれた日米安保の見直しを巡って、政府与党と社会の一部とが激しくぶつかった時代だったんですね。 社会の一部というのは、一般的には共産党や日本社会党などの「左派」が中心だと考えられていますけど、右翼も日米安保反対を旗印に戦ってました。 運動の中心的人物だった清水幾太郎氏も、自身は共産主義でもないのに共産主義者として非難された事があるといってますね。 で、平和運動に疲れて足を洗った時には共産主義者からは「裏切り者」と言われ、リベラル派からは「無節操」との批難を浴びたそうです。 と、話がそれましたが、つまり60年代の学生は安保闘争のまっただ中で、賛成派・反対派がそれぞれ活動を熱心にやってたみたいです。 時には、暴動に遭遇することもあったようですね。 父自身は、政治よりスポーツに入れ込んでたみたいですけど。 次にくる70年代の学生は、60年代とは逆に「ノンポリ=政治的無関心」派が多数を占めたようです。 これは、結局「安保闘争」が失敗に終わった反動のようですね。 総じて政治的には「無気力」な学生が多くなったようですね。 んで、現在に話が飛びますが(笑) 現在は、全入時代を迎えてそんなに必至に勉強しなくても大学には行けます。(一部の難関校除く) 反面、何をして良いか分らずに大学にくる学生が多く、大学と高校とのギャップにショックを受けて鬱になって学生相談室に来たり、目標を見つけられずに中退したりする人が増えているようです。 また、ネットや携帯で氾濫する情報から「自己啓発」を謳った新手の「新興宗教まがい」の商売にはまって、家族関係が壊れたり借金地獄にはまったりと、深刻な問題も出てきているようです。 また、「学級崩壊」や「ゆとり教育」世代が入ってきて、モラルの低下(登下校時に周りに迷惑をかける。授業中に私語して注意されたら、逆恨みして教授を罵る)などの例が目立ってきているようです。 ※もちろん、昔からあったけど件数が増えてる とまぁ、父から聞いた話と私自身が聞き知った内容をツラツラと連ねてみました。 参考になれば幸いです。

noname#82077
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ・社会情勢 ・娯楽の少なさ は皆さんも指摘されているように大きな違いなのでしょうね。 でもそれに留まらず政治的な「無気力」のように、 ある程度引いたスタンス、皆で一つの運動をすることへの拒否感といった 気質の違い?があるように感じ、とても興味深いです。 単純に「昔の学生は熱かった。今の学生は冷めている。」なんて話にはしたくないですけれど。

回答No.3

利己主義の蔓延・日本的道徳の後退・経済的余裕・閉塞感などが挙げられるんじゃないかな。 60年代などは大学生自体、少数でした。凄く優秀か裕福な家庭の出か、でしたので理屈っぽい閑人が多かったです。向学心・知的欲求・エリートとしての責任感と自負もあったからかな。 少し恥ずかしい思い出として残っているだけ。理想も何も強大な資本主義に吹き飛ばされてしまった。

noname#82077
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日本的道徳の後退、についてはちょっとピンとこないのですが 社会のなかでの「大学生」の位置が今とは違ったんですね。 今では高校生が一才年をとっただけ、といった感覚ですから…。 それにしても、本気で共産主義革命が起こると思っていた(のでしょうか?)というのは 現在の感覚からすると、とても不思議に思えます。 革命という言葉にはどの程度のリアリティがあったのでしょう。 フランス革命前や幕末のような「革命の気運」の中にいるという感覚が当時はあったのでしょうか?

noname#57811
noname#57811
回答No.2

社会全体が豊かになり、戦前の支配階級の影響力が薄れ、環境問題が改善した今の「平和ボケ日本」はここ最近30年前後の短い間のことです。 傷痍軍人を見たことのある方。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2353231.html 1964年 アメリカの使節(ハガチー)がデモ隊に阻止され、来日すらできない情勢 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3263279.html http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/bookinfo/1998/kase.html http://blog.goo.ne.jp/langberg/e/eda5d1faf6a2d9da0146dfab1c795a4d

noname#82077
質問者

お礼

問題があったから問題意識もあった。 社会状況が改善されたので関心もなくなった、ということでしょうか。 とても根本的だけど、かけていた視点でした。 ご回答ありがとうございます。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.1

70年代半ばに大学生だった者です。(1)について述べます。ご質問の回答になっているかどうかは自信がありませんが、70年代の学生生活の雰囲気の一端を知っていただければ幸いです。 まず現在と大きく違うのは、この当時の学生生活にはパソコンも携帯電話もインターネットも存在しなかったことです。カネはあまりありませんでしたが、ヒマだけはあり、本でも読まなければ退屈でしょうがありませんでした。「哲学・思想」に関心があったと言うより、大学生になって「共産党宣言」や「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」など古典的な作品を一応読んでいないと馬鹿にされる雰囲気があり、「知的虚栄心(?)」もあって背伸びしてでも読みました。(今でも岩波文庫を持っています。)余談ですが、学生仲間でマージャンをして3900点(ザンク)で上がることを「ヤンマーヘーレン」と呼んでいました。山田盛太郎氏の「日本資本主義分析」という古典に、悲惨な状態の描写として「惨苦(ざんく)の茅屋(ぼうおく)」という表現があり、(ヤンマーヘーレン)というドイツ語のルビがふってあったからです。 読書会・討論は、「勉強」の要素もありましたが「娯楽」でもありました。吉本隆明氏のあの難解な「共同幻想論」が、学生の必読書となり、どれだけ理解できていたかは疑問ですが、「憑人論」「巫覡論」など(章名を読むのも大変です)章ごとの読書会に参加した記憶があります。(結局よくわからず、同書に引用されている「遠野物語」そのもののほうに興味を惹かれました) 「政治・社会問題」への関心も同様で、当時はベトナム戦争が終結に向かっていましたが、「ベトナム戦争についてどう考えるか?」と聞かれて「わからない」とか「関心がない」と答えるのが最も馬鹿にされ、右であれ左であれ、一応は自分の意見を述べないと一人前ではないと思われていたと思います。この時代から30年余、この間の変化の分析は次の世代の方にお願いいたします。

noname#82077
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分個人の感覚で「今の大学生」の代表とするつもりはありませんが、 周囲にそのような古典的作品を読んでいる人がいたら「すごいなー」くらいには思うだろうけども そのこと自体を誇られたら逆に「表面的な評価だ」と感じてしまいますし 社会問題についても、問題が多すぎ、さらにそれぞれが専門化しているために シンプルに論じられても「自分にはわからないということがわからない方がバカ」と冷めた目で見てしまいそうです。 諦めが強いんでしょうかね…