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寂しき親子関係
母より頼み事を頼まれ、一緒に手伝ってやりました。それなのに、後日、利害関係の発生する第三者から「○○(私)が勝手にやったこと。私は知らない。迷惑している」と母が言っていたと聞かされました。不動産に関わることだけにショックで、腰が抜けそうなくらい驚きました。 もっとも、母の裏切りは今回に限ったことではなく、自分の都合が悪くなると人のせいにして責任逃れを図っています。今回は問題が大き過ぎたばかりに、私の耳に入って来たというだけ。小さなことは、私の知らないところで、ちょこちょこと繰り返されているようです。 自分の都合の良いようにウソで人間関係を操作しようとする母。それは典型的なモラハラ人間だと思います。しかし、母も高齢になり、むげに放置できなくなった今、あらためて母との距離の取り方に悩む日々です。 人は子供を産めば、自動的に親になれるというものではないようですね。親に多くを期待してはいけないと自分に言い聞かせるようにしてます。が、時々、涙がでます。ふるさとは遠きにありて思うもの。室生犀星の詩が、ふと頭をかすめます。私と同じような心境にある方、ご自身をどう慰めていらっしゃいますでしょうか。アドバイスを下さい。 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
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- christian0921
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肉親に裏切られるほど苦しいこともありませんね。 わたしも母親に裏切られるたびに、いつか自分の中で、母親の存在をちいさく、ちいさくしながら生きていくようになった記憶があります。 はじめから母親に依存しなければ危害は少ないとおもっていました。 実際は、家族として関わり続ける限り、損害をこうむることは防げないわけですが。 あるときに自分を本当に愛してくれる存在があるとわかったときから、母親が自分を大切にしてくれないことへの怒りから解放されました。 その後に、母親の愚かさや、過ちも受け入れ、赦せるようになって来ました。 母親もかわいそうな人間なんだなと思えるようになったわけです。 母親を通して自分の価値を確認することは子供の本能のようなものかも知れませんが、 母親を通して与えられる自分自身の価値観が必ずしも正しいわけではありません。 友達や、恋人、ご伴侶を通してつたわる自分の価値や、自分の素晴らしさ、自分のいいところをもっともっと信じてみたら良いと思います。 人が生まれてきたからには、その人の人生に価値があり、必ず素晴らしい人生があるからだと信じています。
お礼
ありがとうございます。私も年齢を重ねるごとに母の存在が小さくなってきました。たくさんの人間関係を通して、愛されていることを感じ、愛することを無意識に学ぶことができたからでしょう。母は教えてくれなかったけれど、知らないものは教えられないもの。母は愛されることがなかったのだと思います。寂しいですね。人生の価値は、人を愛すること。それしかないと、今の私は思います。