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なぜ日本は適当な所で講和しなかったのですか?
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日米戦に於いて日本が勝利する確立は80%でした。 特攻警察に依って硬直した考え方しか出来なくなっていた日本では、勝率はほぼゼロと考えて、 真珠湾攻撃をしましたが、通告が遅れたために、猿と戦争して死にたくないと考えていたアメリカ人に 憎しみを与えてしまいました。 参戦したかったルーズベルトには、大きなプレゼントでした。 このとき時代は 国際連盟であり、人種差別をしないようにと松岡全権大使は十字架上の日本し言って国際連盟を 脱退しました。 (世界は五十カ国も無く、植民地ばかりでしたが、日本が満州国を作ったのは違法であるとリットン調査団の違法に対して) 山本五十六が指揮官として旗艦に乗り、真珠湾攻撃そして上陸が必要なのに引き返した。 戦う気力がないとアメリカに見切られて、アメリカは講和には応じませんでした。 アメリカは最初ソビエトにも参戦を要求しましたが、勝ったら領土をやるとルーズベルトは約束しました。 アメリカの兵隊の死者数を少なくするために、ルーズベルトの死後に大統領になったトルーマンは びっくりしました。日本の領土の件でした。 その時に赤ちゃん誕生と電報(原子爆弾成功) そして日本の敗戦では、領土は五分割 二分割案。 これに起こったマッカーサーは原爆を落とすと脅して日本の国土を守りました。 東京から北の土地をもらえると思ってきたロシアの代表団の気持ちはどうでしょうか。 原爆を持っていなかったロシアは北方四島に意地を見せています。
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- truthofjapan
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当時は日ソ不可侵条約を結んでいました。 ドイツがソ連侵攻したとき、同盟国であった日本に対ソ参戦を持ちかけられましたが 日本はソ連のスパイ工作などによりソ連に侵攻せず南進しました。 対米戦争開戦後劣勢になってきたとき、日本はソ連に講話の仲介を頼みましたが ソ連にとってはアメリカと日本が戦うことがソ連の利益になりますので仲介などしませんでした。 対米戦争は負けるとわかっていた戦いでしたが 少しでも有利な講話を目指していた日本にとっては不幸なことです。
- Mokuzo100nenn
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軍人は勝ち方ばかり勉強して、負け方を学んでおらんかったんよ。 まあ、軍人が勝ち方の勉強で精いっぱいちゅうのはしょうが無い面もあるので、文民統制が重要になるんじゃね。
お礼
回答ありがとうございます。