成尋阿闍梨母の訳を教えてください
以下の成尋阿闍梨母の訳を教えてもらえませんか?
二月十六日門出し給ふとて騒ぐに、心のうちおしはかるべし。
なかにも。この孫なる禅師の二人、いみじう泣きわぶる。
聞くにいとどものも覚えず。思ひわびて、仁和寺の律師のもとに
「かかる出で立ち近くなりぬ」と聞こえたれば、おはしたり。
「かばかり思ひ立ちたらん、いかがはせん」とあり。
言はんかたなきに、阿闍梨、なべての人も読まぬ経、いみじう罪も
救ひ給ふを書き出だして、みづからも供養じて、泣く泣く聞かせ給ふ。
法橋、またなどいふ大人して、よう書き書かせ給ふ。
例はたふとくあはれに聞かまほしことなれど、悲しきことに、耳にも聞こえず、目も見えぬやうになり果てて、泣くよりほかのこともなくて、
律師も帰り給ひぬ。
「これらにあるほどに、迎へよ」とやありけん、正月つごもりの日、
仁和寺より車おこせて、迎えにたまふ。阿闍梨の御もとに、
「車率て来たるを、なほ近くて出で立ち給はんも聞かん。今日はこの車返してん」と聞こゆるに、驚きておはして、
「なほ、今日渡り給へ。日次も悪しければ」とて、この孫の禅師どもして、起こし立てて。我も立ち添ひておはする。
「顔をだに見む」と思へど、涙に霧り渡りて、息のあるかぎり泣かまほしけれど、年頃ものも高く言ひて聞かせぬ僧どもの並みゐたる折しも、
「悲しきことよいひながら、今さらにさま悪しき声も聞かせじ、
ただ我失せて別れぬるなり。阿弥陀仏に「救ひ給へ」と念じて、
車にかき乗せらるるほどの心地、おしはかるべし。
死に入りたるやうにてこそはありしか。ゐたる人に、
「奉れ」とて、取らせ置きし。