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なぜエデンのアダムとイブには子供がいないのですか?

なぜエデンの園ではアダムとイブに子供がいないのですか? アダムとイブはエデンの園を追い出された後にカインとアベルを作りました。しかしなぜエデンの園では彼らは子供を作らなかったのでしょうか? 個人的にエデンの園に彼らがいた時間は相当長いと思いますが、その間に子供ができなかったのは不思議でなりません。 よろしくお願いします。

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  • kigurumi
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回答No.11

>誰でも家族、親族がいます。刑務所に入れられるのが自分だけならまだしも家族や親族まで >迫害されたとしたら勇気ではなく自己中心と呼ぶべきではないでしょうか 伝道の書にありますよね。 「不正を見て驚くな、権力者は他の権力者を庇うものだ、善良すぎるな 悪すぎるな どうして運命が来る前に滅びてよかろう」って。 不正を見て見ぬふりをすることで、家族が無事なら、それでいいではないか。ってことですよね。 家族のために自分は不義すらする。 責任転嫁っぽくないですか? 勇気の欠如を家族のために置き換えて自分の勇気の欠如から目を背けている。 子供も「親は正義感が無い」と馬鹿にするようになると思う。 で、不正に目をつぶり悪がはびこる社会を子供に残す。 ただ「私が滅びたら残されたお前が生きていくのが辛くなるだろうから、私が悪を見過ごすことでお前に不自由をさせないで住むのなら、俺はどれだけでも悪を擁護してみせる」ってのは、、、愛とは違う気が・・・・ ここまでになると、もうロックフェラーみたいに開き直ったほうがいいと思う。 「俺は善人じゃあない」って。 http://www.youtube.com/watch?v=f0PDhMZf6Yc 日本は大戦で負けましたよね。 軍部は何をしたかったのか。 http://www.youtube.com/watch?v=dtjZjFqA_GY http://www.youtube.com/watch?v=LOXpznARBNI&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=eODAGhwnbV4&feature=related 世界に人種差別の撤廃を訴えた日本は、潰された。 大戦が始まる前は、ヨーロッパからみたら、アジア人は奴隷だとしか思われていなかったわけです。 同じ平等の人間だとは思われていなかった。 だから、日本はあなたがたと同じ平等であるべき人間ですよ って訴え続けた。 植民地にして支配しないで対等につきあってください って。 「お母さんは自分の体を壊してまで私たちを産んでくれました」とアジアの国が言っていたのを見たとき、涙がこぼれそうになりました。 「状況からして日本を救ってあげられなかったけど、あなたがたの業績は忘れません」って。 日本は壊されたけど、日本の正義の魂はアジア各国に散らばり、それは各国に勇気を与え、支配者のヨーロッパ人と戦う勇気となり、奴隷だった各国はつぎつぎ独立をしてわけです。 旗を振っていた日本を潰して暴動を押さえられたと思ったようだが、破壊したときは既に種はアジア諸国に散っており、種は根づいて育っていった。 これが祖先の業績です。 日本を壊してまで祖先がやった日本の平和・平等の精神の樹立です。

noname#142902
質問者

お礼

<家族のために自分は不義すらする。> 不正を見過ごすことは悪でしょうか。世の中の不正は絶対に無くなりません。その永遠に無くならない不正を見過ごすことは果たして悪なのでしょうか? あなたも会社勤めをしていれば不正など幾らでもある筈です。その不正の全てを見過ごさずに注意して回れますか? 不正を見過ごさないのならば入社してすぐに首になります。首になるように仕向けられます。あなたは他の回答で会社勤めをしている様な記述をしていました。どうも新入社員が上品過ぎてがさつな社風では合わないのではないか、と。あなたが会社勤めをしているのが正しいならばあなたも不正を見過ごしてはいませんか? 不正の無い共同体はありません。その不正を全て暴けばすぐに締め出されるのが落ちです。大人は不正を見過ごします。そこを見過ごせるか否かが大人と子供の境目と私は思っています。大人が良いとは限りませんが……。 <責任転嫁っぽくないですか?> それは言えます。誰かが悪を施す。その悪を理由にして自らも悪になるのは完全に責任転嫁です。この点ではあなたは正しいです。誰かが悪だからといって自らも悪になるのを正当化するのは良くないことですね。 <勇気の欠如を家族のために置き換えて自分の勇気の欠如から目を背けている。> と、なれば家族を犠牲にしてでも善を貫くのが勇気のある人ですか? 善を貫くのならば家族や親族は犠牲にして良いのですか? あなたはそう考えていますか? 勇気の正義の名の元には犠牲があっても良いのですか? 責めているのではなくて純粋に疑問に感じました。 <で、不正に目をつぶり悪がはびこる社会を子供に残す。> 不正の無い社会はありえません。だからこそ仏陀は『この世は苦』と悟りました。また、不正を無くそうと努力しなかったのでしょう。仏陀は『苦しいときには苦しめ』という事柄を仰いました。仏陀流でいくと不正は無視しろ、が正しいと思います。社会はそもそも不正が起こるものです。不正の起こらない社会はありえません。存在できません。ただ、あなたの仰るとおり善に対する熱の強さは失いたくないですね。 <悪を擁護してみせる> 別に擁護しないとは思います。ただ、悪を『見過ごす』だけです。ただ、この見過ごすと言う行為を悪と考えるならば仰るとおり、悪の擁護となるでしょう。 参考URL、見ました。それ程良いビデオがあるのを知らなかったので人生で損をした気がします。特攻隊の部分で涙がポロポロこぼれました。特攻隊の人々の手記は色々と読みましたが、特攻隊はお国の為を思ってもやはり悲しかったそうです。当時は20歳までの命と言われていましたから……。手元の歴史書を読んでいても日本に対しては『悪逆非道』と思わせるまさしく『洗脳』的な記述ばかりです。私は戦後の生まれですが、やはり日本の第二次大戦を賞賛する教育は全くありませんでした。日本が戦争時にアジアの諸国にプラスになったという記述や教えが全く無い教育や教科書には確かに疑問を感じる部分もあります。現在の教育は中立ではありませんね。 欧米人、白人がなぜ黄色人種や黒人を差別したかというと肌の色です。白に近い方が神様に近い。黒は悪魔に近い。そう思って白人は有色人種を差別してきたそうです。 さて、個人的には欧米圏の人間は意地が悪いからキリスト教が必要だったと考えます。欧米圏の人々はキリスト教が無かったら相当の悪行を働いたと思います。キリスト教の名の元に起こった悲劇も沢山あります。しかしもしキリスト教が無かったら欧米圏の歴史は悲惨極まりないものになっていたはずです。もっと言えば第二次世界大戦レベルの技術の戦争があの程度で止まったかどうかも分かりません。何だかんだ言って欧米圏はキリスト教が歯止めになっていたはずです。だからこそ神様は日本には現れずに欧米圏に現れた、と私は解釈しています。 kigurumi様は以前1000ページを超える本を読むと書いていましたが、私も結構そうですね。やはり情報量が多い方が読みごたえがあって良いです。私は3000ページを超える本も結構読みます。ただ、ページ数が4桁になっても情報量の少なさを痛感することは意外と多いですね。と、これを書いても特に意味は無いと思いますが……。 kigurumi様にとって嫌な文面もあって申し訳ありません。しかしkigurumi様の教えは毎回本当に楽しいです。そういう意味で本当に有難うございました。

その他の回答 (14)

回答No.15

zakky74でございます。 >逆に完全に納得がいっている点はありません。ソクラテスの無知の知は有名ですが、私も彼と同じ状況です。 僕がお尋ねしていた点は、まさにその納得がいっていない点についてお聞きしたかったのですが^^; もしかして、納得がいっている点を尋ねていると思われたのでしょうか? >いえ。様々な情報の追求。それこそが後で聞いてきます。すぐに答えを得るのではなく、回り道をすることも時には大切と思っています。仏陀の質問と輪廻転生の質問では迷惑をおかけしたと思っているので、むしろ謝られると申し訳ないです。 そうでしたか。 その様に思われていたんですね。 何だか恐縮です。 しかし配慮は有り難い事ですし嬉しいです。 聖書から、素朴な疑問を感じる方は多いと思います。こうした質問を通して、人類意識の発展に繋がるならば重要な事かと思います。 僕は、人間は集団知能の進化の為に生まれたり死んだりしていると思っておりますので、聖書の疑問を通して人類の集団知能、集団知性に進化が起きる事は喜ばしい事です。 今後も、こうした疑問を投げ掛け続けて下さいませ。

noname#142902
質問者

お礼

<僕がお尋ねしていた点は、まさにその納得がいっていない点についてお聞きしたかったのですが^^; <もしかして、納得がいっている点を尋ねていると思われたのでしょうか? いえ、違います。私自身、自分の知識はあくまでも『真実の可能性』、言い方を変えれば『真実へ至る道具』などと考えています。納得すると満足してしまいます。満足すると追求が終わってしまいます。追求が終われば成長も終わります。だからこそ私は何事にも納得していません。そうすれば何事に対しても追求が続きます。未だに人生は疑問だらけです。例えば何故ドアノブは四角でなくて丸なのだろう、などと。 <そうでしたか。 <その様に思われていたんですね。 その通りです。 <何だか恐縮です。 <しかし配慮は有り難い事ですし嬉しいです。 人間は誰かに迷惑をかけなければ生きられない生物です。と、いうわけで私は殆どの人に対して引け目を感じて生きているのかもしれません。 <聖書から、素朴な疑問を感じる方は多いと思います。 <こうした質問を通して、人類意識の発展に繋がるならば重要な事かと思います。 仰るとおりです。 <僕は、人間は集団知能の進化の為に生まれたり死んだりしていると思っておりますので、 この考え方は新鮮です。有難うございます。またひとつ学びました。 <聖書の疑問を通して人類の集団知能、集団知性に進化が起きる事は喜ばしい事です。 聖書がぼかした記述なのは思想の多様性を生む為かもしれません。聖書が本当に全ての事柄を徹底的に記述していては多様性が生まれないと考えます。 <今後も、こうした疑問を投げ掛け続けて下さいませ。 有難うございます。

回答No.14

エデンの園にいたアダムとイブは神に守られ,いわゆる神の国にいたから死を意識することもなく,子孫を作る必要がなかった。 その後二人は知識の実を食べるという禁を犯し,エデンから追い出されて神の保護から外されたため,死を意識し子孫を残す必要が出てきた。 また罰として女性は子を産む苦しみを課された。 と何となく考えました。

noname#142902
質問者

お礼

死を意識するから子孫を作る、という考え方は勉強になります。確かに死を意識しなければ子孫を作ろうと考えないと思います。自分が死んでも子孫が残る。その思い、子孫が残ることによる救いは大きいですね。

回答No.13

zakky74でございます。 >私自身、アダムとイブは『天国で幸せだったが故に』子供がいなかった、と解釈しています。 なるほどでございますね。 >人間は信心深い場合は異性をやたらに求めないと思いませんか?・・・極端に苦しくなったり眠れない夜を過ごした経験がありません。よって >『信仰からそむくことは子孫を増やす為に必要である』が真理ではないかと思っています。 とても面白い観点ですね。 何だか現代にも照らし合わせたかの様な印象として読ませて頂きました。お話のネタとして、使わせて頂きたいとも思っているくらいです(b-w-stepさんが拒否されるのでしたら僕の胸の内にしまっておきます)。 ところで、これは皆さんの回答を聞く中での現時点のb-w-stepさんの答だったんでしょうか?それとも元々b-w-stepさんの胸の内にあった答だったんでしょうか? >ただ、それが完璧な答えかというとまだ自分の中で完全には納得が行っていません。そのために少しでも多くの考えを知りたいと思って質問しました。 もし宜しければ、b-w-stepさんご自身が完全に納得が行っていない点を共有して頂けたらと思いますが如何でしょうか?因みにそれをお伺いしたところで、今回僕は内容に関してのお応えする事はしないので厚かましいお願いともなるかもしれないですが^^; 応えのみを求めていらっしゃるのでしたら、今回は大変失礼致しております。

noname#142902
質問者

お礼

<お話のネタとして、使わせて頂きたいとも思っているくらいです。 あなたにとってプラスとなるのならばご自由に使ってください。人類70億人(今年の10月頃には到達するそうです)の幸福の為にも使っていただけたら嬉しいです。 <ところで、これは皆さんの回答を聞く中での現時点のb-w-stepさんの答だったんでしょうか? <それとも元々b-w-stepさんの胸の内にあった答だったんでしょうか? 元々あった答えです。闇を知らぬものには光は見えない。だからこそこの世と言う『地獄』を生きる。そういう意味も現世にはあると解釈しています。獅子は子供を谷に突き落とすと言うことはよく言われますが、人間でもそうなのではないか、と思っていました。 <もし宜しければ、b-w-stepさんご自身が完全に納得が行っていない点を <共有して頂けたらと思いますが如何でしょうか? <因みにそれをお伺いしたところで、 <今回僕は内容に関してのお応えする事はしないので厚かましいお願いともなるかもしれないですが^^; 逆に完全に納得がいっている点はありません。ソクラテスの無知の知は有名ですが、私も彼と同じ状況です。 <応えのみを求めていらっしゃるのでしたら、今回は大変失礼致しております。 いえ。様々な情報の追求。それこそが後で聞いてきます。すぐに答えを得るのではなく、回り道をすることも時には大切と思っています。仏陀の質問と輪廻転生の質問では迷惑をおかけしたと思っているので、むしろ謝られると申し訳ないです。

回答No.12

ホント不思議ですよね。 聖書からはフッと疑問に思える事が幾つか頭を過ぎります。 b-w-stepさんの質問を受けて、思い出した疑問がありました。 「アダムとイブにはおへそがあるのか?ないのか?」 「カインは、誰と結婚したのか?」 これは一部ですが、現実に照らし合わせた場合、とても飛躍した様に思える話が沢山でてきます。この辺りが、科学が進化発展した現代では聖書が受け入れられない理由の内の一つなのでしょうが、聖書の解析は、現実から飛躍した理解方式・認識方式ではなくて、現実も理解できて、聖書に書かれている事も理解できて、尚且つ神様の心情も理解できて、人間の生きる意味と価値までもが理解出来ている事が、現代でも受け入れられる最低条件ではなかろうかと思います。 今回、実は僕からの回答という訳ではございませんが、質問に対する現段階でのb-w-stepさんの答としてはどの様に考えていらっしゃるのでしょうか?それをお聞きしたいです。 質問に対する回答ではありませんので、もしb-w-stepさんの目的や意図にそぐわなかったり、気分を害される様でしたらすみません。その場合はスルーしてもらって構いません。

noname#142902
質問者

お礼

いえ、意見表明の場を与えてくださってありがとうございます。私自身、アダムとイブは『天国で幸せだったが故に』子供がいなかった、と解釈しています。人間は信心深い場合は異性をやたらに求めないと思いませんか? 神様から離れること、そしてこの苦しい現世に放り出されることで初めて異性を熱狂的に求めるようになると私は考えます。神様を心の支えにしないで異性を心の支えにしてしまう。恋愛とはそういうものではありませんか? 神様の傍にいつまでもいては普通、異性を求めません。自分がアダムだったらイブよりも神様を崇拝します。そして私は幼い頃から神様を信仰しているが故に異性を求めて極端に苦しくなったり眠れない夜を過ごした経験がありません。よって 『信仰からそむくことは子孫を増やす為に必要である』 が真理ではないかと思っています。ただ、それが完璧な答えかというとまだ自分の中で完全には納得が行っていません。そのために少しでも多くの考えを知りたいと思って質問しました。

  • kagakusuki
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回答No.10

 回答番号ANo.6です。 ><私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。> >という記述があるということは、人間が善悪の実を食べて神様の怒りを買う前にも産みがあったのでしょうか。 >大いに増した産みの苦しみが現在の出産ならば、苦しみの無い出産も存在したことになります。  創世記では、何故この世界が今現在の様な姿と理になっているのかが説明されています。  例えば、蛇に手足が無く、腹で這い歩く理由として、主の呪われたからだとされています。  従って、人間が子供を産む事になった理由の説明として、主が女に対して 「あなたは苦しんで子を産む。」 と仰られた、という第3章17節の記述があるものと考えて、それ以前に出産というものが存在するのは不自然だというのが、私の解釈です。  もし、それ以前に「苦しみの無い出産」というものが存在したならば、 「あなたは子を産む時に苦しむであろう」 という表現になる方が自然だと思います。  実際、主は男に対しては、第3章17~19節において、 「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」 とは仰っておられますが、 「あなたが食べ物を取る(得る)苦しみを増そう」 とは仰ってはおられません。  という事は、善し悪しを知る知恵の木の実を食べた上に夫にも勧めた罰として、増したのは「出産時の苦しみ」(苦しみの量)ではなく、「出産という苦しみの原因」(苦しみの原因の数)だという解釈も成り立つと思います。 ><エデンの園では命の木の実を食べる事で永遠に生きる事が出来るため、子供を作る必要は無かった訳です。> >これについては多様性の増加ということで子孫を増やすことも悪くないと私は思っていました。  キリスト教では、 「生物が今現在の姿や性質を備えているのは、主がその様に創造されたからであり、主は完全な御方に違いないのですから、主が御決めになられた生物の姿や性質もまた完璧であり、勝手に変化したりする筈がない」 という考え方をしますから、子供が生まれても、それは基本的には親と同じ生き物であり、遺伝子の多様性や、進化が起きる事を認めないため、聖書の物語の中では、子孫を残しても多様性は増加しないと思います。(多様性の増加は進化論にも繋がる悪しき事)  余談ですが、taco8ch様がスクープしておられる記事に出て来る「L」さんとは、おそらく、中世にアダムとの関係が噂された「リリス」さん[年齢不詳、職業:サキュバス]の事だと思います。 【参考URL】  リリス - Wikipedia > 6 アダムの最初の妻としてのリリス   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%B9#.E3.82.A2.E3.83.80.E3.83.A0.E3.81.AE.E6.9C.80.E5.88.9D.E3.81.AE.E5.A6.BB.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.AE.E3.83.AA.E3.83.AA.E3.82.B9

noname#142902
質問者

お礼

産みの苦しみが増える、というのを出産と解釈せずに食物を取るという行為と解釈するのがポイントと思いました。 キリスト教で進化論が否定されるのはそれぞれの生物自体が完璧だから、ということですね。こういう背景があるのは知りませんでした。 参考URLまで載せてくださって誠に有難うございました。

  • taco8ch
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回答No.9

『週刊禁実』5月号・本誌総力取材!! スクープ!!アダム氏にバツイチ疑惑!? 発覚!!氏を「お父さん」と呼ぶ8人の娘たち!! 幸せなはずの新婚生活の裏にいったい何が!? ――DV、モラハラ、バツイチ・二人の妻との泥沼愛憎劇―― かねてから妻イブとの不仲説が報じられていたアダム氏(917)に 先妻と複数の隠し子が存在する疑惑が今回我々の取材で急浮上した。 先妻と噂されているのはアダム氏と同い年の女性L。 創造された当初、Lと一心同体ならぬ一身同体であったアダム氏は 彼女と入籍したものの、関係はすぐに冷え切ったという。 原因はアダム氏のDVともモラハラとも噂されるが、 アダム氏本人はこれを強く否定している。二人は別居後ほどなく離婚、 Lはすでに上司とのトラブルで失業中の男性I氏と同棲し、 二人の間には非行著しいの子供もいるというが、本当だろうか。 土から創られたアダム氏だが、先妻との夫婦仲は水と油だったようだ。 その後アダム氏が二番目の妻イブと再婚したのはご承知の通りだが、 再起をかけたエデンでの新婚生活も、かんばしくはなかった。 周囲の話によるとアダム氏には先妻への未練やわだかまりがあり、 二番目の妻イブとの関係もギクシャクしたものだったらしい。 一昨日、紙上をにぎわせた知恵の実窃盗事件の公判の際も、 両者とも罪状を一部否認し、互いの罪を擦り付け合うなど、 土から創られたアダム氏だけに、再婚生活も泥沼だったようだ。 ――「ちょっと野原に行こう…」家族崩壊・弟殺し長男の心の闇―― こうしたアダム氏の女性遍歴は彼の家族関係にも影を落としている。 アダム氏の長男カイン容疑者は次男のアベルさんを殺害後、 アベルさんの死体を遺棄。アベルさんと連絡が取れないのを不審に思い 所在を尋ねる周囲にもカイン容疑者は「知らない」を繰り返したという。 殺害事件の背景には、仕事で差をつけられたことによるアベルさんへの 嫉妬があると見られているが、本人は事件発覚後の現在も逃亡中である。 東部のノデで妻子を連れたのカイン容疑者を見たという 複数の目撃証言はあるものの未だ本人は捕まっていない。 ――「お父さん、認知して」アダム氏がひた隠しにする8人の娘たち―― そして先日ついに取材班は、衝撃の事実を掴んだ! これまでアダム氏には、カイン容疑者、故アベルさん、 そしてアベルさん殺害後に生まれたセト氏の三人の息子がいたと 報じられてきた。しかし取材を進めるうち、アダム氏には 三人のほかに役所に届けていない複数の隠し子、 しかも娘が存在することが明らかになったのである! 事情通のヨセフス氏は本誌の取材に対し、 アダム氏に少なくともひとり以上の娘が存在することを示唆した。 ここで読者のなかには氏の証言に懐疑的な方もいることだろう。 何せ氏はかねてから宇宙の歴史を五千年とのたまう法螺吹きだからだ。 しかし取材班はもう一人の事情通ヨベル氏の証言も聞くことが出来た。   「ああいるよ。姉妹が。長女はカインと次女はセトとできてるね。   うん、そう、近親相姦。この辺じゃもっぱらの噂だよ」 ヨベル氏のこの証言がヨセフス氏の証言と符合するのは偶然だろうか。 またバビロニアの特派員の話では娘は双生児だというが真相は如何に。 アレクサンドリア在住のフィロン氏の関係者を名乗る人物の証言は さらに過激だ。なんとアダム氏には8人もの娘がいたというのである。   「認知するかどうかでもめてたよ。5、6、……8人はいたかなぁ。   あれ(アダム)は親戚の娘だって言ってたけど、   あれに親戚がいるわけないしねぇ(笑)」 この人物は我々の取材に対し8人全員の名前も明らかにしたが、 本誌は彼女たちの人権尊重の観点から匿名扱いとすることとした。 それにしても彼女たちは本当にアダム氏の娘たちなのだろうか? もしそうなら一体いつ、誰との間に生まれた娘たちなのか? 疑惑の渦中にあるアダム氏は未だ雲隠れしたまま真相は闇の中だ。 もしアダム氏が人の子なら取材に応じ世間の前に泥を吐くべきだろう。 土から創られただけに―― --------------------------------------------------   運動不足?気になるメタボ腹に毎朝の習慣つづけませんか?   天然コエンドロ配合のダイエットサポート食品 マナ   (※ 気温の涼しいうちにお召し上がりください)

noname#142902
質問者

お礼

文面といい時折混じるギャグといい、文句なしの傑作特集です。素晴らしいです。本当にありがとうございます。リリスという存在があったことを知りませんでした。手元の聖書をもう一度読み直してみます。そう考えればアダムとイブに子供がいなかったことも頷けます。有難うございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.8

>偶像を作ってはならない』など。聖書は説明責任を放棄しているのではない >かと思います。 うーん 人の奴隷になってしまうからじゃないかと。 例えばダニエル書にこんな内容がある。 遠山の金さんみたいな名奉行的なことをやったとされるダニエルさん。 えっとですね、神様に贖罪のためにささげ物をすることってなっていて、罪の意識を感じたり、神様に信仰を表明するためささげものを人々は神殿にやってきて、動物を神様にささげていたわけです。 ダニエルはたくさんの動物が日々神殿にささげられているのを見て、「神様はそんなに大食漢なのか」と疑問に思った。 実際は神様にささげられていたはずの動物を、料理して食っていたのは神様じゃなくて祭司達だった。 神様にささげることを奨励していたが、実は祭祀たちが腹いっぱいになるために、人々に神様に対するささげ物を推奨していたってわけです。 それを暴いてのがダニエル。 大祭司が神様の偶像を作りあたかも神様が食っているかのように人々に信じ込ませて、人々から搾取していた。 >逆に言えば本当に完全な理論ならば誰もが納得するはずです。 確かに「(心が)貧しいものは幸いである」が貧乏な人や、意地汚い人やねたむ心を持つ人は幸福であると教えるキリスト教はおかしいと思います。 改善する余地があり、良くなる可能性があるからって解釈らしいが、、、、 逆に心が綺麗な人には神様は見向きもせず、改善する人にしか神様は興味が無いとか、、、 違う、、、って思う。 「神の義のために迫害された人は幸いである、彼らは天国にいけるだろう」とイエスは言ったので、布教して殉教すると天国にいけると思うのは間違い。 「迫害」ではなく「追い求める」という意味が正解。 「神の義を希求するものは幸いである。」であって、布教して逮捕されて処刑されることが幸いってことじゃーない。 神の義を追い求めるもの 正義を心底願うものは「そんな場かな これでいいはずが無い」とわかるので、世の中を正そうとしますよね。 フランス革命みたいに。 キリスト教会に抑圧され搾取される日々において、教会は貧しい人は天国にいけると教えているから、キリスト教会の奪われ餓死してものはもれなく天国にいけると本気で思うべきか? ううん おかしいと誰もが思い、ダニエルじゃないが、私服を肥やした聖職者により強奪されていたので、極貧生活になっていたのだと暴いて、聖職者の不正をし、聖職者により汚染された社会を立て直すことができる。 おかしいと思うのなら、不正が存在するせいだと思わなきゃね。 我慢しているだけじゃ 解決しない。 >また、悪はなぜ否定されるのでしょうか? 悪を否定するのは悪ではありません か?  不正を指摘して正そうとするのは悪だと思いますか? 不正に目をつぶって、権力者が超え太り、その他の人々が言いくるめられて搾取されているのを黙っているほうが悪じゃないですか? お互い利益があれば「代官 お前も悪よのぉ」と着服した金を山分けして、「なのか文句あるか あるなら言ってみろ、権力で処刑してやる 俺様は神だ」ってのは、、 どう見ても恐怖政治で、そりゃあ 逆らうと逮捕されて殺されるかもしれないが、それでも誰かが「王様は裸だ」って指摘しない限り、悪ははびこり続けるだけでしょ? 不正を摘発して逮捕されて刑務所に入れられるのが怖くて、見てみぬ不利をしているのは、勇気が欠如しているわけで、よいことじゃない。 勇気の欠如は良いことじゃないですよね? 悪いものは悪いといえる勇気が、世の中を良くするんじゃないかなー 指摘は必ずしも悪じゃないと思いますよ。 それに自分が間違えていて、自分の行為を批判することは悪じゃあないですよね。 正すきっかけになるので、良いことですよね? 例えば話し合いをするにあたって、必ずだれか反対者が意見を言い 協調性が無いと批判される人がいますよね。 でも、その存在は大事なんです。 反対意見も大事なんです。 よくする上で、みんなと意見をあわせず、欠点を指摘して採決を阻止する人も必要なんです。 イラクの日本が経済制裁を与えたときだったか、「やっちゃだめ」って私は思った。 日本は他の西洋諸国にならって、イラクを批判したが、「他の国がイラクが大量破壊兵器を持っているというのなら、イラクは悪い国なので、戦争を支持します」って・・・・ 聞いた話を審議せず、「あなたがそういうのなら、私もあなたに意見合わせるので、それでいいです」って、無責任すぎる。 世界を敵に回しても、「ちょっとまった 真実を確かめもせずに戦争を開始しちゃだめ」って止めなきゃ。 それで、「日本とは取引してやらねーぞ」ってなっても、正義を貫かないと。 憲法の前文は自分さえよければという考えを否定したものですよね。 結局 考えることを怠けた結果、イラクの人たちを不幸にしてしまったわけで、日本が知恵を働かせなかったことは悪とはいえませんが、石油強奪犯の肩をもったという汚点は残りました。 じゃあ 世界を敵に回して日本がかつて世界中にやられたようにイラクとともに世界から経済封鎖を受けてもいいのかというと、、、正しいことを言い続けたら、さすがにモラルのある国の人たちは「日本の言っていることは正しいのではないか」とだんだん日本の態度を支持してくれたと思います。 日本は世界の倫理のリーダーだった。 大戦で負けて腰抜けになってしまった。

noname#142902
質問者

お礼

偶像を作ると、偶像を通して誰かの奴隷になる……。確かに歴史を見てみるとその通りですね。いつの時代も聖職者が一番いい思いをしていたと感じます。カノッサの屈辱ではありませんが、教皇は本当に神様の代行者として正しい行為をしてきたのかというと真逆に感じます。十字軍の度重なる遠征、30年戦争、レコンキスタ……。人類の歴史にとっては宗教こそが一番の悪という考えすら成り立ちそうです。また、どこの教会へ行っても牧師はいい生活をしています。最近、教会の予算編成に加わりました。教会の出費の半分くらいは牧師の説教費だそうです。布教に使うお金は大体1割くらいです。あとは光熱費や建物のお金などに使います。牧師はお金をもらいすぎだと思いました。一般人の平均年収の2倍はもらっていました。 <確かに「(心が)貧しいものは幸いである」が貧乏な人や、 <意地汚い人やねたむ心を持つ人は幸福であると教えるキリスト教はおかしいと思います。 これは私は次のように考えています。自分が醜いと分かる人。つまり自分の心の貧しさが分かる人は幸いである、と言う意味ではないかと。刺青クリスチャンでも悪の限りを尽くしたヤクザだからこそ自分の罪深さを痛感して神様に立ち返りました。清く正しく生きてきた人では自らの罪深さを痛感できないのが普通です。だからこそ自分の罪深さを痛感できる心の貧しい人は幸いなのでしょう。自分の罪深さを痛感できれば神様の元に立ち返れます。 不正とあります。しかし社会というのは不正がつきものです。私達は毎日食事と称して他の生物を殺して食べています。もはやこの時点で私達は不正をしなければ生きていけないことになります。現代は高度な文明です。しかし高度な文明を維持するには大量の勉強が必要なのでストレスが社会に蔓延します。そうなれば不正が起こるのは当たり前です。不正は必要悪です。 <不正を指摘して正そうとするのは悪だと思いますか?>私は思いません。しかし厳密に言えば正義も悪も存在しないと思いませんか? たとえば権力者の子供が重度の病気だとしたら権力者は肥え太ろうとするのが当たり前とは思いませんか? 少なくとも私は子供が重い病ならば搾取するかもしれません。また、権力者は人々から羨ましがられます。しかし権力者は本当に幸せでしょうか? 幼い頃から権謀術数に巻き込まれる苦しみ。教養と称して様々な学問を無理やり習得させられる苦しみ。私の知人に権力者もいますが、やはり不幸な生い立ちです。幼い頃から他の人と一緒に遊ばないで勉強、運動と頑張る毎日。人の顔色を伺い、先生に媚を使う日々。私は権力者の人生は幸せどころかむしろ不幸だと思います。あなた自身もエリート街道まっしぐらの人生を送ったらやはり不幸だとは思いませんか? 自由に遊べないのですから。権力者を批判、否定するのは簡単ですが、彼らの苦しみや痛みをも分からなければ批判してはいけないと思います。人の苦しみなど、人には分からないのが普通です。ですのでたとえ権力者が肥え太ろうとも私は簡単には全否定したくありません。金正日ですら幼い頃には人々に虐められていたのかもしれません。それで人民を虐めてやろう、と。私自身、だいぶ不幸な人生だったので権力者の気持ちは分かります。 <不正を摘発して逮捕されて刑務所に入れられるのが怖くて、見てみぬ不利> これ、自分が天涯孤独だったら特に問題はない考え方です。と、いうよりも不正は指摘するべきです。しかし実際は天涯孤独の人間はほぼいません。誰でも家族、親族がいます。刑務所に入れられるのが自分だけならまだしも家族や親族まで迫害されたとしたら勇気ではなく自己中心と呼ぶべきではないでしょうか。誰かの不正を指摘して家族や親族を不幸にするのは自分勝手とも言えます。子供がいたとしたら尚更です。親は子供の人生に責任を持つべきです。守るべきものがあるのならば不正があっても目をつぶるべきです。不正など、どこにでもあるのですから。不正は必要悪です。少なくとも私はそうやって生きてきました。私達は毎日、多くの生物を殺して食べています。権力者は国民を殺して食べていますか? 違います。それなら権力者は私達よりは可愛い存在だと思いませんか? <悪いものは悪いといえる勇気が、世の中を良くするんじゃないかなー> 完全な悪は存在しますか? 権力者が絶対的に悪だと証明できるのでしょうか? 繰り返しますが、天涯孤独ならばいくらでも指摘して良いと思います。しかし守るべき人々がいるのならば不正を見過ごすのも大人ではないでしょうか。 <それに自分が間違えていて> 間違いとは何でしょうか。人生万事塞翁が馬と言います。絶対的な間違いは存在するのでしょうか。 <イラクの日本が経済制裁を与えたときだったか、「やっちゃだめ」って私は思った。 <日本は他の西洋諸国にならって、イラクを批判したが、 <「他の国がイラクが大量破壊兵器を持っているというのなら、 <イラクは悪い国なので、戦争を支持します」って・・・・ <聞いた話を審議せず、 <「あなたがそういうのなら、私もあなたに意見合わせるので、それでいいです」って、無責任すぎる。 <世界を敵に回しても、 <「ちょっとまった 真実を確かめもせずに戦争を開始しちゃだめ」って止めなきゃ。 しかし世界を敵に回したら石油や食料の供給が止まりませんか? アメリカに守ってもらわなければ中国やロシアに領土をとられてしまいます。正義を主張することで国民を飢え死にさせる権利が政治家にあるのでしょうか? 正しいことは正しいです。しかしそれを見過ごすのもまた大人の道としてあるのではないでしょうか? <結局 考えることを怠けた結果、イラクの人たちを不幸にしてしまったわけで> しかし考えることを選んだ結果、日本の人たちを不幸にしてしまいます。 <正しいことを言い続けたら、さすがにモラルのある国の人たちは「日本の言っていることは正しいのではないか」とだんだん日本の態度を支持してくれたと思います。> これは正しいことを正しくないと言う情報操作が起こるのではないでしょうか。大量破壊兵器があると主張してイラクに攻め込んだアメリカの様に、日本の主張が間違っていると情報操作をされるのが落ちだと思います。私自身、エリートというか権謀術数に長けた人々に囲まれて人生を過ごしたこともあります。しかしそこで知ったエリートのずる賢さ。想像を超えています。情報操作など朝飯前です。エリートは素晴らしいのではなく、ただ単に潰し合いがうまいだけです。しかも想像を超えた要領のよさを持っています。彼らからしたら一般人など潰されるのを待つアリと言っても過言ではありません。どこの国でも同じはずです。善と悪。悪の方が強いです。いつの時代でも悪が上にいます。と、なれば悪を指摘して正したとしてもまた悪が出てきてしまいます。悪には終りがありません。終わりがない悪ならば、指摘するのも無駄に思えてきます。また、生物という観点から見ると悪は生物として正しいあり方です。 <日本は世界の倫理のリーダーだった。> これは賛成です。軍部の暴走は困りますが、一般国民の倫理観は日本は世界トップでした。日本の女は世界一だ。日本は優しい。日本は真面目。日本は親切。どこの国でもそう言われていました。それを鑑みるにやはり日本は倫理のリーダーでした。また、日本はお代官の悪行に耐えてきたことでその倫理観を養ったともいえます。日本というのは耐え続ける国民です。耐えることは美徳と言われたくらいですから。権力者は基本的には悪です。しかし我慢強く倫理的に優れた国民を生むという点では権力者も善になりうると思います。大戦で負けたからというよりは経済成長で物を得て心を失って腰抜けになったのだと思います。 嫌がらせみたいな厳しいお礼で申し訳ないです。文面も厳しくてすみません。これはkigurumi様を苦しめようと思って書いたお礼ではないことを覚えておいてください。読んでくださって有難うございました。 

回答No.7

 こんにちは。  ★★(No.6お礼欄) ~~~    <私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。>  という記述があるということは、人間が善悪の実を食べて神様の怒りを買う前にも産みがあったのでしょうか。大いに増した産みの苦しみが現在の出産ならば、苦しみの無い出産も存在したことになります。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ このお考えにちなんでのひとつの見方です。  1. アダムらに子どもがいてもよかった。けれども 話がこんがらがるので触れなかった。  2. というのも エデンの園においては 情欲のない生殖が可能であったという命題があるからです(アウグスティヌス)。   3. ですから いわゆる原罪というへそ曲がりが起きる前と後とを取り上げるというとき アダムらの子どもについては触れなかった。  むろんいなかったのかも分かりません。いづれにしてもということです。

noname#142902
質問者

お礼

<エデンの園においては 情欲のない生殖が可能であったという命題がある> これは知りませんでした。ありがとうございました。また1つ学びました。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.6

 聖書の内容は、細部が異なる幾つかの伝承の寄せ集めによって構成されています。  アダムとイブに関する記述がある創世記は、ヤハウィスト資料(J資料)、祭司記者資料(P資料)、エロヒスト資料(E資料)と呼ばれる3つの伝承を基にして成り立っていて、創世記の始めから第2章4節の前半まではP資料、第2章4節の後半から第4章の終わりまではJ資料が基になってると考えられている様です。 【参考URL】  文書仮説 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9B%B8%E4%BB%AE%E8%AA%AC  聖書の呼ぶ声 > 旧約聖書とは   http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/kyuyaku.html  異なる伝承が基になっているため、例えばP資料による創世記の始め~第2章4節の前半では、   草木の創造(第1章11~12節)⇒水生生物と鳥の創造(第1章20~21節)⇒陸上動物の創造(第1章24~25節)⇒人間の男女の創造(第1章27節) という順番になっているのに対して、J資料による創世記の第2章4節の後半~第4章の終わりでは、   人間の男の創造(第2章7節)⇒果樹の創造(第2章9節)⇒鳥獣の創造(第2章19節)⇒人間の女の創造(第2章21~22節) という順番になっている様に、細部に矛盾があります。 【参考URL】  創世記(口語訳) - Wikisource   http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)  そこで、創世記を良く読んでみると、P資料による創世記の始め~第2章4節の前半には、エデンの園に関する記述自体が存在しませんし、人間の男女というだけで、アダムとイブという名前も登場しません。  そして、エデンの園やアダムとイブに関する記述は、J資料による創世記の第2章4節の後半~第4章の終わりにのみ存在しています。  主は創世記の第1章28節において、人間の男女に対して 「生めよ、増えよ、地に満ちよ」 と御命じになられていますから、人間が子供を産む様になったのは、この時からであると言えます。  しかし、この部分はP資料を基にしている部分であり、前述の様に、エデンの園とは別の話である可能性があります。  そして、エデンの園が登場する、J資料による創世記の第2章4節の後半~第4章の終わりの部分においては、主は 「生めよ」 とは仰ってはおられません。  J資料による部分で、人間の出産に関して触れられているのは、アダム達が「善し悪しを知る知恵の実」を食べた事を、主が御知りになられてから、アダム達がエデンの園から追い出されるまでの間である、第3章17節において、主が女に対して 「私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。」 と仰っておられる箇所が最初です。  従って、エデンの園が登場するJ資料の伝承では、エデンの園で暮らしていた頃には、まだ主に「生めよ」とは言われていなかったため、人間には子供を作る性質が備わっていなかった、という可能性があると私は思います。  因みに、第2章9節に 「園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。」 という記述があり、第3章22節には 「主なる神は言われた、『見よ、人は我々の一人の様になり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない』。」 という記述がある事から判る様に、エデンの園では命の木の実を食べる事で永遠に生きる事が出来るため、子供を作る必要は無かった訳です。

noname#142902
質問者

お礼

<私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。> という記述があるということは、人間が善悪の実を食べて神様の怒りを買う前にも産みがあったのでしょうか。大いに増した産みの苦しみが現在の出産ならば、苦しみの無い出産も存在したことになります。 <エデンの園では命の木の実を食べる事で永遠に生きる事が出来るため、子供を作る必要は無かった訳です。> これについては多様性の増加ということで子孫を増やすことも悪くないと私は思っていました。 WIKIの参考URLまで示してくださって有難うございます。聖書自体に様々な資料があることが驚きです。今読んでいる聖書とは違った創世記の存在も驚きです。 長く、丁寧な回答。誠に有難うございました。

回答No.5

現実に存在したかどうかは別にして、論理的に考えれば、 アダムとイブは、悪魔にそそのかされて善悪の実を食べる までは不死=永遠の寿命だった訳ですから、生殖機能が あったら人口爆発で夏休みの海水浴状態になってしまいます。 それはそれで失楽園、ていう?(^o^)

noname#142902
質問者

お礼

確かに、生殖機能があったら大変ですね。知恵をつける前は人間は生殖能力が無かったのでしょう。恐らくは。逆に言えば生殖能力自体も『知恵』なのかもしれません。生殖能力は知恵。神様は元々人間という被造物に生殖能力は持たせていなかった、ということでしょうか。 最後の方のオチが意味が分かりませんでしたが、回答ありがとうございました。

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