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なぜ旧約聖書のエデンの園にはアダムとイブだけ?
なぜ旧約聖書のエデンの園にはアダムとイブしか人間がいなかったのでしょうか。 エデンの園でアダムとイブは幸せに暮らしていた、と学びました。 しかし逆に言うとなぜもっと大勢の人間がエデンの園にはいなかったのでしょうか? よろしくお願いします。
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広大な世界に唯一存在した神が 擬似的な家庭を作ろうとしたんでしょう。互いに愛し合い生活する様子をじっと見ていた だから他の物を作るのを忘れたのかも その後残念な結果になってしまうわけだが
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- kojikino-yama
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自分で書いてて思ったんだが、アダムは土くれ、イブは骨だと言う これって死んでしまった神さまのお父さんとお母さん!? だとしたら悲しいね
お礼
『死んでしまった神さまのお父さんとお母さん』というのは……斬新です。 一見するとありえなさそうですが、この様な意外な考え方は非常に大事です。 以前の回答者の方の考えと合わせると次の結論が導き出されます。 親を失うなどしてはぐれた神は実はひとりぼっちで寂しがりやだった。 だからこそ世界を創造し、アダムとイブを創造して彼らの幸せを眺めるのが神の幸せであった。 神は優しいと同時に哀れむべき存在だったのである。 恐らく私の提示した考えはありえないと思いますが、 絵本などの物語には良さそうです。 斬新な回答ありがとうございました。
- haiiro-neko
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神の気まぐれで自分に似せたアダムをつくり、その後、アダムの肋骨からイブをつくりました。 但し、そのアダムとイブは感情を持たない存在です。 したがって、単なる飾りとして作った人間ですのでそんな多量に必要としていない訳です。 ここで、神の予想外行動として、ヘビがイブに知識の実を食べさせたことで感情が芽生え、アダムにも同様のことを行い、両者に感情が生じてしましました。 感情の生じた人間が不要になったため、エデンから追放させられその後、増殖して今のようになったとのことです。 感情を持たないエデンが幸せかどうかは、個々の判断に任せます
お礼
蛇の誘惑は予想外の行動だというのは興味深いと思いました。 感情を持たないエデンが幸せかどうか……というのも非常に興味深いです。 子供と大人に似ていると思います。 幸せしか知らない子供、幸せを知っているが苦しみも知っている大人、どちらが幸せか……です。 私は例え苦しみに満ちていたとしても大人でいたいと考えます。 最後の一行がとても考えさせられます。 丁寧な回答ありがとうございました。
- muyugusanjin
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神が、アダムとイブしか創らなかったと言いますから、 神に聞くしかないでしょ。
お礼
その通りです。 神に聞くしか無いかもしれません。 神と直接は話が出来ないから結局は分からないですが……。 現実的な回答ありがとうございました。
- Willyt
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神様が二人しか人間を作らなかったのだから仕方ないですよ。沢山いればそれだけもめ事が多くなっていさかいが起きるじゃないですか(^_-)
お礼
私と同じ考えの人がいて嬉しいです。 確かに多くの人間がいればそれだけ諍いが起こって困ります。 単刀直入に分かりやすく回答してくださりありがとうございました。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
最初に 神様は、 最初の男性アダムを作られ、その肋骨を一つ取り出し、 最初の女性エバ(イブ)を作られました。 二人は、初めから大人の不死不滅の体で作られ、 いつでも果実を得られ飢えることないエデンの園で夫婦となりましたが、 子を授かる前に、 蛇に化身した悪魔の誘惑に負けて、 神から食べてはならないと言われた、食べると知恵を得る代わりに成長老化の果てに死ぬ体となる 知恵の木の実を食べた罪を犯したために、 神の命令でエデンの園を出て、 狩りや農耕で働いて、生き子を産み育てる現代社会につながる生活を送るようになりました。 旧約聖書創世記より ※アダムから始まる人の罪を赦し、 罪で死した人類を復活させるために、 働かれるキリストが イエス様であると説くのが、新約聖書です。
お礼
アダムとイブに子供がいない理由が分からなかったのですが、 子供が出来る前に蛇に唆されたのは知りませんでした。 聖書やキリスト教まわりはwikipediaに非常に興味深い資料が載っていました。 聖書は非常に奥が深いです。 色々と丁寧に教えてくださりありがとうございました。
- comattania
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物語を作る作者がいなかったのでしょう。或いは、作らなくても不思議に思うほど、教育程度の高い人は皆無に近かったのでしょう。聖書に限らず、どの経典も言葉を殊更難解にして威厳を持たせていますから、聞く人は、意味がわからなくても有り難くなっちゃうのです。
お礼
<どの経典も言葉を殊更難解にして威厳を持たせていますから>というのは成る程と思いました。 難解にすることによって経典を偉そうに見せている、ということなのですね。 確かにそれはあるかもしれません。 日本の聖書は非常に難解な文章だと思います。 意味が分からないからこそ有り難い、という考え方もあるかもしれません。 回答ありがとうございました。
お礼
確かにそうかもしれません。 『擬似的な家庭』という考え方には驚きました。 神だけしか存在しなければ神も寂しかったのかもしれません。 最後の一行がいい味をかもし出しています。 興味深い回答ありがとうございました。