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なぜエデンのアダムとイブには子供がいないのですか?
なぜエデンの園ではアダムとイブに子供がいないのですか? アダムとイブはエデンの園を追い出された後にカインとアベルを作りました。しかしなぜエデンの園では彼らは子供を作らなかったのでしょうか? 個人的にエデンの園に彼らがいた時間は相当長いと思いますが、その間に子供ができなかったのは不思議でなりません。 よろしくお願いします。
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お礼
<家族のために自分は不義すらする。> 不正を見過ごすことは悪でしょうか。世の中の不正は絶対に無くなりません。その永遠に無くならない不正を見過ごすことは果たして悪なのでしょうか? あなたも会社勤めをしていれば不正など幾らでもある筈です。その不正の全てを見過ごさずに注意して回れますか? 不正を見過ごさないのならば入社してすぐに首になります。首になるように仕向けられます。あなたは他の回答で会社勤めをしている様な記述をしていました。どうも新入社員が上品過ぎてがさつな社風では合わないのではないか、と。あなたが会社勤めをしているのが正しいならばあなたも不正を見過ごしてはいませんか? 不正の無い共同体はありません。その不正を全て暴けばすぐに締め出されるのが落ちです。大人は不正を見過ごします。そこを見過ごせるか否かが大人と子供の境目と私は思っています。大人が良いとは限りませんが……。 <責任転嫁っぽくないですか?> それは言えます。誰かが悪を施す。その悪を理由にして自らも悪になるのは完全に責任転嫁です。この点ではあなたは正しいです。誰かが悪だからといって自らも悪になるのを正当化するのは良くないことですね。 <勇気の欠如を家族のために置き換えて自分の勇気の欠如から目を背けている。> と、なれば家族を犠牲にしてでも善を貫くのが勇気のある人ですか? 善を貫くのならば家族や親族は犠牲にして良いのですか? あなたはそう考えていますか? 勇気の正義の名の元には犠牲があっても良いのですか? 責めているのではなくて純粋に疑問に感じました。 <で、不正に目をつぶり悪がはびこる社会を子供に残す。> 不正の無い社会はありえません。だからこそ仏陀は『この世は苦』と悟りました。また、不正を無くそうと努力しなかったのでしょう。仏陀は『苦しいときには苦しめ』という事柄を仰いました。仏陀流でいくと不正は無視しろ、が正しいと思います。社会はそもそも不正が起こるものです。不正の起こらない社会はありえません。存在できません。ただ、あなたの仰るとおり善に対する熱の強さは失いたくないですね。 <悪を擁護してみせる> 別に擁護しないとは思います。ただ、悪を『見過ごす』だけです。ただ、この見過ごすと言う行為を悪と考えるならば仰るとおり、悪の擁護となるでしょう。 参考URL、見ました。それ程良いビデオがあるのを知らなかったので人生で損をした気がします。特攻隊の部分で涙がポロポロこぼれました。特攻隊の人々の手記は色々と読みましたが、特攻隊はお国の為を思ってもやはり悲しかったそうです。当時は20歳までの命と言われていましたから……。手元の歴史書を読んでいても日本に対しては『悪逆非道』と思わせるまさしく『洗脳』的な記述ばかりです。私は戦後の生まれですが、やはり日本の第二次大戦を賞賛する教育は全くありませんでした。日本が戦争時にアジアの諸国にプラスになったという記述や教えが全く無い教育や教科書には確かに疑問を感じる部分もあります。現在の教育は中立ではありませんね。 欧米人、白人がなぜ黄色人種や黒人を差別したかというと肌の色です。白に近い方が神様に近い。黒は悪魔に近い。そう思って白人は有色人種を差別してきたそうです。 さて、個人的には欧米圏の人間は意地が悪いからキリスト教が必要だったと考えます。欧米圏の人々はキリスト教が無かったら相当の悪行を働いたと思います。キリスト教の名の元に起こった悲劇も沢山あります。しかしもしキリスト教が無かったら欧米圏の歴史は悲惨極まりないものになっていたはずです。もっと言えば第二次世界大戦レベルの技術の戦争があの程度で止まったかどうかも分かりません。何だかんだ言って欧米圏はキリスト教が歯止めになっていたはずです。だからこそ神様は日本には現れずに欧米圏に現れた、と私は解釈しています。 kigurumi様は以前1000ページを超える本を読むと書いていましたが、私も結構そうですね。やはり情報量が多い方が読みごたえがあって良いです。私は3000ページを超える本も結構読みます。ただ、ページ数が4桁になっても情報量の少なさを痛感することは意外と多いですね。と、これを書いても特に意味は無いと思いますが……。 kigurumi様にとって嫌な文面もあって申し訳ありません。しかしkigurumi様の教えは毎回本当に楽しいです。そういう意味で本当に有難うございました。