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切腹する時に首を切る人の地位
予めお断わりしておきますが、歴史は大の苦手です…汗 質問ですが、昔、切腹するときに首をはねて補助する係の人がいたんですよね? その人の地位はどのようなものだったのでしょうか? 友人が被差別的な扱いを受けていた人がなったと言っていたのですが、私は逆に剣の達人みたいな人がなって、切腹後のいろいろな処理を被差別的な地位の人がしていたと習ったような気がします…。 実際にはどうだったのでしょうか?
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友人の方は切腹と斬首(打ち首)を混同されているようです。 江戸時代の死刑で切腹は、罪人の名誉をもっとも重くみた もので、武士階級(士分)かこれと同格と認められた罪人に 適用されました。 それ以外は斬首などの不名誉な死刑に処せられました。 切腹といっても実質は斬首と同じで、首を切られるわけですが 形式上では罪を恥じて自殺を図る形をとります。 自栽は士分の者の名誉ある行動でした。 それで切腹の首切り役も士分の者で、介錯人と名付けられ ました。 斬首の場合はただの首切り役で士分の者とは限りません。 介錯人の地位は罪人の地位により相応に上下します。 しかし罪人の処刑は穢れ役なので、普通は上士が介錯人に なることはありません。 幕府では旗本(概ね二百石以上で将軍に目通りゆるされる) でなく、徒士目付、徒士、同心、足軽など下士の中で剣術に 優れたものが選ばれました。 大名の切腹、例えば忠臣蔵5万3千石浅野内匠頭の切腹の 介錯人は幕府の徒士目付(100~200石)でした。 四十七士の切腹では、預けられた大名、旗本の家臣の足軽 が介錯人のようでした。 先賢の答えにある幕府の首切り役の山田浅右衛門(代々の 名乗り)は、士分でなく浪人のままで務めていたので、首切り 役は被差別の者がすると誤解されたのかも知れません。 処刑後の死体のあと始末をある段階から、被差別の者がして いたことはあるでしょう。 首切りは穢れ役といいましたが、罪人の処刑との意味であり 試し切りは武芸の鍛錬として、武士~大名まで行われており この辺の感覚は難しいようです。
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>友人が被差別的な扱いを受けていた人がなったと言っていたのですが、 これは、磔などの際に槍をついて処刑する人のことであると思います。 民衆の前で、そのような残酷な作業をするというのは、卑しい行為である…また、民衆の不平不満を差別意識に結びつけるために、そのような被差別的な立場の人にやらせていた…らしいです。
お礼
ありがとうございます。 同じ「死刑」でも扱いが違うんですね!
- Purish77
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江戸時代なら、「山田浅右衛門」(個人の名前では無く、歴代の御様御用が名乗った名前です)が有名ですよね。 (参考URLにwikiのアドレスを載せておきました) こちらなら、質問者さんの書いている見解の方が正しいですかね。 個人的には、必殺仕事人で滝田栄さんが演じていたのが、印象的です。
お礼
ありがとうございます。
- lions-123
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>切腹する時に首を切る人の地位 ↓ 「介錯人」だと思います。 切腹は苦痛を伴い、致命傷になり難い(処刑・自殺)ものですので・・・形式的な切腹と斬首による死刑が現実だと思います。 その為に、戦場や自発的(自殺)な場合と違い、処刑の折には、刑罰を決める際に介錯人も任命されるケースが多かったようです。 映画の「子連れ狼」で有名になった元・公儀介錯人:拝一刀のような専門役職では無かったが、武芸や太刀筋のしっかりしている下級役人や経験者が任命されたケースが多い。 また、その死骸の処理はご指摘のような非人(被差別部落者)が主に扱った。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E9%80%A3%E3%82%8C%E7%8B%BC ◇切腹と介錯人 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9 http://www.budoshop.co.jp/Yoshimine%20/bh2006/20-Harakiri.htm
お礼
詳しくありがとうございます。
- 風車の 弥七(@t87300)
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特に地位はありませんが腕の立つ侍が介錯を行いました。 人間の首をはねるには腕の立つサムライでないと出来ません。 被差別の人は刑場で死罪になった罪人の死体の後片付けをします。 第一この人たちは刀を持ったことがないのですから、侍の介錯は出来ませんし、武士の家に立ち入る事も出来なかったのです。 wikiより抜粋 9.正介錯人は、切腹人に対して名を名乗り一礼する。そして、正介錯人は後ろに回り、介錯刀に水柄杓で水を掛けて清め、八双に構える(構えには諸説ある)。 10.切腹人は、検視役に黙礼し、右から肌脱ぎする。左で刀を取り、右手を添えて押し頂き、峰を左に向け直し、右手に持ち替え、左手で三度腹を押し撫で、臍の上一寸ほどへ左から右へ刀で突き立て(臍下深さ三分ないし五分とも)、切腹人が刀を引き回す所で、介錯人は首を「皮一枚」残して斬る。皮一枚残して斬ることを「抱き首」といい、この形に斬るのが介錯人の礼儀とされた。抱き首の形にするのは、首が飛んで落ち、土砂に汚れるのを防ぐための配慮や、「身体を分割するのは親不孝」との儒教思想の影響があるため、また胸にぶら下がる首の重みで体を前に倒すためともいう(討ち死には敵に頭を向ける前のめりの形が美しいとされた)。ただし、例えば土佐では皮を残さず切り落とすなど、地方によって異なり、切腹人があえて首を切断することを希望する場合もあり、必ずしも「抱き首」にしなければならないということはなかった。 11.介錯が済むと、表裏白張り白縁の屏風をめぐらせ、死骸を人に見せぬようにする。副介錯人が首を検視役に見せて切腹人の絶命を確認し、切腹の儀式は終了する。柄杓の柄を胴に差し首を継ぎ、敷絹で死骸を包み、棺に納める。 どこにも被差別の人は記載されていません。
お礼
ありがとうございます。 私もWikipedia見たんですがチンプンカンプンで…汗 噛み砕いてくださって助かりました。
お礼
詳しくありがとうございます。 スッキリしました!