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和歌に詠まれた月と星の数の違いについて
百人一首や古今集などに月が詠まれたものは数多くあるのに、星が詠まれたものは 特に百人一首の中には一首もないのですが、この違いはどうしてなのでしょうか? 私は、日本人は農耕民族なので早く打ちに帰って、星空を見上げることもなかったから かな、とも思うのですが、もう一つはっきりとしません。 この件についてぜひご意見を聞かせてください。
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どの程度、和歌に登場する月と星の数が違っているか「二十一代集データベース」で比べてみたところ、「月」は4957件、「星」は70件で月は星の70倍以上でした。 ただし、「星」は「星合」(七夕の夜におりひめ星とひこ星が逢うこと)も含めれば「天体の星」ですが、「月」には「みな月」や「年月」といった「天体の月」以外の歌も少なからず含まれています。 そこで「月影」と「星影」で調べてみたら、409件対0件で「月影」の圧勝、「月の光」「つきのひかり」と「星の光」「ほしのひかり」で調べてみたら「月の光」が31件、「つきのひかり」が46件なのに対して、「星の光」はわずかに3件、「ほしのひかり」も4件で、これでも10倍以上違います。「ほしのひかり」が登場するのは以下の4首で、全部13世紀以降の和歌集の歌でした。 1.新勅撰和歌集(1235年) くもりなき 星の光を あふきても あやまたぬ身を 猶そうたかふ 2.3.風雅和歌集(1346年) 月や出る 星の光の かはるかな 涼しき風の 夕やみのそら 月ならぬ 星の光も さやけきは 秋てふ空や なへてすむらん 4.新千載和歌集(1359年) 暁の ほしのひかりも ほのかにて 名残をしたふ 朝くらの声 なおこの月と星が登場する頻度に大差がある理由につきましては、過去の質問の回答が参考になるかと思います。
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思うままに書いてみます。 万葉集の歌が詠まれた頃には、大陸文化の影響も大きく、星の歌なども、中国の伝説を下味にして詠まれたことでしょう。 しかし、人麻呂の”星の林、月の船”も、星は背景扱いで、あくまで主役は月の船です。月が星の間を漕ぎ渡るのを、切ない思いで見ていた。船は棺のことですので、儚くなってしまった人の面影を月の面に映してみたことでしょう。 時代が下って古今集の頃になると、もののあはれが京のみやこを覆い尽くします。移ろい行くものを美とする心です。ですから、散る花や、欠けてゆく月はことさらに愛されました。春は桜、秋は萩。雨の夜に雨雲の上にあるであろう月を想い、雨月などという言葉もできます。 清少納言が昴に言及していますが、彼女はいわゆる大陸かぶれで、当時の女性としては珍しい、乾いたウィットに満ちていたことは、枕草子を読めば、一目瞭然です。 繰り返しになりますが、日々変化し、人の心をはらはら、どきどきさせる月に比べ、一定不変の星は、日本人の心をつかむことができなかったのでしょう。たまに彗星が現れると、逆に凶兆として大騒ぎになったのはご存知のとおりです。 そういえば、落語に”お星様はいかがじゃ?”とお殿様。”星に様はいりませぬ。”と三太夫。”して、星めらは?”というのがありました。星めらだったのですね。
お礼
ユニークかつシニカルな趣のあるご説ありがとうございました。 なるほど、星は背景扱いでしたか。清少納言が大陸かぶれというのもはぁ、そうだったのかなと笑えました。 乾いたウィットね・・・本当にカラッと突き抜けた感じが私も好きでした。 移ろいゆくものへのあはれから、月への執着が生まれたのですかね。 星もまた季節によって夜空を彩る形が変わるのですけど、クッキリ隈なき月に比べて、星は何やらいつもごちゃごちゃと光っていて関心を引かなかったという見方は説得力がありますね。 確かに、星座に興味を持ち、一つ一つの星座の名前を覚えて初めて像を結んだけど、それまでは天に無数にごちゃごちゃと散らばるチカチカとした光の集まりでしかなかったです。 月を太陽の添え物として見ずに、月だけに特別な思いを寄せた日本人の美意識は光りますね。 満月を狼男の変身のもとにしたのとは全くかけ離れているようですね。 とても面白い想像が広がりました。
- cyototu
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百人一種にも一首は言っていますよ。 かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける ただ、天の川だ星だと直接言っていないだけです。 男の目からのみ詠まれていたかどうかも、何とも言えない歌もあります。前にあげた例で 2044: 天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば 2047: 天の川川の音清し彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか なんて如何にも情景描写のような歌でも、 庭の松虫音(ね)をとめてさえ もしや来たかと胸さわぎ なんて都々逸を比べると、相通じる物がないとも言えないような深読みも出来ないわけではありません。歌は生き物で、それを聞いている人によっていろいろ感慨が違うんじゃないですか。
お礼
ありがとうございました。 私も、その歌については、かささぎの渡せる橋というのが、宮中の階(きさはじ)の意味ではなくて、 カササギが白鳥座のことで、霜が、夏の大三角の間を流れる天の川を意味しているという説を見たことがあり、それが本当なら、雄大な歌だなあ、しかも星を詠んでいる!と感激したことがあります。 私の知らない多くの詩歌があったことを皆さんに教えていただいて感謝です。 百人一首の中に月の歌の方が多いのは、こうなると単に選者の好みと言うか感性と言うことなのでしょうかね。 金星を夕星(ゆうづつと呼ぶ感性もいいなと思います。
- cyototu
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万葉集で星に関する和歌(長歌は除く)をあるウエッヴサイトから取ってみました。天の川も星ですのでそれを入れると大変な数になります。日本人も星空を見上げてたんですね。実はもう十歌ほどあるのですが、字数制限で載せられませんでした。 ただし天の川はどちらと言うと七夕の恋歌ですから、日本人は星を観測する民族と言うよりも恋する民族なんですね。日本人は何でも恋にしちまうようです。では三笠の山の星々をみて私も一首、 天の川ふりさけみればかすかなるMIKASAの皿に映る星かも 恋と言えばやはり都々逸で おろすわさびと恋路の意見 きけば涙が星の数 0161: 北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて 1068: 天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ 1527: 彦星の妻迎へ舟漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは 1544: 彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば 1686: 彦星のかざしの玉は妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に 2006: 彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ 2010: 夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士 2040: 彦星と織女と今夜逢ふ天の川門に波立つなゆめ 2044: 天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば 2047: 天の川川の音清し彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか 2052: この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも 2075: 人さへや見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟の近づき行くを 2076: 天の川瀬を早みかもぬばたまの夜は更けにつつ逢はぬ彦星 2086: 彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の絶えむと君を我が思はなくに 2091: 彦星の川瀬を渡るさ小舟のい行きて泊てむ川津し思ほゆ 3657: 年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも 1518: 天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな 1519: 久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ 1522: たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき 1524: 天の川いと川波は立たねどもさもらひかたし近きこの瀬を 1528: 霞立つ天の川原に君待つとい行き帰るに裳の裾濡れぬ 1529: 天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも 1765: 天の川霧立ちわたる今日今日と我が待つ君し舟出すらしも 1996: 天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや 1997: 久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに 2000: 天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ 2001: 大空ゆ通ふ我れすら汝がゆゑに天の川道をなづみてぞ来し 2003: 我が恋ふる丹のほの面わこよひもか天の川原に石枕まかむ 2011: 天の川い向ひ立ちて恋しらに言だに告げむ妻と言ふまでは 2013: 天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり 2015: 我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫の音聞こゆ 2018: 天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける 2019: いにしへゆあげてし服も顧みず天の川津に年ぞ経にける 2020: 天の川夜船を漕ぎて明けぬとも逢はむと思ふ夜袖交へずあらむ 2029: 天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも 2030: 秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き 2033: 天の川安の川原定而神競者磨待無 2042: しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬ間に 2043: 秋風の清き夕に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士 2045: 君が舟今漕ぎ来らし天の川霧立ちわたるこの川の瀬に 2048: 天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ 2049: 天の川川門に居りて年月を恋ひ来し君に今夜逢へるかも 2053: 天の川八十瀬霧らへり彦星の時待つ舟は今し漕ぐらし 2055: 天の川遠き渡りはなけれども君が舟出は年にこそ待て 2056: 天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも 2058: 年に装る我が舟漕がむ天の川風は吹くとも波立つなゆめ 2059: 天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更け 2061: 天の川白波高し我が恋ふる君が舟出は今しすらしも 2062: 機物のまね木持ち行きて天の川打橋渡す君が来むため 2063: 天の川霧立ち上る織女の雲の衣のかへる袖かも 2067: 天の川渡り瀬深み舟浮けて漕ぎ来る君が楫の音聞こゆ 2068: 天の原降り放け見れば天の川霧立ちわたる君は来ぬらし 2069: 天の川瀬ごとに幣をたてまつる心は君を幸く来ませと 2071: 天の川なづさひ渡る君が手もいまだまかねば夜の更けぬらく 2074: 天の川渡り瀬ごとに思ひつつ来しくもしるし逢へらく思へ
お礼
まあ、何と膨大な天の川の歌が存在していたことに驚いています。 調べていただき感謝しています。ありがとうございました。 しかも星の歌もひこぼしのものが結構あるのですね。織女の歌より圧倒的に多いのは詠み手が 男性が多いので、自己を投影しやすかったことにもよるのでしょうか。 また、作者の性別は分かりませんが、女性歌人の歌は皆無のように感じるのですが、女性はあまり 星に感情移入しなかったのでしょうか。 星はすばる、と印象的な言葉で言いきった清少納言の感性が改めて光ります。 こんなにもたくさん星の歌があったことで改めて疑問なのは、それならなおのことなぜ百人一首の中に一首も選ばれてないのだろうということです。 もし、このことについてもご存じでしたら、教えていただければありがたいです。 私は百人一首が大好きなので。よろしくお願いします。
- TANUHACHI
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民俗学や考古学の世界では、古代エジプトの事例ですが、古代人の「死生観」を示す1つの表現方法としてピラミッドの中に描かれた壁画には船があります。船は文字どおり川や海を渡る時に使うと同時に「現世と来世」を繋ぐ手段、として理解されてもいます。 日本でも同様で古墳の壁画には船が描かれているケースはあり、古墳に葬られた人間がこの世からあの世に行くための手段との見解を読んだ記憶があります。 さて「月」の話ですが、神話学の分野では古代人は「太陽と月」で死生観を表していて太陽は生、月は死をそれぞれ表し、具体的には天照(アマテラス)が太陽で月夜見(ツクヨミ)は月として表現とされています(この辺は『日本民俗文化体系』第2巻「太陽と月」-小学館刊行-に詳細な記述があります)。昼は太陽の光が差し込んで明るく、夜は逆に月明かりだけで他には何もない闇が広がっていることから生と死のイメージがあることも想像に難くありません。日食で昼間なのに真っ暗闇な世界に包まれたとしたら、古代の人々にとってそれはこの上ない恐怖だったのかもしれません。高貴な身分の人が没した時に使われる言葉として「お隠れになる」と言いますが、「死」=「何処かへ姿を消す」=「隠れる」として、もしかしたらこの辺りが語源かも知れません。また「月」は「尽き」と同じ音であることから、命が尽きることとイメージを重ね合わせたのかもしれません。古今集や他の和歌には「季節」の他に「恋」のような区分がありますがその中に「死」という部門はありません。百人一首の中にあったかどうかは定かではありませんが、死という直接的な表記は確か無かったのではないでしょうか。逆に愛しい人が亡くなってしまった悲しみや追憶を込めて月や船(それも天の小舟のような喩え)に乗って遠くの世界へと行ってしまったといった表現をしているのではないでしょうか。 ただし中世の古典には「蟻通し大明神(ありとほしだいみょうじん)」の様に言葉の中に星を埋め込んでいるモノもあります(他にも『枕草子』の一節「星はすばる」との表現もあります。)
お礼
ありがとうございました。 現世と来世をつなぐ船が描かれているのは興味深いですね。 エジプトの大河ナイルを渡るのはクレオパトラの乗ったような堂々とした船だったでしょうが、 日本の三途の川を渡る船は、矢切りの渡しのような子舟だったのではないでしょうか。 そう言えば月と船を読みこんだ和歌が一つだけあります。 柿本人麻呂の作と言うことですが、 天の海 雲の波たち 月の船 星の林に 漕ぎかくる見ゆ 月を船に見立てているのが印象的ですし、星が詠まれているのも本当に他にないので、ますます どうしてなのだろうと興味がわいてきます。
お礼
私はまだパソコン初心者なのでデータベースを使いこなすだけの技量がありませんので、ひたすらその結果に驚くのみです。ありがとうございました。 星の歌は、もうひとつ月の付け足しのような扱いのもあり、太陽に対する月の立場がまさに月と星になっているのかな。 参考のURLの情報もありがとうございました。 月をこそ ながめなれしか 星の夜の ふかきあはれを 今宵知りぬる とても素敵な歌にも出会えました。これはまさに女性の感性ですね。 百人一首の中に入っていてもそん色のない美しい歌だと思うのに、なぜか入ってないのが残念。 月は秋を連想するけど、この星の詩は夏の夜に詠まれたような気がしますが、どうでしょうか。