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日本国憲法前文について
日本国憲法前文を読んでいて、あるひとつの文が分からないところがありました。 国語力の問題なのですが、「権威は国民に由来する」とは具体的にどういうことを言っているのでしょうか。 よろしくお願いします。
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日本国憲法の三大原則は「基本的人権の尊重」「永久平和主義」「国民主権」ですよね。 そしてこの憲法前文では、第一段落で「国民主権主義」、第二段落以降は「平和主義」が 明確に宣言されています。 さらに第1段落「国民主権主義」を宣言するに際しても、 第1文で平和主義と人権尊重のために国民主権をとらねばならないと宣言していますし、 第2文で、国民の信託による国政えお行わねばならないと述べています。 (この第2文が、日本国憲法は間接民主主義をとったものと説明されることもあります。) また第3文で、人類普遍の原理として自然法思想にたち、それに反する憲法改正を絶対に 認めないことを述べています。 次に第2段落以降は「平和主義」を中心に述べています。 このようにして憲法前文は、 (1)国民主権(または主権在民) (2)平和主義 を宣言し、 (3)基本的人権の尊重 を前提として、自由の恵沢の確保、専制と隷従、圧迫等の除去をうたっていますが、 この基本的人権の尊重は明文においてははっきりと強調はされていません。 そこで「主権」という語句ですが、主権とはいろんな意味で使われています。 「統治権」を表わす場合もあれば、「最高独立性」を表わす場合もあるし、 「最高決定権」を表わす場合もあり、これらの意味が一般的に主権の意味と考えられています。 憲法前文の「国民主権」で言うところの「主権」は、この最後の「最高決定権」を表わす ものです。 つまり国民主権は、権威=国の政治のあり方を最終的に決定する力 が国民にあるという 意味なのです。 つまり最高決定機関は国民が持っていますよの意味なのです。 質問内容の「その権威は国民に由来し」の意味は、こういうことを述べているのです。 そこで主権を「権力的契機」と捉えるか、「正当性の契機」と考えるか、 などの法律的な考え方が違ってきて、学説がからんで憲法学者の範疇になってきますので そこまで詳細に書き出したらキリがありませんし、とても2000字で収まる内容では なくなりますので省略します。 質問内容に関しては、上述の説明だけで充分だと思います。 もしわかりにくければ、エイブラハム・リンカーンの演説 人民の人民による人民のための政治 (government of the people, by the people, for the people)の演説文に、この前文第1段落の2文を 置き換えてみれば良いかと思います。
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- ikatama42
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一言でいえば、「国会議員とか総理大臣とかが偉いのは、国民が選挙で選んだから」ということです。 この文、主語は「国政は」ですね。国政の中心は立法と行政です。 まず立法権は国会が持っていますが、これはすごい権限です。全国民と全ての行政機関が従わなければならないルール(=法律)を作る権限だからです。 しかし、この立法権を行使する国会の構成員、国会議員はわずか720人くらい。1億2千万人を超える国民がいるこの国で、なぜこの720人だけがそんな権限を行使できるのか、していいのか。それは、彼らが頭がいいからでも、人格者だからでも、イケメンだからでも家柄がいいからでもありません。 それは、彼らが、全国民から選挙で選ばれたからです。彼らが立法権を行使できるその根拠は、国民から選挙で選ばれたことだけ。国民主権の国においては、国民によって選ばれたこと、それだけが権力を正統化する唯一の根拠なのです。 次に、行政権は内閣が持っていますが、これもすごい権限です。首相の号令一下、10万人の自衛隊員を被災地に送り込みましたね。なぜ首相は、この国でただ一人だけ、そんな権限を行使していいのでしょうか。それは、お釈迦さまと同じところに黒子があるからでも、四国霊場でお遍路さんをやったからでも、カイワレを食べたからでもありません。 それは、彼が全国民から選挙で選ばれた国会議員によって、国会の中での選挙で総理に選ばれたからです。国民から間接的に選挙された、と言い換えてもよいでしょう。ここでもやはり、国民によって選ばれたこと、それだけが権力を正統化する唯一の根拠です。 ざっくりまとめると、「すべての国家権力は、民主主義的な手続きによって、国民から支持されているからこそ、権力たりえる」ということになりましょう。ラフな説明ですが。 (国会議員と国会、総理と内閣はそれぞれ別物だけれど、本筋でないのでこの辺の説明はカットしました。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここから先は蛇足です。 国会議員は「直接」国民から選ばれますが、総理は「間接的に」選ばれるだけです。民主主義国家における権力を正統化する根拠が国民の意思(この場合は選挙)なら、国会議員の方がより主権者たる国民に近いといえます。「国会は国権の最高機関」(憲法第41条)という表現は、こうした思想を背景にしています。この条文に意味があると解する説はもちろん、いわゆる「政治的美称説」ですら、美称しなきゃならん理由にこれを挙げます。 蛇足その2。 立法・行政とくれば残りは「司法」です。司法権の担い手は最高裁判所を頂点とする裁判官たちですが、最高裁判事は内閣が任命し、下級裁判所判事は最高裁判所が任命します。国民主権の流れでいうと、「国民→国会議員(国会)→総理大臣(内閣)→最高裁→下級裁判所判事」となるわけで、やはり司法権も「その権威は国民に由来」すると言えるわけですが、国会に比べるとずいぶん下流の方にあります。 この引け目(でもないでしょうが)から、裁判所は「司法消極主義」をとっているといわれます。違憲立法審査権という武器を持ちながら、裁判所は、「立法裁量論」とか言いながら、できるだけ主権者国民に近い国会の判断を尊重して自らの権限行使を自制し、多数決で決めてはいけないこと(人権侵害とか)に限り、この武器を積極的に使おう、という考え方です。 ご参考まで。
お礼
国民が最高決定権を持っているのにもかかわらず、選挙にいかない輩がいることに腹が立ちますね。よくわかりいました。ありがとうございます。
- goooglebot
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前文は「世紀の悪文」と言われていますからね、内容もさることながら意味も日本語としておかしいですよね。 この部分は、国民主権の内容について書かれている部分ですね。 「権威は国民に由来する」とは、「正当性の契機」と言われている部分です。 国の最高意思決定権の行使の正当性のことで、「国民がそう決めたことだからしゃーないわ」ということを納得せざるを得ない根拠のことです。 なんか間違った判断をしてしまっても、国民(主権者)自身がそう判断したのだから正当性があるという話だと自分では解釈しています。 私も学生時代は法学部だったので憲法もそれなりに勉強しましたが、国民主権の解釈はちょっと難解でした。 ここであーだこーだ言うより文献漁った方がいいと思いまして、ネットで探してみました。 このサイトが一番解り易く解説している気がします。 http://www.norio-de.com/kenpou/zenbun/ http://www.norio-de.com/kenpou/general-9/
お礼
引用ありがとうございます。悪文と呼ばれているとは知らなかったです。
具体的に言うとですね、たとえば 菅政権が思うように力を揮えない(仕事が進まない)のは、(首相の権威を認めない)国民に責任があるということでしょう。
お礼
確かに民主党に投票した人にも責任があると思っていました。ありがとうございます。
- Shin1994
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そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 ここの部分ですね。安っぽい言葉で書き直すと… そもそも国政ってのは、国民の信頼があるからやってけるもので、その影響力は国民が従ってくれたり信じてくれたりしてるからあるのであって、国家権力は国民が選んだ人たちが行使し、その恩恵は日本国民が受ける。 ようするに、国民があるから国があるし国家の権威は国民が中心となってその権威を構成してるってことを忘れるな!って事では?結局のところ、国民主権を表す部分だと思います。あんまり法律には詳しくないので真偽のほどは…
お礼
現代な言葉で分かりやすかったですw ありがとうございます。
国民の厳粛な信託=市民契約説 ですよね。自然状態では国民は自分たちで国を治めることが でけんから、国と言う機関にその権限を委譲し、代わりに おさめさせるようにしたって具合です。 今の国家権力っていうのは、国民が信託したものだ。 で、国民それぞれがそもそも国の統治権をもっているはずなんです。 今の政府の権力っていうのは、国民から授かったものにすぎない。 だから、その権威は国民に由来するっていってるんです。 後これに合わせて、国民は政治の在り方を自分たちで決定する 権力性の契機。と、主権を正当化する究極の根拠は国民に存在 しているっていう正当性の契機がそのへんから合わせて 導かれます。
お礼
ありがうございます。
お礼
大変わかりやすかったです。国民に最高決定権があると再確認し、責任感がのしかかりましたw ありがとうございます。