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ES
哲学用語でesというのがありますよね。私も学生時代にちょっと学んだような気がするのですが・・・。どなたか簡潔に教えていただけないでしょうか。よろしくおねがいします。
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一つ前に英国情報部の方が紹介されているURLにあるとおり、哲学用語というより心理学用語です。フロイトの。ですから、心理学カテゴリーの方が詳しい説明が得られるかも。あ、でも「簡潔」でいいんですか。じゃ、簡潔に。 人の心のガソリンタンクです。リビドーの源泉。リビドーというのは、しばしばフロイト自身が「性欲」と同一視していた「生きるエネルギー」みたいなものです。ほんとは食欲とか排泄欲も含めて言う広い意味での「生きるエネルギー」なんですが。 「es」というとドイツ語です。ラテン語では「id(イド)」。なんか、湧き出る感じでしょ? こんこんと。で、両方とも英語での「it」にあたります。スティーブン・キングとは関係ありません。日本語で言うと「それ」です。「それ」……なんか、アレですね。…いや、なんでもないです。 よーするに「それ」としか呼びようのない得体の知れないものというイメージです。生きようとする欲求の塊そのものであって、その欲求の実現可能性だとか他者への配慮や社会性なんか少しも持ち合わせてはいません。むきだしの欲望です。事実、フロイト自身これを説明するのに「幼児」を比喩としています。 ついでに「局在論」を少々。 フロイトが言う局在論というのは、「心」はその全体でまとまって一つの働きをしているのではなくて、機能ごとに分かれた部品(パーツ)で組み立てられているという説明上のモデルです。人の心は「イド」「自我」「超自我」の3部分からなるとしています。 「イド」は上記のような「生きるエネルギーの源泉」。それだけでは、はなはだお行儀の悪いものです。ここからエネルギー供給を受けて稼動する、心のメイン部分が「自我」。いわばエンジンです。「超自我」はいわばステアリングシステム。「自我」に社会性・道徳性の方向付けを与えます。社会生活を営むうち、徐々に内面化される良心のようなものです。
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- 00seven
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簡潔ではないですが、下の参考URLに定義みたいなものが載っています。難しい。
お礼
早速のお返事、どうもありがとうございました。参考になりました。
お礼
「超自我」という言葉も何となく記憶がありました。わかりやすいご説明、どうもありがとうございました。