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感動詞は主語にはならない?

感動詞は主語にはならない品詞だと思っていましたが、 次のような文では、主語になっていると思うのです。 (1)さようならは別れの言葉です。 文節に分けると、 さようならは/別れの/言葉です。 になり、「さようならは」は主語になってしまいます。 (2)さようならという言葉は、別れの言葉です。 という文ならば、主語は「言葉は」になるので納得できるのですが。 (1)の文では、 何か特別な用法になっているのでしょうか。 それとも、この文は、文法的には誤りなのでしょうか。 国文法に詳しい方がいらっしゃいましたら、教えてください。

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回答No.2

(1)の文は「さようならという言葉は、別れの言葉です」の「という言葉」が省略されている文だと思えば、問題ないと思います。 このような文例に限らず、主語や目的語などのいろいろな部分が省略された文は、いろいろなところで見受けられます。 たとえば「それとも、この文は、文法的には誤りなのでしょうか」を「それとも、文法的には誤りなのでしょうか」としても、前後のつながりから「この文は」が省略されていることがすぐにわかってしまいます。「省略されている」とさえ思わない人もいるかもしれません。 英語だってそうでしょ。中学校の教科書に載っている文にも省略されているものが幾つもありましたが、特に高校の英文法の教科書には「省略」という項目があったことを覚えています。

ku_nen
質問者

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最初から省略されている、と考えればいいのですね。 簡潔で理論的な説明をありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • bgm38489
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回答No.8

「美しいは形容詞です。」 美しいは形容詞だから、主語にはならない?これと同じことです。 つまり、この場合、さようならという言葉について言っているわけで、さようならを名詞として扱っているのです。決して、感嘆詞としてあるのではない。 「さようならは感嘆詞です」 さようならは感嘆詞だから、主語にはならない? この考え方は、 「この文は間違っている。」 と同じようなもの。さて、この文はあっているでしょうか、間違っているでしょうか?

ku_nen
質問者

お礼

「という言葉」を補って考えればいいのですね。 ありがとうございました。

回答No.7

「おはよう」「さようなら」「嗚呼」は感動詞と辞書に書いてあるのは、感動詞として使用することが多いからでしょう。 「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うための………」「嗚呼は物事に深く感じたり驚いたりした気持ちを直接表す語として詠嘆の詩などで使われる」「もう子供じゃないんだから、うんなんて言わないの」のような使用例では、[さよなら][ああ][うん]は感動詞として使用されているのではないです。 文章(言葉)の中で、心理的主題を提示するために使われているのですから、「isは、be動詞の三人称単数形です」の場合のisと同様に、主語と認識しても構わないでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%AA%9E

ku_nen
質問者

お礼

私の挙げた文では、「さようならは」は「主題」として使われているのですね。 学校で教える国文法と実際の言葉の使われ方の違いを実感させられました。 分かりやすい説明・リンクをありがとうございました。

  • TANUHACHI
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回答No.6

 追記です。もっと単純な論証方法がありました。 「さよなら」が主語ではない理由として、この「は」を他の助詞「が」「を」に置き換えてみたらどうなるでしょうか。 (1)「さよならが別れの言葉である」(2)「さよならを別れの言葉にする」となり、「誰が『さよなら』の説明をしているのか」が明らかになります。  (1)の場合は「誰かが『さよならが別れの言葉である』と考えている」との文意になります。他方(2)はそれがより鮮明に示された形です。  主語と想定される語句には「必ず『は』が付いている」とは限りません。

  • TANUHACHI
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回答No.5

 こんにちは。早速問題に入ります。 「さようならは別れの言葉です」、この文章の骨格を拾い出してみると「さようならは言葉です」となります。「文章の骨格」は「主語-述語の関係」を示します。  その「言葉」がどの様な意味を持つかとの説明が「別れの」という連体修飾語になります。ですから特段に異なった技法を用いているなどの意図は示されてもいません。  英語ならば「S+V+C」の形であり、「さようなら」の直後に「という言葉」を補ってみれば、「は」の前後が全く等位の関係にあることがはっきりとします。  この様に考えますと、この文章で使われている「は」は主語を示していることになります。がしかし「感動詞」が文頭にある、とのことがそれを支える背景となっていることにお気付きでしょうか?。  感動詞が主語にならない品詞であるとするならば、この「は」の意味も当然違ったものとなるはずです。「は」には実際4つの働きがあり (1)話題を提示し、その下にそれに対する答が示される「○○は~である」 (2)対比する「私は○○は好きだが××は嫌いだ」(2番目の「は」と3番目の「は」が対比の関係) (3)限度を示す「10時には会議を始めます」(に+は、として制限を加えている) (4)再問題化する「邪馬台国が九州にあったか畿内にあったかはまだ確定していない」(邪馬台国の所在は未確定であるが、それがあったという事実は確定している、との意味で話題を再提示し確認する) などの形があります。  そして質問者様が「敢えて文法的な説明を求める」のであれば、僕は4番目の機能であると考えます。「さようなら」が言葉であることを私たちは知っています。これを「問題(話題)」ととらえることで辻褄は合うことになります。  蛇足ですが、余り文法に固執してしまいますと、肝腎の文章理解に支障を来すこともありえますので、文法は一つの目安なり道具として利用するほどの存在とお考えになっては如何でしょうか?

ku_nen
質問者

お礼

中学生対象の、国文法の問題を作っている最中に ふと疑問に思ったので、質問させていただきました。 (問題の内容とは全く関係ありません) 文章内容の理解とは別の観点からの質問ですので、大丈夫です。 ご心配ありがとうございます。 詳しい説明をありがとうございました。

  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2202)
回答No.4

「さようなら」は言葉です。という文章ですね。 ここでは品詞ではなく、名詞的な『単語』として扱っているので、主語となっていてもおかしくないです。 「もしもしは「申す申す」が変化したものです。」とか「?は疑問を表す記号、!は驚きを表す記号です。」 というのもアリですね。 ところで、ララ♪こーのままー…ってリフレイン止まらないんですけど?=>NO.1さん(^^;

ku_nen
質問者

お礼

「」をつけて考えればいいのですね。 分かりやすい説明をありがとうございました。 感動詞は、絶対に主語にはならないのか…を考えていた時に浮かんだ例でしたので そのまま使ってしまいました。 私の中でも、今、リフレイン中です。

回答No.3

「さようなら」は確かに感動詞です。 この文は「さようなら」を強調したいのでしょう。 「別れの/言葉は/さようならです」 を「さようなら」を強調するために前に持ってきた文です。 「別れ」と「さようなら」の語順を変えて作った強調文です。 そこから文法上矛盾が生じてしまったのだと考えられます。 また語源から考えてみると「さようなら」は下村孝一氏によると 『私たちの祖先は、古くは鎌倉時代以前から、物事を多数決ではなく合議制で決めてきた。 全員合意だから夜遅くまで何日も何日も続く。 「今回は泣いてくれ、 次回は俺が泣くから」、「今回はしゃないな。さようならば合意いたそう」となる。  このさようならが寄り合い終了を表すことばになった。接続詞が別れの挨拶語となる世界に一つのユニークな形、 和を尊ぶ私たちの文化である。』 ということは「さようなら」は「さようならば(助詞の「ば」が現在省略されて使われている)合意いたそう』の 「合意いたそう」等をも省略された言葉となります。 また吉村外喜氏にると 『「さようなら」は別れの言葉。その語源は江戸時代の武家ことば、「左様なればしかじか」 である。 それをそのまま友達と別れるとき、○○さん「左様なれば…」、『左様なれば…』 と言い交わしたとしたら、 どうもピンとこない? この言葉の後に、「ご機嫌よろしく」 が続くのです。 「左様なれば、ご機嫌よろしく」となる。これでようやく意味が通じることになる。 明治になって、男女の別れの時に、男性が女性に「さようなら」と言い、それに女性が「ごきけんよう」 と 返すようになった。大正・昭和と、男性中心社会になるにつれ、「さようなら」だけが一人歩きし、 「ごきげんよう」 は置き去りにされてしまった。』 そうです。 (参照 http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-1241.html) 「よろしく」は形容詞の「よろしい」の連用形からできた副詞であり、副詞ということは用言を修飾するので 後ろに「お願いする」等が省略されていることになります。 こういったことから直前の回答者の方がおっしゃっているように「さようなら」の後ろの何らかの言葉が 省略されていることが想像できます。 「さようならばご機嫌宜しく頼みます」 → 「さようなら」 サヨウナラの語源を、歴史を調べるとそもそも「さようなら」自体がかなりの後ろの言葉を省略して残っている言葉です。 「は」という助詞は本来「=」の意味なのに「俺は、カツ丼」→「俺」=「カツ丼」になってしまいますよね。 学校で教える学校文法では解説できないことがたくさんあるらしく、国文法とはまた一線を画してるようです。 でも国文法上間違った日本語もすごい勢いで今では市民権を持つようになり、そのスピードに 文法を研究している学者たちの学会のスピードはついてこられないようです。 そこで便利なのが外国人に日本語を教えるときに用いられる「日本語文法」。 この世界は全く知らないのでコメントできませんが、とても合理的に解釈できる文法論だそうです。

ku_nen
質問者

お礼

「さようなら」にはそういう語源があったのですね。 とても勉強になりました。 ありがとうございました。

  • black-40
  • ベストアンサー率12% (4/33)
回答No.1

有名なあの曲の出だしを彷彿とさせますな。 「さようなら」という一つの単語を説明したものだから、この場合は主語となることに何ら不思議はないと思う。

ku_nen
質問者

お礼

そうなんです、そこから例を出してみました。 お答えありがとうございました。