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神君家康公という呼び方について

家康というのは諱であったと記憶しています。 諱を呼ぶのは失礼なことだと聞いたことがあるのですが、死んだ後ならば問題無かったのでしょうか。それともドラマなどでの演出にすぎず、現実には使われていなかった言い方なのでしょうか

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  • isaa535
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回答No.3

神君家康公は大河ドラマ葵 徳川三代で使用されていましたね。 公とは自らの主君への尊称として名の下に公と付けて呼ぶ呼び方で 神君は、偉大な君主を称えて呼ぶ名で過去には家康を東照神君、頼朝を鎌倉神君と呼んだそうです。 このことから判断しますと神君と神格化したので人に使用する公を同時に使わない のではないかと思います。 神号は東照大権現ですがご遺言等存命中の事柄について話す事が主だったと思われますので 個人的には当時は神君、東照神君と呼んでいたと思います。 尚、秀吉の側室の淀の方ですが以前大河ドラマでは淀君と表現していましたが 学者の指摘があり、独眼竜政宗以降は淀殿に変更しています。

chibiarako
質問者

お礼

お礼が遅れ失礼しました。 淀君の話しは面白いですね

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その他の回答 (5)

  • isaa535
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回答No.6

回答3です。 秀忠の時代に書かれた物で(作者不明)「神君家康公御遺文」という物は 存在しています。 神君と公を同時に使う事はありえると言うことですね。 ただ幕府では既に死亡している先代やそれより前の将軍を会話では戒名の○○院様と表現 した様ですので会話で神君家康公はどうかと思いますが・・・・

chibiarako
質問者

お礼

何度もお手数をおかけしました

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  • isaa535
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回答No.5

回答3です。 神君伊賀越えで有名な三河物語を調べれば当時の正確な呼び方がわかるかもしれません。 幕府の将軍に関する記録、徳川実紀についてはネットで閲覧出来ますので調べましたが家康→東照宮→東照神君という様に表現方法が変わって行っているようです。 東照大権現、神君、神君家康公、家康公と言う表現はありません。 但しこの文献は12代将軍時に過去の記録を基にまとめられたものです。 徳川実紀 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%9F%E7%B4%80 http://www.j-texts.com/jikki/jikki9.doc http://www.j-texts.com/jikki/toshogu.html http://www.j-texts.com/jikki/toshogufuroku.html 三河物語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E7%89%A9%E8%AA%9E

chibiarako
質問者

お礼

具体的資料までご紹介いただき感謝しております。 重ね重ねお手数をおかけして、ありがとうございました

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  • isaa535
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回答No.4

回答3です。 「尚、秀吉の側室の淀の方ですが以前大河ドラマでは淀君と表現していましたが 学者の指摘があり、独眼竜政宗以降は淀殿に変更しています。」について 言葉足らずであった為、補足します。 もし神君家康公が当時使用されておらずドラマでのみで間違って使用されたならば淀君が淀殿と 変更された様に神君家康公も将来の大河ドラマでは正しい使い方に変更されるかもしれませんね。

chibiarako
質問者

お礼

ご丁寧に補足くださり、ありがとうございました

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  • misawajp
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回答No.2

ドラマ等は全く考証されていないと受け取るべきです 諱については質問者の理解の通り でも 平成の時代では そのことを理解している人は ごくごく少数 マスコミを含め大多数は 全く無関心(自称歴史の権威も同様) 昭和の頃までは 目上の人の名を呼ぶことは無礼な行為でした(姓も) ですから 課長とか部長 と呼びました XX((姓)部長はNG YY(職名)部長 昭和50年代頃 外資系企業(IBM)で 姓で呼ぶようにとの指示が出たりしたこともあります

chibiarako
質問者

お礼

回答くださりありがとうございます 私の認識でも、江戸時代以前にたとえば大名に対して「(名前)様」と呼ぶのはありえなくて、「○○の守様」とか、「○位様」とかいうのが普通だったと聞いています。 やはりドラマ上の演出と考えるべきでしょうか。

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回答No.1

死後、諱を使うのが問題であったとは思いません。 それならば「信長公記」などというタイトルの書物は書けないですから。当の家康にしても「家康公遺訓」などと言いますから特に問題であったことは無いのではないでしょうか。 ただ、神君家康公、とドラマにあるように言葉の中で使ったかは疑問です。特に徳川幕府が存在してる中でそこに関わりのある人たちにとっては「神君」と言えば家康ただ一人であり、わざわざ家康公をつけたとは思えません。 それに神君というより「東照公」「大権現様」と言った呼び方のほうが多かったと思います。 実際のところどう「言っていたか」というのはわからないのですけどね。録音装置など当時存在しませんから書いてあるものから推理するしかない。 でも言わなくてもわかるのにわざわざ「家康」とつけることはないと思います。完全にタブーであったり無礼とは言えないまでもそこにはある程度抵抗は存在するはずです。 やはり「神君」と言っても誰だかわからない視聴者のための演出じゃないでしょうか。ゴロもいいですしねw

chibiarako
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます 「信長公記」などは、ある意味公的書籍なので、これを日常会話と同列に比べるのはどうなのでしょう? 書籍のタイトルでは使うのは不自然ではないけど、日常の会話で、特に武士階級の人間が諱を口に出すのと一種の「タブー感」が違うということはないのでしょうか?

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