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人生最後の日の生き方
今日と言う日が人生最後の日だとしたら、今日までとは違った一日を生きるのでしょうか? 愚拙は、今日までと同じような一日を生きるような気がします。 何らかの事情で今日が人生最後の日だと悟ったとして、みなさんは、今日までと違った一日を生きると思いますか? また、そう思う根拠はなんですか?
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プエブロインディアンの詩は如何でしょうか・・・ 今日は、死ぬのにとてもいい日だ。 あらゆる生あるものが私とともに仲良くしている。 あらゆる声が私の内で声をそろえて唄っている。 すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。 すべての悪い考えは私から出ていってしまった。 今日は、死ぬのにとてもいい日だ。 私の土地は平穏で私をとりまいている。 私の畑には、もう最後の鋤を入れ終えた。 我が家は笑い声で満ちている。 子ども達が帰ってきた。 うん、今日は死ぬのにとてもいい日だ。
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申し訳ない。 質問が成立してないので、こうなったのでしょうか(・◇・)?
お礼
ありがとうございます。
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アナロジーとはこれのことですか。 http://okwave.jp/qa/q6535330.html この質問におけるNo.3の回答からすると、私はまとも ということになりますか。
お礼
回答欄は回答にお使いください。 ご質問は「質問する」というボタンを押すとそれ用の画面が表示されますよ。
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ぷっつりと断ち切れる、確かにそうかもしれませんが、眠る時もそうであり、起きるときも突然また始まる、と言う意味において、人生の終わりと始まりもそうであるのかもしれない。より長い期間、大きいレベルでの眠り。意識がぷっつりと断ち切れるからと言ってそれで終わりと言うわけではない。 そう考えると、眠り(死)の質 とか、どのくらいの時間眠るかとか、どのくらい深い睡眠を取れるように整えるか、などいろいろ対策を講じることが出来そうです。 しかし、そうなる前に、「今まで生きてきた人間と同じような死を迎えなければならなかった原因は何か。」その理由を考え、理解すれば、眠る時間を短くし、最終的には眠らなくて済むようになるかもしれない。 意識レベルの高い人は眠りの時間が少なくて済む、というのが本当であれば、完全な人間だったら眠らなくて済むのかとか。死ななくても済むのかとか。 人がある物質を観察し、理解することで組成したり溶解することを自在に行っているように、人が生や死を始めとする 人 を理解すれば生きるも死ぬも自由になる。そのためには人より一段高いレベルになることが必要か。 え、神なんていない?そんな野暮なこと言わないでくださいよ。サルだって人間に進化したじゃないですか。進化した、なんて思ってませんがね。
お礼
回答ありがとうございます。 死を睡眠のアナロジーで論ずるのも面白そうですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.18からです。つまり報告です。 ANo.16の動画があまりに不思議なので、質問を起しましたが皆さんには納得してもらえませんでした。 私も最初の動画についてですが、出るとき、入る時の際をきちんと写していないのがなっとくできませんですね。 そしてどうしてあぁいう長い上着を使うのか。 呉服店でどうして後ろ向きにならなければいけないのか。 それを考えるとどうも釈然としないところが残りました。
お礼
多少なりとも質問に関連性のある回答を期待しております。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
No.16さんのご紹介のURLを拝見しました。 しかし、No.16さんがこの質問の回答として、このURLをご紹介され、質問されている趣旨は理解できませんでした。 多分、すべては現象であり、固定的でもないし、実在でもない。死だの最後だのってないのさ。っていうことをおっしゃっているのでしょうか? もともとないものが終わりも始まりもないさ、だからこの質問もそういう範囲をむしろ出た上で、その境地で眺めてご覧ということかもしれませんね。 それなら、回答としての意味がわかります。 付言:私は不思議なので、http://okwave.jp/qa/q6558785.htmlという質問でこのご紹介のURLをどう見たらいいのかの教えをお願いしました。 どうぞよろしくお願いします。
お礼
コメントありがとうございます。
地球滅亡の日に直面したのでない限り、 最後の最後まで、子供達のために少しでも多くのものが残せるよう、じたばたするでしょう。また、じたばたしなくてはいけないと思います。心静かに死を待つなんて、真っ平ごめんです。 昨日より、今日。今日より、明日。と続けてきた毎日が、ぷっつり断ち切られるのが、耐えられないからです。
お礼
回答ありがとうございます。 つまり、今日までと同じような一日を生きる感じですね。 期せずして私と同じです。 私も、「ぶっつり断ち切られる」のが耐えきれませんが、どうも我々の人生とはそういうものみたいですね。
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たぶん、私も大工さんもまだ知らないことが多いのではないでしょうか。 http://www.youtube.com/watch?v=PtVCoEuzLUE&feature=player_embedded これは何でしょうか。 トリックですか、魔術ですか、それとも編集ですか。
お礼
ご質問ありがとうございます。 特に、回答はございませんので悪しからず。
- cincinnati
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>キリスト教に帰依されても、やはり死に立ち向かうのは心細いものなのでしょうか。 キリストにあるものはたしかに一度この世界に対して死んでおりますので、本当は心細くないと断言できればうれしいのですが、天国がどんなところか見たことがないので、不安を感じたりするのだろうなと思います。実はクリスチャンではありますが、時々不機嫌になったり、失望感にとらわれたりすることがありますので、死を明日に迎えたらおそらく尋常な精神状態ではないのではないかと想像して書きました。自分でもどのような対応をするのかわからないというのが本音です。 一方で明日はこのまま寝て目をさまさないかもしれないという想像は不愉快には感じません。むしろ楽しい想像といったほうが良いかもしれません。ただ家族にとってはあまりにも突然の出来事となりますので、彼らの落ち込みのほうが心配です。また明日の死を楽しいと感じるからといって、毎日が退屈というわけではございません。むしろ一刻一刻結構興奮して過ごしています。 今日も実は5時前に目が覚めてしまいました。というのは今日コンクリートを打ちに行く予定にしていたので、前の晩から興奮していました。なにか普段しないことをするときは楽しさを想像して興奮してしまいます。明日庭に木を植えようなどど計画するとそれだけで結構楽しくなって、夜眠れなくなります。ただ悩んで眠れなくなるということはほとんどありません。つまり夜眠れなくなる種の悩みはないからです。去年は自分が経営する会社が潰れそうでしたが、というかもう潰した方が良いかなという状況でしたが、不安とか焦りは感じませんでした。現在も平安の内に同じ仕事を続けております。 聖書を通して、「すべてのことあい働きで益となす。」という約束が与えられているからです。また聖書は「将来と希望と平安をあたえる。」と約束しているからです。 回答になっていれば幸いです。
お礼
追加コメントありがとうございます。
- ponpon88899990
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自分が今日で死ぬとわかっていても、世界は一切気にせず回転変化をやめない。 死んでからも、何事もなかったように続くのだろう。 肩の荷が降りるようで寂しいようで・・・ 「結局、おだてられて脅されて世間にいいように利用されたのかしら?」 「利用されるのはしかたないけど、おだてられたり脅されたりはちょっとね・・・」 などと考えてかなり落ち込むと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 むしろ、「結局、人をおだてて、多少脅して、世間を良いように利用してきたのかな」と考えてみるのはダメですか? 善人尚もて往生をとぐ、いわんや悪人をや。と申します。
>愚拙は、今日までと同じような一日を生きるような気がします。 それは死の原因が想像の範囲内だからですよ。もし想像を超えたものだったら恐怖のどん底へ突き落とされるでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 ご指摘の通り、その死の原因が、他人に殺されるという場合は、なんとかして回避しようと闘い続けて最後の日を終わるかもしれないですね。 他人に殺される場合でなければ、今日までと同じような一日を生きるような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 良い詩ですね。 プエブロインディアンがその後にたどった運命を知る現代人からみると、その詩が読まれたた当時に天寿を全うしたプエブロインディアンは幸せだったと思います。