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女性の髪型について

幕末から明治初期にかけて 漁師の妻、海産物問屋の妻の髪型を知りたいのですが…。 また、網元が結婚するとき披露宴でお嫁さんが結う髪型は 高島田で良いのでしょうか? さらにつぶし島田、結いわたなど 身分や年齢などで髪型が異なると聞いたことがあります。 どなたか正確な情報をお寄せ頂ければ幸いです。 よろしくお願い申し上げます。

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回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>また、網元が結婚するとき披露宴でお嫁さんが結う髪型は高島田で良いのでしょうか? 文金高島田で良いですよ。 (よもやま話) 女性の髪形は衣服に大きく影響とれました。 大模様の小袖に束髪(そくはつ)ではバランスが悪い。 地味な身なりで髪型が派手でも妙なもの。 衣服が変われば髪型もそれに合った形にしなければならなかったのです。 江戸の女髷(おんなまげ)を代表するのが島田髷。 これは江戸では武家の娘の髪形でした。 島田髷と言っても数十種類あり、東海道の島田宿の遊女が結ったのが名前の起こり。 髷が三味線の撥(ばち)の形で、長い髪を頭頂部で二回折り重ねて結び止めるもっとも自然の髪形でした。 髷(まげ)でなく、後頭部の髱(たぼ・上方では「つと」と呼ぶ)を強調するのが「鶺鴒づと」(せきれい)「鴎づと」(かもめ)など、左右の鬢(びん)を強調するのが「灯籠鬢」(とうろうびん)や「雀鬢」(すずめびん)。 これら「髷」(まげ)や「髱」(たぼ)、「鬢」(びん)、「前髪」をさまざまな形に組み合わせたりして、幕末頃には、実に280種類近くの髪形で女性は個性を出したと言われています。 子どもの髪形は、5~6歳くらいまでは男女の区別なく、生まれたばかりの赤ん坊の髪は「不浄」とされ、生後7日目に剃って3歳までは丸坊主。 髪を生やし始める3歳の祝いが七五三の髪置(かみおき)。 それまで髪を剃るのは、髪を濃くするためと「しらくも」などの皮膚病や「虱}(しらみ)などを防ぐためでした。 子どもの最初の髪形は、頭頂部の百会(ひゃくえ)に残す「芥子」(けし)と呼ばれるもの(芥子の実に似ているから)と後頭部の盆の窪に髪を残す「権兵衛」(ごんべい)や「八兵衛」(はちべい)などが主なところでした。 男子では、3歳からは耳の上の髪を残す者もあり、5~6歳で髪を結い始め12~13歳で若衆髷(わかしゅまげ)に。 女子では、3歳からは「芥子(けし)の銀杏(いちょう)髷(まげ)」。7~8歳で「銀杏髷」や「蝶々髷」(ちょうちょまげ)。14歳以上は一般的な「島田髷」を結いました。

prudence
質問者

お礼

bungetsuさま 早々にご回答を頂いていたのに 迂闊にもまったく気づかず 御礼が遅くなりまして申し訳ございませんでした。 ビックリするくらい丁寧なお教えをたまわり、 その上、参考の浮世絵まで添附して頂き 感謝に堪えません。 昔の日本人の髪型の多様さには ご説明頂いただけでも「ほぅ!」と驚かされ なにか日本人であることに曰わく言いがたい誇りすら覚えます。 とても参考になりました。 ありがとうございました。

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