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戦艦大和の運用
戦艦大和ってトラックくらいまではでばってますよね? なぜ日本海軍はもっと積極的に大和を運用しなかったのでしょうか? トラックを泊地にしてウエワク、ラエ、ポートモレスビー、ガタルカナルなどに出撃させれば大戦力になったと思うんですけど。 このころならまだ護衛も十分につけられたでしょうし、燃料もあったでしょう。 ガ島奪還や米豪遮断作戦に大きく寄与したであろうことは疑いありません。 これらの戦いは大和を投入しなくてもまあいいか、というものではなく、困難さも重要性も高いまさに乾坤一擲の作戦だった筈です。 なぜ大和を投入しなかったのか? 教えてください。
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- klzvb
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大戦力になるとは思いますが、それと同時にその大戦力をもし失ってしまったら・・・というリスクもあります。大和は連合艦隊旗艦なわけですし。そういった意味で温存していたのだろうと思います。
- hgg83474
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陸軍の要請により海軍が進出するということはありましたが、 当時の日本軍には陸海軍を統合的に運用できるような指揮系統がありませんでした。 また情報収集能力において米側に後れをとっていた日本は、 決戦兵力である大型艦を投入することに対し躊躇していました。 戦艦の陸上に対する艦砲射撃は有効でしたが、 制空権を確保することが必要だったわけです。 ガダルカナルにおいては米軍の上陸兵力を過少に評価し、 戦力を逐次投入するという失策を犯しています。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1973/9604)
rozari0714さん、こんにちわ。 私はたぶん、連合艦隊の旗艦である大和や武蔵を出すわけにはいかなかったのだと思います。それをすると艦隊司令部の行き場がなくなります。それから、もし喪失すれば、海軍自身の士気にかかわるでしょう。また、大和の速度は27ノットです。ガ島へ行くのには片道20時間かかります。30ノット以上出せる駆逐艦や巡洋艦、金剛型戦艦と連携を組まないと作戦に支障をきたすでしょう。しかし、金剛型戦艦に比べて、3ノット以上遅く、艦隊運用に著しい支障をきたすとして出すのをやめたのでしょう。つまり、夜が明けないうちに敵の飛行機の行動範囲を超える安全圏に逃げ込める確率が低くなるということです。 私は30年前に詠んだ架空戦記小説で第3次ソロモン海戦の第2海戦で霧島の後ろに大和が控えていて、霧島が大破した後にサウスダコタとワシントンに向かって46センチ砲を発射し、2隻を炎上、撃沈した場面を思い出しました。実際は不可能なのです。 そういえば、潜水艦以外でこの辺で活動していた戦闘艦艇はほとんどが30ノット以上の高速艦艇が活躍していますよね。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
よくわかりませんけど、旧日本軍は良くも悪くも、侍精神が支配していたものと思います。 相撲のように、横綱には横綱をぶつけるとか、横綱は相手が幕下なら相手にしないという考え方もあったみたいです。そして、横綱は最後に出てきますよね。 また、米軍は潜水艦を使って、日本の民間の輸送船をドンドンと沈めるという戦略をとりましたけど、日本軍は「兵士と兵士、軍人と軍人どうしの戦いが戦争である」と信じていて、そういう戦法は卑怯ものの戦い方で、思いもしなかった攻撃だったみたいです。(たぶん国際的には、米軍は違法な攻撃をしたことになるのではないでしょうか?) たとえば、レイテ沖海戦で、栗田艦隊は湾への突入が可能だったのに、「謎の反転」が問題になっています。このとき戦艦大和をレイテに突入させ、主砲で攻撃すれば、マッカーサのフィリピン奪還作戦に大きな影響を与えたものという意見があるようです。 実際に、米軍は「もう駄目だ、日本艦隊に突入されたらお仕舞いだあ・・」と思っていたのですが、日本艦隊が反転したのに驚いたそうです。 (このとき、ブリキ艦と悪口を言われていた米駆逐艦(主砲をぶっぱなしても、日本の戦艦には全然通用しない)が日本の戦艦に魚雷攻撃だけを頼みに果敢に立ち向かい、最後には沈められました。日本海軍は、海に漂う米軍の水兵たちに近づき、その敢闘精神に対し、敬礼をして去っていったといいます。) 上記の日本軍の考え方からすれば、輸送船や護衛空母、弱小駆逐艦ばかりの相手に、横綱クラスの戦艦大和が戦うのは恥ずべきことという考え方もあったのではないでしょうかね・・・。もちろん、近くに米空母がいる可能性があり、航空機攻撃が予想されたり、燃料が極端に不足していたという理由もあったでしょう。でも、そこに米戦艦、正規空母がいたら、突っ込んだのではないか?と思えます。
- nekokooko
- ベストアンサー率4% (23/494)
旗艦なので、失うと指揮に影響するから温存しておいたのです。
- C-bias
- ベストアンサー率20% (3/15)
NO.1の方と同意見ですが、空母(つまり航空機)が主体となる戦術を考案したのがそもそも日本軍であったというのは皮肉です(真珠湾攻撃)。そしてその戦術の優位性に気付いたアメリカが以降戦術転換し空母を量産、戦況を盛り返していきました。大和の就役が開戦直後ですから、その時には時代遅れになっていたことになります。
- soukodayo
- ベストアンサー率2% (5/220)
相手が巨大過ぎて大和一隻ではヤラレに行く様なもんだったんじゃないでしょうかね。
- sumiusa
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なぜ大和を投入しなかったかというと日本は戦艦を多く保有してなかったのでできるだけ沈めたくなかったのです。 なので先に駆逐艦や巡洋艦、空母を前線に出してできるだけ敵の数を減らしてから戦艦で叩きまくるのが日本海軍の作戦でした。戦争にIFは禁物ですがそれでももし戦艦大和や武蔵が前線にどんどん出ていたら結果は大きく変わっていたことは間違いないでしょう。
- TooManyBugs
- ベストアンサー率27% (1472/5321)
もはや巨大戦艦の時代ではなく航空機が主力なのは明白ですから沈められるために出撃するよりは本土決戦時に砲台替わりにした方が有益と見たのでしょう。