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私立大学、国立大学。今、昔。

現在トップレベルの私立大学とある程度のレベルの国立大学 とのレベルの格差はあまり変わりがないように思われていて、 受験生の憧れの的です。しかし、昔の人の話を聞くと少し 事情が違うようです。 私立大学のことをまったく評価しない人がいます。 今でさえ、国立の有名校には及びませんが早慶といえば 一般的にトップレベルの大学として認められていて さまざまなランキングに顔を出しますが、昔は私立大学 の存在感はそれほどではなかったのでしょうか? 僕が知っているのは90年代の私大バブル。「偏差値急上昇の怪」 と「昔の早稲田は今のようなミニ東大というような感じではなく、 血気あふれる落ちこぼれ達が集まった大学」という話を 年上の人に聞くくらいです。 できれば時代の変遷とともに教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.3

>昔は私立大学の存在感はそれほどではなかったのでしょうか? それは関係ありません。

  • First_Noel
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回答No.2

大学は業績で評価されるべきで,単なる入学試験の偏差値で序列化されるものではありません. 勿論業績による評価はありますが,予備校の宣伝が大きいのでしょうか,不思議と入試に 関しての序列のみ話題に取り上げられがちです. 研究費予算となれば,国立大学,それも旧帝大が多いです.従って設備も揃う. 予算がなくて計算機シミュレーションに偏りがちな私大より恵まれています. しかしそこにいる人が無能では意味がありません. スイッチを入れれば業績になるのとは異なります. とは言え,計算にしろ実験にしろ,設備がなければ研究範囲が制限されるのも事実です. 私大の先生方はなぜか科研費の取得に対して消極的?なのでしょうか,採用はやはり 国立大学の方が大きいです.これは国立大学が重視されていると言うわけではなく, そういう手間を取るか否かの問題でしょう.私大の先生は一人で学生を20人とか 持っている場合がよくあるので,雑用に追われてしまっているのではないかと思います. あと博士の学位に関しては,東大は日本一簡単に取れるとかつて批判がありました. 京大の先生となれば,東大の博士号なんて意味がない,と豪語されていました. せめて,入試問題による偏差値の序列化は,誤りであると思います.

  • apple-man
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回答No.1

 詳しい変遷はわかりませんが、私も大学受験のとき 自分の親と、大学に関する意識があまりに違うので 驚いたことがあります。 >私立大学のことをまったく評価しない人がいます。  うちの親もはじめはそうした。国立大学ならどこでも いい大学と思っていたようです。  うちの親はいわゆる昭和1ケタ生まれの世代で、 両親とも明治大学を出ています。うちの父親の話 などを聞くと、父が高校生のとき、明治大学に 合格したことを高校の担任に伝えたところ、 「おまえそこは大学じゃない。うちの卒業生 が明治に行ったなんて恥ずかしくて人に言えない から、浪人しろ。」と言われたそうです。  大学の先生たちが、ときどき何かのコラムで、 若いときの体験談や苦労話を語っているのを 読むことがありますが、30~40年くらい前 だと、私立大学はいいところの息子さんが 遊びに行くところというイメージだったようで、 私立の大学院に行くなどと言うと、サラリーマンの家庭では、 「親不孝者め!少しはまともに働いたり、世間様の お役に立つこと考えたらどうだ!」と親に おこられたなどという話もあったようです。  うちの親の場合、自分の子供の将来に係わることと 真剣に受け止めて、いろいろ調べたみたいで、 結果的には程度の低い国公立大学がかなりあるんだ ということに気づいたようです。幸か不幸か 知り合いのできの悪いお子さんたちが、こぞって ○×市立大学や某国立大学に入学していたので、 「今の世の中、あんな程度の人が国公立大学に 入るんだ。」ということを実感できたようです。  ただ今の世の中、国立大学も独立法人化されると いう流れの中、かなりの国立大学が公にボロを 出し始め、中曽根さんのような東大OBにかわり 小泉総理のような慶應OBが活躍し始めている中、 未だに私大を評価しないというのは、 本当に古い考えから抜けられないガンコ者なんで しょうね。  今でも一部の国立大学は私大に比べ、 入試を考えたとき難関ではありますが、 内部の教育レベルは地に落ちていると 言っていいでしょう。  つまり折角優秀な学生が集まっても それを腐らせてしまうだけというのが、 多くの国立大学の現状と言えます。 >できれば時代の変遷とともに教えていただきたいです。  以前は確かに国立大学優勢の時代で、私立は どちらかと言えばバカびされていたようです。 理由は、私大は国立、特に旧帝大に比べ 歴史も浅く、お役所が絶対的権力を持っていた 時代には、東大かそれに準ずる国立大学卒でなければ 出世の見込みが低く、また国立大学の入試は いわゆる国家試験であり、厳密なものであった のに対して、私大は寄付金を出せば入学させる といったいわば裏口入学的なことを大っぴらに やっていたので、どうせ親の金で入学したんだろ という見方が強かったようです。 今でも裏口がないとは言いませんが(笑)  また1950~60年代くらまでは、日本の 博士号の認定は(たしか・・・)東大の教授だけ に許されていたため、東大を頂点とした国立 大学のピラミッドがかなりはっきりしていました。  いくら頑張っても私大の先生は、結局東大の 教授に認めてもらわないと博士号を取得できない といった状態では、当然国立大学の下に 私大が、といった上下関係があったでしょう。  長くなりましたが、こんな感じです。