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宗教文化についてどう思いますか?

肯定的、否定的な意見にかかわらず宗教文化(日本でなくてもいいです)に対して皆さんの思うところを教えてください。 日本人だからなのか、信仰心というものを持てないところ、外国の友人にそれはおかしいというような反応をされました。 自分にとっては、逆に何かを信仰する気持ちがよくわかりません。 人は何を思って信仰するのでしょうか? (カテゴリがなかったのでここにしました。)

質問者が選んだベストアンサー

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noname#202494
noname#202494
回答No.11

アメリカ在住で、夫のほうは、代々、南部洗礼派(southern baptist)の信者です。信者代表(檀家総代のようなもの)をしていたのを誇りにしているような家族です。 義弟のお嫁さんの兄は伝道のためにケニヤに住んでいて、多分もうアメリカには帰ってこないでしょう。以上、私の宗教的背景。 私達も結婚したては、職を探したり、家を買ったり、大学に入りなおしたり、子供が生まれたり、と周りを見回すゆとりなく突っ走っていました。で、子供が生まれてみて初めて、二人の間に倫理道徳のコンセンサスが全くないことにハッと気付きます。 そこで、二人でいちいち話し合って、善悪好悪を一つ一つ確かめてゆくことは出来たのですが、一番手っ取り早い方法として、”Do as Romans do”で夫の育ったように子供達を育てる、即ち、教会というコミュニティの中でたくさんの人たちと共に子育てをしてゆく、という方法を選択しました。 周りを見てみれば、そういう親子がたくさんいました。大学入学と伴に教会から遠ざかっても、子供の教育のために帰ってくる。。。鮭の成長のようです。 日曜日は昼過ぎまで教会にいて、水曜日も夕食を教会で伴にして、他の信者さんたちと家族のように親しくなります。そんな中で核家族の子供達も、たくさんの擬似家族に囲まれて、悪いことをすればその人たちにも叱られながら育ってゆきます。 日本の町内会のような役割を、少なくとも私の住むテキサスでは教会が担っています。 誕生日には教会から電話がありますし、大きな病気をすると夕食が届きます。ホームレスの人たちに毛布を届けたり、移住者に無料で英語を教えるサービスもあります。独自のボーイスカウトのような組織もありました。活動の中で、親達は皆、子供達の先生になります。 日本の方は、キリスト教というと、簡単に”偽善者”というレッテルを貼りますが、それはこうした社会にになう役割をご存じないからと拝察します。 アメリカとひと口に言っても、州や経済的階層よってその生活状態は千差万別です。 でも、貴方のお友達の口ぶりから、一体、教会に行かずにどうやって暮らしてゆくのか。。という切実な疑問を感じましたので、つたない文章ですが、私の経験したことをお知らせします。

その他の回答 (10)

回答No.10

日本の文化には宗教的なものが習慣として溶け込んでいると思います。 例えば、何かに成功した時に「おかげ様で」と言う。 「おかげ」というのは自分以外の力からの恩恵のことで、古くは神仏のご加護のことを意味しました。 つまり、日常会話の慣用句の中に宗教的な感謝の気持ちがこもっているわけです。 「もったいない」や「いただきます」なども生活に根差した、宗教的な謙虚さと、動植物や物にさえ宿る命の尊さを大事にする発想から出ている言葉ですよね。 つまり、日本古来の風習を守ることで、日本人は信仰を持つ者と同じ精神状態を維持できるわけです。 だったら、あえて信仰心を表明する必要はないですよね。 要するに日本人らしく生きることが信仰心を持って生きることと同義となるということです。 また、仏教は信仰しない人も救います。信仰心は救済の条件じゃないわけですね。諸外国では信仰心を持たないと地獄に落ちるという考え方がありますが、日本では信じなくても仏様が救ってくれますから、あえて信仰を表明する必要はやはりないということになります。 信仰を意識せず、信仰心を持つ人と同じ言動ができる社会にあって、もはや信仰心は表明するものではありません。 それは空気のように当たり前に存在するものですから、あえて表明しなくちゃいけない諸外国よりも、よほど信仰深いのだと言うこともできるんじゃないかと思いますよ。 質問者さんが信仰する気持ちがわからないというのも、そういう理由だろうと思います。 信仰によって得られるものが既に社会で適っている場合、新たに何かを欲して信仰する必要はなく、ただ、それに感謝し、他人に優しくするだけで十分だろうと思います。

  • eld3399
  • ベストアンサー率4% (16/345)
回答No.9

宗教文化だと本当の自由がないのではと思います。

回答No.8

基本的に自分の生命(身体)が有限の時間しか生きられないと言う事実を受け入れたくない人がなにか宗教を必要としているのではないでしょうか。 とくに一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教など、アブラハム系の宗教はそれが強いような印象を持ちます。 同じアブラハム系なのに互いに否定する排他的な面が強いのも特徴ですかね。 それに対して、仏教や道教、また神道などは排他的ではなく、宗教と言うより自然思想、自然哲学の様な傾向があります。 こちらは排他的ではないので、信仰というよりも、偉大な思想家のお話を聞くような感じで接することができますね。

  • pupurr
  • ベストアンサー率18% (129/704)
回答No.7

 日本人は宗教を知らない。また知らなさ過ぎる。  宗教と犯罪の区別すらできない。  生命感とは宗教から出てます。生命は、心と同じようにどこを切ってもそういう物質を発見できてない。  つまり、物理を超えている。それが生命感。  宗教とは、人間としての規範や生命感を扱ってます。  また、最近の宗教は、手垢にまみれてわかりにくくなってます。  いい例でいえば、仏教では、誰の中にも仏性があるといわれます。    人間としての規範、倫理観、生命感などは、宗教から出てきてます。  またそうした思いから、文化が出来てます。    逆に、そういう正しい知識と判断がないため、それが伝えられてない現代人には、生命倫理もない事件、なくなった遺族が年金をもらってたり、幼児虐待という人間性のない事件が起こるわけです。  また、そうした事件が起こる時代であることから、現代はずいぶん濁ってる時代とも言われますね。  外国に行けば、宗教で人間としての規範を学んでるのは当然という考えです。  ですから、宗教を知らないわからないというのは、約束をやぶったり、うそを平気でついたり、悪いとも思わなかったりと、動物として見られるわけです。  まぁ、大半の日本人は、常識という規範で生きてる人が大多数だと思います。非常にあいまいなものですね。ですからモラルや常識、倫理観がなくなっても、しっかり反論も出来ないことが多いのです。  善悪の観念は、厳格なものですが、今の政治に見られるように、その精神は危うくもろいものですね。  信念をどこで身に着けるのでしょうか?  ちなみに、仏教とは仏教哲学という理解が正しいです。つまり哲学。生命哲学です。

回答No.6

「宗教をしない」という信条を持つ場合、それも「宗教」です。 宗教には「一神教」と「多神教」があります。日本人は多神教ね。 >人は何を思って信仰するのでしょうか? 人間の歴史で、他律的社会性を保つため、戒律などがあるのです。 それは「方便」であり、必要悪だったのです。 物理学などの発達により、近未来、神は不要になるかもしれません。

回答No.5

宗教と云う事は『心の或は魂の救い』を顕していたと思います。この救いようが無い人生に救いが在る事を、宗教者は、在家の人達に伝達する義務が在ったと思います。その見返りに、宗教者側に土地や食糧が供給されていたと感じています。 今の宗教には、なかなかこの事を伝達する事が出来なくなっています。西洋でも教会離れと云う減少が起きています。日本でも『お寺』の存在の意味すら分からなくなっていると感じます。 宗教とは、『有限の救い様の無い人生に』一つの希望を与えるものと確信しています。 今の宗教人たちの怠慢と感じています。何も不自由が無くて、満たされた生活の中で、生死の問題を解決するほどの人が出ないと云う時代背景が在るのかもしれません。

回答No.4

はじめまして。無神論者からカトリックのクリスチャンになった者です。 宗教文化、いろいろな形のものがあると思いますが、私なりの想いといしては、「生きる意味」だったり「この世界とは何か」というような心の奥深くにある根源的な問いに対して、長い歴史と多くの知識を使って考えて考え抜いた人類の大切な知恵の結晶、のように考えてます。その文化に対する歴史的な評価が良くも悪くも、人間の本性というのをその中に見出だせるものではないでしょうか。教養としても有用なので、諸宗教の歴史等つかんでおくと良いと思います。 さて、もうひとつの問い「信仰」についてですが、知識として宗教を知ることと、信仰を理解することには大きな隔たりがあります。 安易な例えをするなら知人でも芸能人でも良いのですが、ある人に対する知識(いつうまれたかとか何が趣味かなどその人のひととなり)を知りつくす事と、その人を信頼してその人についていきたいと思う気持ちは比例関係とは限らない事に似てます。 答えのない事ではありますが、理解する一つの方法として、自分が生涯、信頼していきたいと思う何か(恩人だったり友人なり、愛する家族でも良いです、もちろん人でなくてもいいです)に対する愛しさだったり親しさを思い浮かべてみてください。その想い、というものがご友人様が持っている神仏への信仰心に近い、かもしれません。

  • Shin1994
  • ベストアンサー率22% (551/2493)
回答No.3

僕は、宗教にとらわれない日本の文化が大好きですよ。 外国には国教があって、それに基づいた習慣が当たり前ですが、それってちょっとつまらないじゃ無いですか。暮らしにバリエーションが無いというか… それに、宗教を重んじる為に今までどれだけの戦争が起きたでしょうか。宗教を盾にした聖戦はかなり愚かです。 日本の様に国教が定まっておらず、どんな宗教も待遇されない事を憲法に定めておけば、少なくとも宗教戦争などのつまらない争いはなくなるし、神に頼らず自分たちに頼って生きた方が立派な気がします。 そういう意味では日本は立派!心の支えを外国人ほど持っていないのに、みんな普通に生きてるんだもん…

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

アイデンティティーと関係があるからじゃないでしょうか。 外国では各宗教は地域の生活に密着してます。 年中行事として宗教行事をやりますし、生まれて死ぬまでも墓までも取り仕切ったりする宗教もある。 同じ行事をすることで、仲間意識を高めるし、同じアイデンティティーだと確認しあえるわけです。 その街の未来を決定するのも、市民じゃなくて宗教組織。 地域において、宗教組織じゃ絶大な影響力を持っている。 「あの方に投票しましょう」と言えば、その人が当選することになる。 だから政治家は当選したかったら、市民にアピールせず、教会に賄賂を渡せばいいわけです。 当選させてくれるから。 日本の場合は、どの宗教の信者? とは聞かず「どこ出身?」「どこの生まれ?」と聞く。 となりの市だとなると「ああ ○○祭りの市ね」と、相手の特徴のひとつがわかるわけです。 その人の出身地が、その人のアイデンティティーの一部を表象していることになるので。 ヨーロッパの場合は、キリスト教が多いのですが、宗派によって特徴が違うので、どの宗派か聞くことで、その人の特徴がわかるわけです。 例えばローマ・カトリックは偶像崇拝なので、像に向かって祈りを捧げますが、プロテスタントは偶像崇拝をしないので、十字架すら下げていない人がほとんど。 十字架を下げていたら、ローマ・カトリック信者の可能性が高いわけです。 まあゴシックファッションとして十字架を下げて人が多いので(棺おけのかわり)、十字架ぶらさげていたら必ずキリスト教徒ってことにはならないが。 で、ローマ・カトリック信者だと確認したら、相手の価値がわかるわけです。 毎日ざんげしては裸になって鞭で自分をひっぱたく人だって。 婚前の性交渉はできないとわかり、性交渉もあまりやりたがらず、やるときは避妊しないで中だしなので、計画して性交渉をしないと、子沢山になってしまうってこともわかるわけです。 さらに、結婚後 性格の不一致で、とうてい一緒に暮らせないと10年以上別居して会ったこともなくても、死ぬまで離婚はできない。 ここまで相手の特徴と未来が宗派を聞くだけで把握できるわけです。 特定の宗教を信仰していないと言うと、特徴がつかめないわけです。 特徴が無い人、透明人間のように感じるわけです。 ただ、私がローマ・カトリック信者に抱くアバウトな特徴程度に、外国人も日本に対してある程度特徴らしき認識を持っていますよね。 私の場合、日本人だとわかると ソニー って言われる・・・・ ぺこぺこお辞儀され、合掌される。 んーーーーーーー 日本人像のパロティー・・・・と思うが、諸外国の宗教行事をパロって日本のカルチャーにして、それで遊んでいるのが日本人ですからね。 キリスト教もユダヤ教のパロディーですから。笑 まあ そんなパロティーをそれぞれの宗教が真面目にやるわけで、おもしろい文化だと思う。 人は何を思って信仰をするか? おそらく災難をパロティーにして笑い飛ばすためじゃないかと。 だいたいは、大きな不幸があって、かつ回りに親しい人がいない人が、人間嫌いになり宗教に走るんだと思う。 人間はもう信用ならん ってことで、慰めを自らが作った偶像に求め、信仰するんじゃないか と。 告白を聞いたことがありますが、「失業した」とか「子供が無くなった」とかそんなとき、宗教に救いを求め入信したって言ってました。 ハッピーな状態の時に、入信したって人は一人もいなかった。 もし 不幸な時に慰める誰かがそばにいたら、宗教にすがるってことはしなかったと思う。 入信と不幸はペアだと思う。 「苦しい時の神だのみ」という言葉は、苦しいときだけ「神様助けてください」という人を茶化すときに言いますよね。 これが日本人。 「苦しい時だけ、神にすがるなんて、調子がよすぎる そんないい加減なものは信仰じゃあない」といわれたら、「いやいや 信仰じゃなくてカルチャー。 これが日本のカルチャーでアイデンティティーなの おわかり?」って言いたくなる。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.1

生まれた時は、神社で神道(お宮参り・七五三) 結婚式は、教会でクリスチャン 死ぬ時は、お寺で仏教 信仰と言うよりも文化、宗教文化と呼ぶよりも、そのような文化 新道はどちらかというと、土地神で、自分の住んでいる地域(国含む)を守る宗教 クリスチャン系や仏教は、家(個人?)を守る、が守る宗教 これも文化です また、信仰心はそれぞれの家柄なので、日本人だからは当てはまりません

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