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古典文法の疑問:「らむ」とは何の連体形?
- 古典文法の質問です。「鸚鵡は人のいふらんことをまねぶらむよ」という枕草子の一文での「らむ」について、連体形であるとされています。しかし、後ろの「よ」が接続で連体形を要求しているとは限りません。そのため、「らむ」がなぜ連体形なのか理解できません。もし、後ろに省略されている要素があるのかもしれませんが、確証はありません。
- 古典文法の質問です。「鸚鵡は人のいふらんことをまねぶらむよ」という枕草子の一文での「らむ」についての疑問があります。この「らむ」は連体形であるとされていますが、その理由がわかりません。後ろの「よ」が接続で連体形を要求しているとは限りません。もしかしたら、後ろに省略されている要素があるのかもしれませんが、自信を持って言えません。
- 「鸚鵡は人のいふらんことをまねぶらむよ」という枕草子の一文での「らむ」についての質問です。この「らむ」は連体形であるとされていますが、その理由がわかりません。後ろの「よ」が接続で連体形を要求しているとは必ずしも言えません。もしかしたら、後ろに省略されている要素があるのかもしれませんが、自信を持って答えることができません。誰か、教えてください。
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まず、「らむ」について。 この場合二回出てきています。 「鸚鵡は人のいふ 〈らん〉 ことをまねぶ 〈らむ〉 よ」 (オウムはとてもおもしろい。人の言う〈ような〉ことを、まねる〈ということだ〉よ) ここがミソです。 一回目が婉曲で二回目が伝聞推定ですが、同じ語なので元々同じ意味を持っていたはずです。 完全な伝聞ならば伝聞推定の「なり」(=音有り・ねあり)を使って 「鸚鵡は・・・人のいふらんことをまねぶなるよ」 に、したはずです。 でも、そうしなかった。「らむ」をつかったので、「婉曲交じりの伝聞推定」になっているのです。 「オウムは・・・人の言うようなことを、まねると〈いうようなことを、いつか誰かから聞いたことがある〉よ」 ものすごい不確かな情報です。 次に、「よ」について。 終助詞あるいは間投助詞の「よ」は、文節で語調を調える(さればよ、)とき、命令する時や禁止の「行くなよ」のように命令系につくとき以外は、体言につきます。 鳥よ(呼びかけ) それこそ本望よ(告示あるいは表示) 世の中よ道こそなけれ(世の中というものは、主語) 人の物言ひさがなさよ(源氏・口やかましさよ) のちの時代には人の交流が活発になるにしたがって、はっきりとした開口音の{や}になります。 古池や 辞書に載っていないだけで、体言・連体系接続の用例が圧倒的に多いのです。 したがって、自動的に「体言接続」にされてしまい、 「オウムはとてもおもしろい。人の言うようなことをまねるというよ」 ではなく 「オウムはとてもおもしろい。人の言うようなことをまねるということよ」 になりました。橋本治が今訳せば 「オウムチョー変。人の言ったりすることをまねるんだって(だということ)さ」 とでもするでしょうか。でも、当時としてはおばさんだし、読者は中宮なので 「オウムは奇妙だ。人の言ったりすることをまねるというように聞いたことがあるよ」 でしょうか。
お礼
おお! 素晴らしく納得できました^^ 文法の本職の方でしょうか? 端々にすごい知識量を感じました・・・ これで、しっかり説明できます。 自分の知識のようにw ありがとうございました! またお願いします!!