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天皇家について

最近ニュースを見て、ふと思ったのですが、 天皇っていつから奥さんが一人になったんでしょう? 中宮とか女御とか、昔はたくさんいましたよね? いつ頃から、そうなったのか分かる方がいらっしゃったら、教えてください。 お願いします。

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  • hozanna
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回答No.2

正妻が二人という一条天皇のような、 特別な場合はありましたが、 正式な皇后(中宮)は昔から一人だけです。 (余談ですが、この一条天皇の二人の正妻というのが、 定子と彰子で、定子に仕えたのが清少納言、 彰子に仕えたのが紫式部です) しかし、皇后というのは上流貴族の娘で、 たいてい体が弱かったため、 子を産むのは側室の場合が多かったようです。 それはずいぶん続いて、明治時代まで続きます。 明治天皇の子供も全員側室の子供です。 (大正天皇は皇后の子ではなく、側室の柳原愛子の子です) それが変わったのは、大正天皇の時で、 大正天皇の皇后が四人も男子を産んだため、 側室をおきませんでした。 しかし、これは、たまたま皇后が子を多く産んだため、 側室をおく必要がなかった、というだけで、 正式に側室制度が廃止されたわけではありません。 正式に廃止されるのは、昭和天皇の時で、 昭和天皇の皇后(最近なくなった香淳皇后です) がなかなか男児を生まなかったため、 側室を置こう、という意見が出ましたが、 昭和天皇がこれを断り、 側室制度は正式に廃止されることになりました。 ですから、側室がいなくなったのは大正天皇の時代、 側室制度が廃止されたのは昭和天皇の時代、 ということになります。

oroshi-s
質問者

お礼

回答、ありがとうございます! すごく詳しくて、この答えを読むだけで勉強になりました。 自分は学生なんで、定子に清少納言が仕えていたなどという知識は、重要ですから。 ここまで詳しいことを知ることができるとは思いませんでした。 丁寧な回答、本当に感謝しています。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • old98best
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回答No.1

昔から、皇后は1人だけですが…。 正夫人以外の側室に相当する女性を置かなくなったのは、大正天皇からです。 皇后や皇太子妃が産んだ子供が天皇を継いだのは、近世以降では昭和天皇からですね。 大正天皇ご自身は、母親は皇后(後の皇太后)ではありませんでした。

oroshi-s
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます! 短い文の中に、欲しかった答えがしっかりと含まれていて分かりやすかったです。 けっこう最近なのだと知って、ちょっと驚きました。 明治くらいから、すでに側室がいないのかと予想してましたので。 本当にありがとうございました。