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「存在」の定義について

存在の定義ってなんですか? 定義というか、存在してるかどうかの見分け方みたいな感じですが… 例えば、鉛筆は見えるし、さわれるから存在していることは分かります。 しかし、「音」などは聞こえるけど、見えないし。情報やエネルギーなども、存在してるけど説明できないような感じです。 そこで「存在」とは何か、を説明してほしいです。 また、「こっちのカテの方が良い回答が期待できる」等もあればありがたいです。 よろしくお願いします。

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noname#123390
noname#123390
回答No.5

例によって後だしじゃんけんでサイテックすさんの2番煎じとして、ある程度より分かりやすく出来ればと思いますが---(汗)。 >1)鉛筆は見えるし、さわれるから存在していることは分かります。 質問者様の存在の定義は「見えて」「触って感触があって」ということですね。 視覚と触覚に信をおかれているのですね。 >、「音」などは聞こえるけど、見えないし。情報やエネルギーなども、存在してるけど説明できないような 聴覚は余り信頼できないし、間接的なもの、センサーで感じさせて大きくしてもそれは信じられないし、まして抽象的な言葉であらわすもの「となりのBさん」といった存在はないかもしれないというわけですね。 しかし、私はそうは思いません。視覚は一番分かりやすいですが、やはり光という波動の感受であり、音と本質ではおなじものです。接触も皮膚の神経が発する電気的信号だということです。皆継続的のように見えて時々刻々変化しています、音のように。 厳密に「存在(するもの)」を考えた場合、貴方が信頼する 1)においても、かなり大雑把であり、必ずしも全幅の信頼は出来ないと思います。つまり、貴方が見、触ったものは、貴方が見たとき、あるいは触ったときには確かにあったのかもしれませんが、その触る直前には果たして存在したのか、あるいは、見たときにはあっても、貴方が目を離した直後にはもうなくなっているかもしれないのです。つまり、 貴方がある時点、ある場所に限定するかぎりにおいて然るべき経験をした対象が「存在するもの」なのだということでしょう。 それは見てもいいし、触ってもいい、聴いてもいいし、舐めて味わっても、嗅いで確かめてもいいと思いますよ。人間は5感で生きています。ただし、その瞬間だけです。その前後、時空間における過去と未来の事物は厳密に言えばすべて「存在するもの」ではないということです。過去のものはあなた自身を何らかの形で傷つけていますから、貴方が信頼すればそれなりに(貴方的には)2次的な存在は確保できるでしょう。しかし未来はその限りではありませんね。誰にも保証は出来ません。どこにも存在の証拠はありませんし。 たとえば、私たちがこうやって生きている時点の次の瞬間に世界が消えうせるということはありうることです(北朝鮮の核弾頭が飛んできているかもしれませんし)。ま、未来も想定することは可能です。今、この現在という一点を境にして過去へ、またその逆方向の未来へ続く光速(なにものもこれ以上速く伝播しない)で区切られた円錐形の有限空間が存在の可能性、あるいは確定された記憶の在り場だということだろうとおもいます。 ご参考になれば。

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回答No.6

触覚に重点を置くならば、その「触る」という事は、原理的には 何か強固な固体がある訳ではなく、ほとんどがらんどうとも言える 空虚な原子の集まりにおいて、双方の表面の原子の最外殻電子 同士が電気的に反発し合う(光子を交換する)ことに過ぎない。 実は、触覚以外の感覚も、それぞれの感覚細胞の違いや 媒体の違い(空気の振動や熱振動、化合物など)に過ぎず、 突き詰めれば「感受器官表面での量子(=光子)相互作用」に 還元されるのです。 そこにおいて、人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積により、 次にその1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合 したイメージ(ニューロネット)を励起させるという働きがあります。 その最も分かりやすい例が、色でしょう。 物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に 過ぎず、「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。 その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積 において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の) 多次元の印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長 波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や 空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、 潜在している事が分かるでしょう。 こうした「経験の蓄積」によって、原理的本質の確定を経ずに、 対象を認識(階層現象表面的定性化)する時、#4で述べたような 「不確定性原理の相補的不確定性を、確定化して無限不確定性に 発散させないよう、階層現象表面(仮象)的に“いい加減”に捉える事で、 有限的な存在性(宇宙)は派生している」事は可能になっているのです。

回答No.4

全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づいており、 無限につめ込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識体 の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完 (相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 量子論的世界像では、有限な存在性は観測によって生じています。 不確定性原理の相補的不確定性を、確定化して無限不確定性に 発散させないよう、階層現象表面(仮象)的に“いい加減”に捉える 事で、有限的な存在性(宇宙)は派生している、ていう。 自我仮説と時空仮説の相補分化‥‥全ては、あなたが存在する ための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。 (自分を切り取った雌型が環境) 相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか 存在性は無い、という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものであり、認識性 (相対)を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受 表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速) による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性」の相補としての 「時空仮説性」。 「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の 収束におけるhの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸と なって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去 =経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、 同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事で相補的不確定性を生じ、 経験による予測=現象表面的定性化における有限的存在(=非光速)を 幻出しているのです。 その仮説的時空軸は、(相対性理論において時間項がマイナスゆえに) 等距離点に「ライトコーン」と呼ばれる、0の界面を生じます。 なぜライトコーンかというと、それこそが光の描く軌跡だからです。 「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた 時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、 存在は生じていると言えます。 換言すれば、無いとは分からない事が有なのです。

  • amaguappa
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回答No.3

事物や出来事と「関係を持っていること」ですね。 いろいろな関係があります。 自然科学でみとめられる関係、数学でみとめられる関係、哲学でみとめられる関係、認知科学で認められる関係、歴史学でみとめられる関係、などなど。 一口に鉛筆が存在するなどと言っても、 前後左右との関係の状態が怪しいと、透けて見えたりすることでしょう。 分子構造の状態が怪しいと形との関係は怪しいですね。 また、見たとたんに忘れてしまう脳障害があったとすると、自分自身との関係の状態は怪しいですね。 いろいろな関係にしたがって、テーマにふさわしい記述方式で、 「問題とする関係がとりあえず怪しくない」とすることができますし、 未知の分野でもそうできるよう技術を開拓していくことで、 事物や出来事の新しい発見があり、知の喜びがあります。

回答No.2

 んー・・・モノとして「有る」のか、 そこに意志を持って「在る(居る)」のかによっても変わって くるかと(酔汗)

noname#122951
noname#122951
回答No.1

存在=あると云うことです。見える聞こえる関係ないです。あるに言い換え可能です。使い方として 名詞がある = 名詞が存在するになります。 名詞ですから明日でも動きでも何でも可です。

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