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”上から目線”というのはどういうことか。
例えば、こちらのサイトで質問をして、私のような素人が、その道の達人に教えていただくとして、”上から目線”になるのは、これは仕方がないと思うのですが、何故いけないのでしょうか。 ”上から目線”という新しい慣用句には、何か私の知らない背景があるのでしょうか。 具体的にどんな言い方が良くないか、教えていただければ幸いです。
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No.8です。 いわし、好きですよ。まぐろも好きですけど。 真摯な上から目線と、真摯でない(悪意の)上から目線があると思います。 真摯な上から目線は、受け入れるキャパのある回答者はちゃんと受け入れてくれますから、多少批判を浴びたからといって、自粛する必要もないのでは?と思います。 もちろん、本気で傷つきやすい方には、言い方を工夫したり、フォローを入れたほうが無難だとは思いますが。。 質問者さんのような方は、「素直な上から目線」という感じでしょうか。 おそらく、質問者と同じレベルで悩んだことがないように感じさせて、そこがまた腹立たしいのかも。 ・・・という言い方も、ある意味、質問者さんに対する「上から目線」だと思うんですけど、不快になられましたか? 日本の風潮?については、 若者がささいなことに傷つくことよりは、大人にモラルが欠けていることのほうがどんよりしてしまいますけどね。
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- mousin
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成長する機会なぞ上から目線のクソッタレ共に貰わんでも他に幾らでもあるがな。 そもそも上から目線でしか教えられないのは本人の成長がそこで止まっているからではないのか? いい加減もう一段上にステップアップして貰いたいものだ。 うるさくてかなわん。
お礼
そうです。 何とかステップアップするヒントを皆様からいただいて感激です。 聞かれたことだけを簡潔に答える。あとは本人次第ですね。 今までの回答を全て含んだ示唆をありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
#9です。 Cyototu先生の意見を拝見していて、ハッとしました。 他者から「上から目線だ!」と指摘されることはイケないのかと思い、そう言われないようにしなくちゃと考えていた自分に気づきました。まったくバカげたことですね! 目線が上からだろうが、下からだろうがそんなことは末梢的であって、重要な事は発言の内容であるということを見失いかけておりました。わけもわからないまま「上から目線」「上から目線」と非難されたことがトラウマになり、発言内容よりも目線の上下を気にするような人間になりかけていた。 考えてみれば、多くの質問者は回答の内容を読んでいるのであって、その内容を理解し、自分の参考になるのかならないのかを考えているはずです。 たまたま、内容よりも目線の位置の方に反応する質問者の質問に回答してしまった時に、論点がすり替えられ、内容ではなく、目線の上下を非難されたのでした。今後、意識するべきは回答の内容であり、目線の上下ではないことが今、はっきりと分かりました。 私の敬愛する大工に前場幸治という棟梁がいます。 彼は中学校を卒業し15歳から大工をやってきたお爺さんですが、二冊の本を出しています。 口述筆記なのかもしれませんが、本は全部口語体です。関東の職人言葉で書かれています。 それが、上から目線なんだなぁ。読んでいて痛快です。 上から目線の職人言葉ですから、読者を神様と思っていないし、「読者様」などとは間違っても呼ばないでしょうけれど、全然不快じゃない。痛快だ。 内容も、生産性向上や構造力学などの現代建築の観点からみれば、古典的と言うか正直言ってアナクロニズムだ。 でも、読んでいて、なにか子供の時に大人のオジサンから面白い話をしてもらって、一心に聞いていたときの様な気持になる。 私の目指していた物言い、語り口がここにあるのだろうと思います。 前場幸治さんのように上から目線でべらんめえ調で語っていても、決して疎まれることなく、むしろ親近感を与える表現ってのがあるんだなぁ。 表現なのか、内容なのか、それとも行間から染み出る人柄なのか。 まだまだ修行しなくちゃいけねぇなぁ。
お礼
再びの回答ありがとうございます。 皆さんにご回答をいただいて、面白く拝読しました。 勝手ながら大変気が楽になりました。 回答者さんもトラウマが消えて良かったですね。 これからもどしどし回答なさってください。楽しみにしています。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
またまたお邪魔します。 >若者がささいなことに傷つくことよりは、大人にモラルが欠けていることのほうがどんよりしてしまいますけどね。 これを見ていると、日本はどうにもならないところまで来てしまったんだなと思いました。私は戦後生まれですが、その最も初期の時期に戦後教育を受けた者です。敗戦で振り子が全く逆の方向に振れて、戦前の教育は全てが悪いと言う発想でした。占領軍のアメリカが送り込んだ教育使節団の報告の翻訳を基に日本の教育基本法が書かれ、それに基づいて所謂「民主教育」なるものが流れ込んだ時期でした。 しかし、我々の世代は未だ増しだった。何故なら、学校ではおかしな教育を受けて来るのですが、家では親達がおかしな人間にからないうちに引き戻してくれたからです。ところが、この私たちが親になった辺りから、いよいよ日本がおかしな方向に進み始めたようです。何故なら、学校でおかしな教育を受けた子供に私たち親が妙に同意してしまい、それを引き戻す役割をしなくなってしまったからです。そんな無知な私たち親に育てられた可哀想な子供達がまた親になった頃から、学級崩壊や引きこもりやいじめが深刻になって来ました。また、前代未聞の大蔵省の中堅官僚の汚職などが話題になるようになったのもそのころからでした。もう、その引きこもり世代も30歳を超えるようになりましたね。その後に来たのが「ゆとり」です。これじゃ、#18さんの上の言葉が尤もだと思いました。学級崩壊がいよいよ社会崩壊に移行し始めたのでしょうか。 私はアメリカの大学に勤めていますが、最初のうちはその事情が把握できず、時々日本を訪れたときに、日本の大学院生達に 「お前ら、いつまでそんなガキなんだ。大人になれ。」 と捲し立てていたのですが、そのうちに、実はこの若者達がもともと駄目なんではなくて、実はその若者達は被害者だったんだと気付きました。だからある時、そんな若者達に 「私はあんたらが今まで駄目人間だと思っていたんだが、実はあんたらは被害者だったんだね」 と言いました。その時の一人の若者が 「そんなこと言われたって困っちゃいますよね。私たちが駄目人間だと言われているのならまだ直しようもあるけれど、被害者だったなんて言われてしまったら、もう直しようがないじゃないですか」 って言っていました。私も同感でした、これを直すのは大変なことだと思いました。 余談になりますが、数年前に日本の物理学会の理科教育のシンポジウムを聞きに言った時、ある高校の先生が、物理の専門の先生方に理科教育の崩壊を何とかして欲しいと訴えていました。その先生曰く、 「子供達の授業時間がゆとり以前から少なくなり始めていましたが、ゆとり以降は小学校から教育系の大学を卒業するまでの間に教わる理科教育が、何と全てで700時間ほどまで減ってしまいました。これは、2~30年前の約半分の授業時間です。だから、ただ今教育免許を取得して小学生の先生になっていくる方の多くの先生達の理科や科学のセンスがまるでなくなっています。皆さん良く考えて下さい。その先生方は、今後30年以上小学校で教えるのですよ。だから、そんな先生から今後30年以上に渡って小学校の子供達は理科を教わらなくてはならないのです。専門科の先生、何とかして下さい。」 お恥ずかしい事に、そんなゆとり教育を提唱して押し進めたのが、物理学者で某大学総長出身の文部大臣だったんですね。その高校の先生も物理学者達にその苦悩を訴えなくてはならない皮肉な巡り会わせに、目を白黒させていたんじゃないですかね。 こと程左様に、教育の失敗はそれを取り戻すのに途方もなく長い時間が掛かってしまうのですね。子供も駄目、大人も駄目の今の日本の世の中、これを改善するには、想像を絶した長い時間が掛かりそうですね。 戦前の五・一五事件でも「話せば分かる」と言いながら射殺された首相がおりましたが、平和ボケの戦後生まれの今の首相も「話せば分かる」なんて明後日なことを言って、相手から問答無用と言われて国民を危機に陥れるんじゃないかと心配しています。 上からの目線で萎縮したり、桁違いに経験を積んだ方から「お前は馬鹿か」と言われて切れてしまい、それを切っ掛けに自分を高みに持ち上げることが出来ない若者達を見ていると、日本て本当に大丈夫かいってな頼りなさを感じてしまいました。そんな連中は、生物の進化の過程では、生き残れるはずがないのですがね。だから、そんな連中は放っときましょうと言うのが、私の生産的な提案です。
お礼
再び回答くださり、ありがとうございます。 そうです。昔は偉い先生方が、生徒達にわざと乱暴な言葉を使って、親しみを見せてくださることがありました。懐かしいですね。ああいうのはもうないんでしょうね。 いつの時代に、またどこの国に生まれてくるか、私達は選ぶことができないわけですから、私達の根付いたところで、出来ることをしていくしかないのでしょう。 今、まだアメリカにお住まいですか。私はすっかりこちらに帰化してしまい、来日すると、びっくりすることばかりです。昔の柔軟性がなくなったんでしょう。よく日本の状況を把握していらして、感心いたしました。 何事も柳に風で受け流せばよいのですね。 親身なお言葉、ありがとうございました。
- sisinosuke
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上から目線がいけない理由 上から目線をされた側が「自分が一番正しいと思っているのか?こいつバカじゃねぇ!」「あんたは何様なの!」「偉そうに!」などの反応により本質がスポイルされてしまう。 上から目線をされた側はやる気をなくす。モチベーションが下がり生産性が落ちるため社会的損失は膨大なものとなる。 上から目線で相手の意欲を削ぐ人間は下手な犯罪者よりも罪は重い。
お礼
端的な回答をありがとうございました。 そうですね。 ”上から目線”の被害にあった人でなければ、その気持ちは判らないですね。 いやな気持ちを与えることによって、本当に言いたいことが伝わらなくなってしまうのは、時間の無駄ですね。いや、それ以上だと回答者さんはおっしゃる。 そうならないように、努力する価値はありますよね。
- namde
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1)なぜ教えられる立場の人が一歩下がってへりくだるのが”感心”できないことなのか、 クラスで掃除をサボる生徒とまじめにやる生徒がいます。 サボる生徒にしてみればまじめにやる生徒がいるために自分がサボっていることになる。 みんながサボっていればそれが普通になる。 まじめにやる生徒がいなければサボりが目立つことはない。 へりくだるヤツがいるからへりくだらない人が高慢に見えてしまう。 2)なぜ、少し自尊心を傷つけられると、いきり立って怒り出す人が多くなってしまったのか、 子どもの自尊心を傷つけないようにしてきた教育環境。 子どもの間でも空気を読み合い互いに傷つけ合わない関係を構築している。 日常、社会人との接触が少ない。 そのように育ってきた若者がネット上でガサツな年寄りに絡まれれば、、、 3)なぜ、ウェブ上という、公で、しかも制約された場所で、わざわざ質問者や回答者にとって不愉快な物言いをするのか、 不快にさせられたことへの報復。 logger_manの名回答 オレのような、あちこちで曲解?されるような文章をあえて書いている人間からしても、あんたのお礼は、けっこう相手の神経を逆なでするところがあると思うぜ。あんた、相手の文章を冷静に分析し、感情的にならずに答えようとしているだろ? たいていの人間にとって、「冷静で正しい分析」は、不快以外の何者でもないんだぜ。
お礼
私は判ってしまったぞ。 面白くもないのに、くどいのがいけないんですね。 いえいえ、私はディベートクラブのコーチ補佐をしていたことがありまして、この質問形式は、その頃からの癖です。失礼いたしました。 こういうのって、結構、問い詰められた感じがして、いやですよね。それは書いているときに、ちょっと感じましたが、言いたいことを言ってしまうのもこの場合はいいかな、と思いました。 悪気はありませんので、お許しください。 今回の回答で、ちょっとだけ貴方の表情が見えたようで、私はそのほうが面白いと思う。(っていうとまた不愉快かな。) 私の今までの回答の何がいけなかったのか、これからどうしていったらよいのか、具体的に判った気がします。 役に立つ回答を、本当にありがとうございました。
- Ishiwara
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Aが質問してBが答えるとします。Aが然るべき敬意をもって接するのは、人として当然ですが、Bが「教えてやる」「自分のほうが立場が上」と思うことは感心しません。Bの発言の中にそのように感じさせる部分があると、Aまたは第三者から「上から目線」という非難を受けます。もちろん、質疑応答の場面以外でも、そのようなことは起きます。 それ以外に深い背景などはないと思いますが。
お礼
これは簡潔な回答をありがとうございます。 実際に、”上から目線騒動”とも言える問題がウェブ上で起こっているのですが、これをひとつの社会現象と捉えるのは、間違いでしょうか。 明らかな世代の交代、時代の変化の一端を、皆様の回答から感じます。 1)なぜ教えられる立場の人が一歩下がってへりくだるのが”感心”できないことなのか、 2)なぜ、少し自尊心を傷つけられると、いきり立って怒り出す人が多くなってしまったのか、 3)なぜ、ウェブ上という、公で、しかも制約された場所で、わざわざ質問者や回答者にとって不愉快な物言いをするのか、 私には、日本の文化の根底にあるものが、変化してしまったとしか思えないのです。多分アメリカではジョークで済むものが、日本では少し質の違うものになっているように思います。 その変化の背景、あるいは様相を理解し、少しでもその変化に適応してゆこう、というのが、私の質問の趣旨です。どうしたら私は”上から目線”の回答をすることが避けられるでしょうか。 回答者さんも、ご自分で体験なさっているから、書き込みをしてくださったんだと思います。 どうもありがとうございました。
(つづき) 「質問の内容が理解できません。パラフレーズしてみてください。」 「デリカシーがないのは事実です。一度お灸をすえておくのもいいでしょうか。」 「真に優れた人物はこういういやらしい物言いはしないものです。」 「ご質問の御文中、「生涯学習として文学」という部分にひっかかりました。別段いちゃもんをつけようというわけではありません。」 「思うに、そういう漠然とした(失礼!)目的ではいつまでたっても所期の目的に近づかないと思われます。」 「(というか高校生ならそれくらい分かっていいのでは)」 「(レベルが低いって言ってるんだから自分の勉強をやりつつ、授業を聞くくらいの芸当は当然できますよね)」 「質問者の質問のレベルを拝見すると、、、」 「恋愛なんぞに現をぬかしておるよりはるかによいことです(と言っても素直に受け取る心境ではないか)。」 「私なぞは質問者さんの「本気度」を疑っちゃうんだけれど。「本気」って「本当」って。」 「お聞きになりたいことが整理されていないのではないかという印象を持ちました」 「どういった読者を対象にした文章かが書いていない時点ですでに「文章がむちゃくちゃわかりにくい」に該当します。すなわち「思い込み」が激しい。」 「つまり「自分基準」の文章を書かない訓練をすることです。」 「多分、アドバイスを求めていても回答者が回答しにくい文を提示するところに、質問者さんの「問題」があるように感じます。」 「君の質問にはデータ不足で応えられないのだよ。中学生だったらもう少し考えて質問してみなよ。」 「正しく質問しないと(つまり的が外れていると)君の求めるような答えは返ってこないということ。」 「質問者さんは同年齢の仲間のトレンドを「大衆用」と内心軽蔑しつつ、人と違う嗜好の音楽、文学、ファッション、美術それも最新かつマイナーへの通暁を「誇り」とするような、他と隔絶した「孤高」のイメージ、すなわち「貴種」への憧れがオブセッションぎりぎりでバランスを保つような、はたから見れば「生意気」「気取っている」「何を考えているか分からない」女の子でしょう。」 「少し長く生きていると、そういったものへの憧れが、いわば「青春病」とでも言えるような、ある種の傾向の人種の持つ「凡庸さ」であることがわかるようになります。」 「では、多分、「君って変わっていて、すごくいいよ」って言ってもらいたかった君へ。今のままでOKですよ。」 「もし、おわかりになる能力(脳力?)がないのなら、今まで書いたことはすべて無駄ですからお忘れになってください。」 「ここまで書いて、いわゆる「釣り」なのかとも思いましたが、そうではないことを願うのみです。」 「こういったサイトを利用するさいは、実生活で「公共の場所」で人の目を盗んでゴミや汚物を捨てないのと同様に、利用者集団の「モラル(の均一化)」が求められ問われます。」 「管見ですが、この国のネット利用はいまだ「過渡期」にあり、推奨されるエチケットが行き渡っていない状態での該当の「問題」ということでしょうか。」 「「人を蔑む」ことや「他の失敗を論い」「些細な瑕疵を揶揄する」というどす黒い「悪感情」の虜に容易にさせる「引き金」の役割を、この「匿名性」という条件が、果たしているという側面があるように思われます。」
お礼
最後のページですね。 笑ってしまう回答も多いのですが。よくこんなに集まりましたね。 何とか手助けをしてあげたいという気持ちを前面に押し出し、なるべくわかりやすく、比喩など使わずに、直接話法で書いていけば、何とか批判は免れそうですね。 断定的な書き方はまずいかなぁ? 21世紀以降、時代はどんどん変わってゆきます。バブル崩壊の後に生まれた子供達がどんどん成長して、私達中高年を驚かせる時代になりました。 ナイーブで傷つきやすい、なおかつ押し付けがましさを何よりも嫌う、彼らと交信を持つのも、一つの勉強ですね。ああ、ついに私も時代遅れになったか。。。 私の未熟な問いに、熱心にお答えくださり、ありがとうございました。
(つづき) 「辛口になります。(この表現は理解できますよね。別にカレーの辛口ではありませんよ、為念)」 「「教えてgoo」といった、世の中で普通に生活している人たちが普通の言葉でやりとりしているサイトに、まるでアニメの登場人物よろしく、知性のかけらも感じられない汚物のような「駄文」を恥ずかしげもなく「書きちらし」、しかも自己反省する能力の欠如から「なにを言いたいのかわからない」(=すなわちマスターベーションのレベル)文字を羅列する。」 「この表象こそ「悪影響」の表れだと思います。そうなってはいけないと肝に銘じてみましょう。」 「恥」を「恥と思わない」精神の衰弱は憐憫を通り越して「嘲笑」の対象にすらなりませんよ。」 「文章のレベルから判断すると、「心」は子供なのでしょう。(勿論、「子供」って悪い意味で使ってますよ)」 「「なぜ、嫌うのでしょうか?」には誰もあなたを満足させる回答は書けませんよ。問いの「問い方」が間違っています。」 「 所詮は問題に対して独自の見方も切り取り方もできない小人物が囀っているだけのことです。」 「こういった現象を格言に曰く、「小人閑居して不善をなす」。昔の人もよく分かっていたようです。」 「ま、お尋ねの問題の本質は「2チャンネラー」であるより「品格」の問題でしょう。」 「問い方自体が無効です。正しく回答できる人はいません。正しいと思うのはあなたと同レベルに「悪影響を受けている」人でしょうね。」 「と、このまま突き放すと少し「冷たい人間」だなと自分でも感じるので、質問の「いろは」を少し。」 「 最後に一言。文章の駄目さ加減から「かなり」悪影響を受けていますね。」 「普通の新聞のまともに読み、普通の本をまともに読み、まともな人と会話し、まともな文を書けるようになるまで「練習」しましょう。」 「なにも「立派な文」でなくてもいいです。そんなの誰も期待していないでしょから。」 「途中「2チャンネル的罵倒」と思われる箇所がありましたが、大して気になされることもないと思います。」 「率直なレスポンスをどうも。とても正直な感想だと思います。」 「さて、この頃強く思うことがあります。それは、「文章の字面だけしか読み取れない人、字面に拘泥する人が増えてきたなあ」というものです。」 「当方の文に、「正直別の意味でやばいな・・と感じます。」と感じられる原因も理由も全てとはいわないまでも分かります。」 「それに対してなんら当方から付け加える(または差し引く)ことはありません。」 「ただ気になったのは、「知性をひけらかす」の件。当方の率直な感想は「?」です。「子供に見えます」は正解です。そういうふうに書いたからです。」 「でも「どうしてそう書いたか」の理由に思いが及ばないようなので補足はしません。」 「「結局何が言いたいのか俺にはよく分かりません」という感想には、自分の力不足を強く感じます。その言葉を拳拳服膺し後の戒めとします。」 「「文章力で人間として否定されるということはあってはならない」とは仰る通りです。そんなことはあってはなりません。」 「「そう感じられるようにあえて書いた」のですから、その感想も正解です。でも、そこで止まっているだけではね…。」
お礼
ウハハ、回答者さん、どうもありがとうございます。 お時間がかりましたでしょう。 ここまで読んできて共通するのは、非常にわかりにくい文章が多い。親身になって回答しているようには思えない。からかっている感じがします。でも、これ以上感想を述べると、私が批判の対象になりますね。 しかし判ったことは、 相手の正否を決めると”上から目線” するべきだ、しなくてはいけない、は”上から目線” 質問文の批判は”明らかな””上から目線” ここでまた判らないのは2チャンネルですが、今日はとりあえず、それは置いておいて。 こんなにたくさんの例文をありがとうございました。 最初に比べて、ずいぶん具体的に、何が起こっているのか、判るようになりました。こういう風な文章を普段から目にしていると、ちょっとした批判やからかいにも敏感になるのでしょうね。 (つづく)
具体例をご所望ということなので 「この意味が承服できるかがあなたの分岐点です。ご自愛ください。」 「こういう曲解をどうにかしたかったということです。」 「私は実生活でもこういうやりとりのときには次のように聞くようにしています。」 「あなたはいついかなるときでもこのように回答するのですか。見ず知らずの人や、自分の子ども、目上の人にも。」 「人を見下して自分の卑小さを見ないふりをする。だいたい「KY」などと言っている人間にまともなやつはいません。」 「頭が悪いくせに、というより頭がわるいから、そのコンプレックスを補償しようと人を見下す。」 「そういったやり取りをしていけば、あなたが「KY体質」かどうかも分かるし、もっと具体的なアドバイスができるかもしれないよ。」 「その「回答者」の知的レベルに合わせて「教え諭し」てあげるのが、やはり一番の方途だと思います。」 「ま、それでも真面目に質問している身には相当頭にくることでしょうが、当方などは苦笑い程度で済ませています。」 「高い評価は前述のようにできません。内心「ご苦労なこっちゃ」と思います。また「掃除してくれてサンキュー」とも。」 「「ゴミ」(我ながら過激な表現)に「ゴミ」だと知らせても、「バカ」に「君はバカだよ」と教えても何も変わらないように思います。」 「言い換えれば自分に自信のない学生が、自分の存在を大きく見せるために、虎の威ならぬマルクス(やレーニン他)の威を借りる謂い、ということになります。」 「「他者を理論で圧倒する」とは、知的コンプレックスの塊である貧弱な知性の持ち主の学生が、自己の存在を肯定的にアピールするのにうってつけの方法です。」 「知的スノッブはそれこそ星の数ほどいるので、ゴキブリ以上の繁殖力と生命力(すなわち虚栄心)で、いなくなることはありません。」 「絵に描いたような一知半解ぶりで見ている方が恥ずかしくなるくらいの「恥知らず」でもご当人は「鼻高々」という無残さも珍しくありません。」 「普通は自然の摂理でこういった素っ頓狂は「淘汰」されていきますが、「バカにつける薬はない」というように「死ななきゃ治らない」ご仁も多々いるような。」 「「ゴミ以下」のスノッブに「君はゴミ以下だよ」と教えてあげても、「バカ」に「何で君はバカなの」と訊くようなもので、何一つ実りがありません。」 「分かる必要はないでしょうね。たとえ分かったから、「じゃどうなの」で終わるのがオチ。」 「余程の暇人でない限りこういう場合はネットジャーゴンにいう「スルー」するというのが「作法にあったマナー」ということになるでしょう。」 「とことん「バカ」に「バカである理由」を段階を踏んで教えてあげるのもいいでしょう。」 「もっとも限りある資源を有効に使わなくてはいけない昨今の常識からすると、そういったエネルギーは「もったいない」と思いますが。」 「そしてあまりにもバカな質問者の愚問や「ためにする」回答者の愚答をのぞいても、言葉の行き違いで「お祭り状態」になっている応答のほとんどは、そういった「想像力の欠如」 「これからの義務教育は集団内での「気づき」「配慮」が出来るよう指導を強化すべきでしょうね。」 (つづく)
お礼
オー、いよいよ具体例ですね。 なんだか半分は”売り言葉に買い言葉”のように思いますが。 ”絵に描いたような一知半解。。”は私でもちょっとムッとしますね。 バカ、ゴキブリ、ゴミも遠慮したいですね。 もしかしたら、これ、全部どなたかお一人の回答・お礼ですか? (つづく)
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>価値観が多様化した現代では何が上なのかは一概には言えなくなっています。 便利な言葉ですね。文化の違いって、価値観の違いの事なんですよ。価値観の違ったところに放り出されると、自分にとって大事だと思っている事が相手に取ってはどうでも良い。そしてその反対でもあろ。だから、文化の違ったところに行くと大変居心地が悪い。 ところで、本当に現在は価値観が多様化して来ているのでしょうか。昔に遡るほど、各地方、各国に固有の文化があった。だから、昔はいろいろな価値観があった。質問者さんもご存知だと思いますが、西洋人達が曾て未開だと決めつけた多くの文化には、西洋人よりも遥かに複雑で好ましく洗練された社会構造があったという事実は、現在の人類学の共通認識になっていますよね。文化の本質は、好き嫌いの事ではなくて、善し悪しの基準を手に入れる事です。好き嫌いで生きている動物には高度な文化はありません。だから、先人達が石に齧り付き血の涙をこぼしながら作り上げて来た洗練された伝統を各地方、各国の人達が若者達に伝承して行くことは、人類の多様性を守るために大変重要なことなのです。 ところが、人間の最も下品な部分を刺激して、即物的に享楽を手に入れようとのコマーシャリズムに乗せられて、水は低きに流れるの例え通り、アメリカの文化がマスコミを通して世界を席巻するようになってしまったようですね。そして、若者は今までの自分の国や地方にあった固有の価値観とは違っていると言うだけで、また、一見分かり易そうだというだけで、即物的な享楽を取り入れることが多様化することだと誤解してしまったのではないですか。価値観がアメリカ一辺倒になって多様化が否定されている方向にドンドン進んでいるのに、なんで多様化したと言うのか私には理解できません。 タデ食う虫も好きずきと言うくらいで、好き嫌いに関しては昔から皆てんでバラバラでした。好き嫌いの基準を手に入れるには何の訓練も要らない。動物なら誰でもするような経験を、成り行きに任せて経験していれば十分なのです。しかし、善し悪しの基準を手に入れるためにはそれなりの訓練が必要です。それに対して、コマーシャリズムに根ざしたアメリカのそれを文化と呼んでも良ければ、それは、その訓練の部分を取っ払って、善し悪しではなく、好き嫌いで皆が行動するように煽り立てる何でもありの文化です。何でもありが民主主義だと勘違いしている。ですから、皆は好き嫌いで行動するようになり、そのように洗脳された方達は皆一見違ったことを考えているように自分たちは思っている。しかし実はそうではなく、皆同じことを考えるように仕組まれているので、ヒット商品が出るのですよね。訓練の行き届いてない人達が、現在は価値観が多様化したと誤解しているのだと考えられます。そして、マスコミに操作され、多様化が否定され始めている事に気が付かず、その訓練を厭う方達が「上からの目線」なんて言葉を使っている可能性はないですか。
お礼
再びの回答ありがとうございます。 皆様の回答を読んでみまして、これは、アメリカからの悪しき影響というよりも、地域社会での人間関係が希薄になったせいではないかと推察しました。 私たちが育った頃は、お隣さんやご近所さんがいて、子供達が何か悪さをしていると、隣のおばさんにしかられました。叱られると、”ごめんなさーい”といえばお終いで、深く傷つくこともなく、また遊び始めました。 今の子供達は、隣のおばさんに叱られると深く傷ついて、再起不能になるのではないでしょうか。 見も知らない人(危なそうな人はだめですが)に親切にしたり、意地悪をされたり、叱られたり、親しく話したり、そんな風にして成長してゆくこともあります。 そういえば、日本人の方と飛行機に乗り合わせたときに、ちょっとした世間話をしてくださる方は100人に一人です。あとは、こんにちは、も言いません。 アメリカに影響されるなら、良いところを取り入れるのが良識というものです。英語で言う”メス犬”を嬉しがって使っているウェブサイトもあります。残念なことです。 基本的人権を尊重するのと老若男女全て平等というのは天地がひっくり返るぐらい違います。それも残念です。老いたるに優しく、若きに厳しく、男と女は共に補い合うものではないでしょうか。 ありがとうございました。
お礼
再びの回答をありがとうございます。 そうですね。若者と大人の断絶はいつの時代にもありました。別に私が心配することはないのかもしれません。ないのでしょう。全然。 自粛する必要がないというお言葉、ありがとうございました。フォローを入れる、というのも、いいアイディアですね。やってみましょう。 ううん、”同じレベルで悩んだこと。。。。”これぐらいは全然平気です。鈍感なんでしょう、私。そもそもこちらがお願いして回答していただいているわけですから。 ちょっと気が楽になりました。私の日本語が時代遅れになっている可能性も、正直なところ、考えていましたので。これでも奥田英朗さんや井坂幸太郎さんの著作を読んで”だよね”なんて、練習しているんですが。