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親族が亡くなっても悲しくない
親族が亡くなっても悲しくない 祖父母や叔父が亡くなった時ですが、悲しいと感じませんでした。 これは異常なんでしょうか。 同じような方はいらっしゃいますか? 感情がないわけではありません。 映画などを見て感動して泣く事はあります。 以前、妹に「親族が亡くなったのに泣かないなんておかしい、冷たい」と言われました。 やっぱり私は冷たい人間なんでしょうか。
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私は祖父母や伯母、父が死んだとき泣く事はありませんでした。というか悲しくもありませんでした。 多くの人は葬儀などでは気を張っているので泣かなくても、時間が経つと次第に悲しみや寂しさが出てくるものです。 もし貴方が長女・長男であれば尚更です。それとなく「お兄(姉)ちゃん難だからしっかりしなさい」と言われ続けた結果です。だからそう言われない兄弟姉妹には判らないのです。 人は余りに近い人が死ぬと悲しみを感じなくなってしまうのです。限度を超えてしまうのです。 中には笑い出す人も居ます。戦争中、目の前で父母や子供が死んだときヘラヘラと笑っている人を見たと聞きました。これは気がふれたのではなく、限度を超えてしまったからです。 そして近しい人の死ほど、自分を責めるのです。 知人は新聞にも載ったほどの事件の犠牲者の友人でしたが、遥か何十キロも離れた所に住んでいて、その地元でたまたま遭った事故でありながら、自分を責めていました。 そして親族に限って関係者、一番近い人を攻め立てます。「もっとちゃんと病院に見せていれば」「あんなヤブに見せるからこんなことになる」などなど 私は葬儀屋ではありませんが、同業の組合の厚生部をやっていて何人もの遺族に関わってきました。色々相談に乗っていたので葬儀など以外でもお会いしていた経験からそう考えています。
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- eroero1919
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何年か前に叔父が亡くなりました。末期がんで、「もうそろそろかもしれない」という連絡が来て、母と二人でお見舞いに行きました。ずいぶん遠いところに入院されていて、行ってみるとまさに「末期」でした。目は開いていましたがほとんど見えなかったでしょう。叔父の手を握り目の前に顔を出して「ごぶさたしています。1919です。分かりますか。久しぶりだからわからないかな」と声をかけたら「分かりますよ。ありがとう」と返事がありました。お互いに、これが最後の挨拶だと分かったと思います。 それからすぐに叔父は亡くなりました。もちろんお葬式にも行きましたが、まあお葬式は親族のためのようなものです。亡くなる前に挨拶して、それが叔父にも伝わったので、悲しいというより「亡くなる前に挨拶が出来て良かった」と思いました。 ある程度納得がいくような往生の仕方をすればそれは「寂しい」という感情はあっても、悲しいという感情は案外生まれないのかもしれません。 それよりも、あれは何年前だったでしょうか、拳銃を持った立て篭もり事件があったとき、犯人が撃った流れ弾で警察の特殊部隊員が殉職した事件がありました。殉職した隊員は私と同世代で、彼には確か産まれたばかりだったか妊婦だったかの妻子がいました。そのとき私は「もう俺の人生は終った」と思っていた頃だったので同世代だった彼の死に衝撃を受け、「なぜ将来あり死んではいけない彼が死に、将来のない俺が生きなければならないんだ」と怒りにも悲しみにも似た感情を持った記憶があります。
- 巧(@TYR_efes)
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んー、私の場合は・・・「哀しい」よりは「寂しい」という 感情の方が強かったですね。 質問者さんが、特別に冷たい人だとは思いません。
特別な関わりがなければ、そういう事もあると思います。 私のいとこは若くして亡くなりましたが、 ほとんど顔を合わせた事もなく、一度も話した事がなかったので、 「可哀そう」とは思いましたが「悲しい」という感情は湧きませんでした。 お葬式では皆泣いていましたが、家族や親しい友人以外の人は どちらかというと「可哀そう」という感情が強かったんじゃないかと。
- superski
- ベストアンサー率19% (388/2010)
「また会いたい、けれども会えない」や 「もう十分に生きたので、大往生」の度合いによって異なると思います。
>同じような方はいらっしゃいますか? 私もそうですが、周囲にもたくさんそういう人はたくさんいます。 ここでも同じような質問をみますから、 世間一般的にもそういう人は多いでしょう。 実の親兄弟でさえそうなのですから、 縁が遠く、普段から接していない叔父叔母祖父母 などなら、むしろ親しい友人より悲しみは少ないと思います。