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中二です。社会で桜田門外の変を勉強しました。今度、映画化されるのを知り
中二です。社会で桜田門外の変を勉強しました。今度、映画化されるのを知り、観てみたいなあと思います。宣伝のチラシに(日本の未来を変えた歴史的大事件)とあります。天皇の許可なく何でも勝手に進めた井伊直弼だと習いました。どうして暗殺されることにより日本の未来を変える事になるのですか?
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>今度、映画化されるのを知り、観てみたいなあと思います。 日本史中でもの最も激動の時代ですから、興味を持たれるのは素晴らしいことだと思います。 映画が面白いとよいですね。 >宣伝のチラシに(日本の未来を変えた歴史的大事件)とあります。 「日本の未来を変えた」は少し大げさですが、井伊直弼は『安政の大獄』と現在よばれる事件の首謀者なのです。『安政の大獄』は学校でも少し習うと思うのですが、井伊直弼が大老に就任した時から始まります。 まず、当時の将軍、徳川家定は病弱で子供が居ませんでした。そこで井伊直弼は第11第将軍の徳川家斉の孫の徳川慶福を強引に後継者(継嗣)としてしまいます。その直後に徳川家定が死去します。それで世継ぎの徳川慶福を徳川家茂として第14第将軍に据えます。当時の徳川家茂はまだ13歳の子供でしたから、幕政は井伊直弼の思うがままになりました。 その前後から、井伊直弼は反幕府、反井伊直弼の人達を片っ端から処刑、投獄、追放を開始します。これが安政の大獄です。某国の共産党の振る舞いを覧れば、安政の大獄とはどんなものか具体的に判るでしょう。現行政権を批判する者は、どんな名士であっても容赦なく死刑、懲役刑です。 >天皇の許可なく何でも勝手に進めた井伊直弼だと習いました。 水戸史学(水戸学)といって、水戸藩では天皇こそが日本の国主であるという学問が根付いていました。天皇の許可なくといっても、それまで幕府は天皇の許可無く政策を進めていたのですが、当時井伊直弼のやり方に憤慨していた水戸藩の藩士にとって許し難いことだったのです。 そういう状況のなかで先の将軍の継嗣問題で先頭にたって井伊直弼を批判していた水戸藩の安島帯刀が処刑(切腹)させられました。水戸藩の藩士が激昂して決起したのが桜田門の変-井伊直弼の暗殺なのです。 そういうことで独裁者を倒したということで、高く評価されているのでしょう。 ここからが本題なのですが、 井伊直弼は悪人ではありません 井伊直弼は大変な苦労をした上で、兄が次々と夭折しために32歳で彦根藩主となったのです。それまで懸命に学問を研鑽していた井伊直弼は優れた政治手腕を彦根藩で発揮しました。それが認められて大老になったのです。 安政の大獄を引き起こしたのは、あくまでの徳川幕府を守るためであり、己の利益のためではありませんでした。 そういう時代が変わる中で、損な役回りを引き受けてしまった人というのが、私の持論です。 井伊直弼については、いろいろな評価がありますから、調べてみると面白いと思います。
お礼
早々にありがとうございます。お詳しいのでびっくりしています。益々井伊直弼に興味がわきました。ありがとうございました。