- ベストアンサー
お金の価値を考える
- ある方とのやりとりで、お金の価値について考えさせられました。
- 話の内容はAといった状態からBやCの状態が生まれることにより、お金の重要性を示していました。
- 初めは理解できなかったが、後に考え直すと、お金が持つ意味を考える機会になりました。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ご質問の意図に合致しているかどうかわかりませんが・・・。 競馬などの賭け事で、このようなことを言う場合があります。 1000円投資して2000円の配当がついたとします。 実質的な儲けは、差し引き1000円です。 競馬は(基本的に)当たるか外れるかのどちらかです。 外れた場合(1000円儲からなかった場合)は、投資した1000円の損が必然的に確定します。 金額は不定ですが(基本的に)0の状態にはなりません。 あまり哲学的回答ではありませんが、このような意味だったのかも。
その他の回答 (7)
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ANo.3 つまり簡単にいえば、往復の次元で観るか個別のことと見るかの違いではないでしょうか。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
現在を懐状態をAとします。ここを基準とします(+1000円)。 いま1000円を手に入れた状態をBとします。つまり+2000円です。 また1000円を失くした(使った)状態をCとします。つまり0円です。 B…+2000円 A 1000円 C… 0円 の方が分かりやすいのかもしれませんね。 これは学生の頃実感してました。 これは、買うより売ったほうが懐具合はよくなるということで、 仕送りで生活品の買いや仲間と遊んでばかりいる時期と ヒマを見てバイトしている時期とでは、 懐具合はバイト収入以上の差があることを実感しましたね。
>BとCでは2000円も違う!あるとないでは大きな違いだ けだし当然のことを仰っておられるわけで、これだけ見れば偉大な哲学がその中に秘められてあるとは思えませんが、それが「お金を大切にしなければならない」という意味であろうと質問者様が推測されるのなら、そういう方向に解釈することは可能であろうと思います。 一般に金持ちといわれるひとたちはその収入と資産状況の豊かさの割りには案外身辺を質素にして実質の支出を抑えているものだ、といわれます。彼らは既に金持ちという称号を得た時点で、もう周囲に見栄を張る必要はないのだというわけです。収入が多く、支出が少ない、その結果として彼らは金持ちになり、更にその傾向を強めている。 一方、われわれ貧乏人は収入の少ない割に実質以上に見栄をはって支出を過大にしています。つまり、金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる。「あるとないでは--」というより、ためると出すでは大きな違いだ というほうがわかりやすいのかもしれません。こういったことを”ある方”は言いたかったのではないかと考えられます。 実際の金持ちはさほど質素な暮らしをしているわけでもないようですし、上記のような単純な蓄財で金持ちが実現するわけでもないと思いますが、入った金が大きくなれば大きくなるほどその加速度が急激に増す、金が金を生む錬金術の存在が今のグローバルな資本主義の実体なので、やはりともかく何であれ金を出さず溜めていく、その一歩が肝要だと私も思います。
- asaq
- ベストアンサー率35% (6/17)
答えは振り幅と結果です 目の前に3つの選択肢があります 1 1時間だけ時給1000円の仕事をする 2 1時間だけ1時間1000円のカラオケに行く 3 家で適当に過ごす お金をという観点で考えると 1 増加 2 減少 3 維持 となりますね 3からみれば1は1000円増加で2は1000円減少でしかない しかし全体で考えると 同じこれからの1時間で3つのことが出きるわけです 逆に言うとどれかをすると他の2つは出来ません 2を選んだあなたは1000円の出費だと考えるでしょうが 実際には1を選ぶことも出来たわけですから2000円の出費なんですね つまり2000円だしてカラオケに行ったのと同じことです 3を選んだあなたはお金を使わなかったと考えるでしょうが 実際には1000円だして何もしなかったのと同じことなんですね 時は金なりと言いますがまさにその通りです 何もしないということは既にその時点でマイナスなんです 立ち止まるということはつまりその時点で後ろに下がっているのと同じなんです 会社を休んで2万の旅行に行く それは会社で1日働いてもらえる1万を捨てたのと同じです つまり旅行代金は本当は3万なんですね 質問者さんに過去に話をした人はこういうことを言いたかったのではないでしょうか?
- rin00077
- ベストアンサー率21% (117/534)
例えば囲碁というゲームがありますね。 囲碁は地所を奪い合いその大きさを競うゲームなのですが、 自分がそこの地所を取らなければ、相手の地所になります。 よって、そこの地所が10(目)であっても、うえした 20(目)の価値があるということになります。 要するに、目に見える数字の倍になるということですが、 ご質問の件に関しては、それはあてはまらないように思います。 その方は、損得は目に見えるものだけではない。というような ことを、言いたかっただけではないでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
事例に: 私は方向音痴もすごい。 ともかく何度もいっている同じ処も、一旦駅に戻ってからでないといかれない。 車もやめました。 一本道から、三十度くらいの二又路でどっちいこうかな。と思わないでどんどんいきますが。 間違っていて、人に正しい道がもう一つの道だったと教えられます。 現在の間違った地点から正しい道へいくには、かの二又路まで往復の道のりになります。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#1です。 >その方はお金の大切さを言いたかったのだと思います :という点に照らしてもう少し考えてみました。 働かなくても喰わなきゃならないので、たとえば1000円の借金が必要になる。 この場合、0から1000円の借金ができたのではなく、働いていれば1000円を手に入れることができたはずなので、同じ時間帯に「-1000円の自分」と「+1000円」の自分が、可能性として同時に存在する。 「この可能性の差は2000円である!」 と言いたかったのかもしれませんね。 少しは哲学的になっているでしょうか・・・。 そうでもないか・・・(-_-;)。