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(日本の)戦国時代に釈迦についての話はどのくらい伝わっていたのでしょう
(日本の)戦国時代に釈迦についての話はどのくらい伝わっていたのでしょうか? こんばんは。 早速質問なのですが… 日本が戦国時代の時、釈迦についてどのくらいのことが日本に伝わっていたのでしょうか?大体の釈迦の一生については知られていたのでしょうか? また、もし知られていたのなら、その情報源となった経典はなんでしょうか?
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仏教が日本に伝えられたのは奈良時代にまで遡りますが、その仏教伝播に一役かったのが、かの唐招提寺を建立した「鑑真和上」です。仏教の所謂「教祖」は「釈迦」ですから、日本に教えが伝わったのと同時に、釈迦の事も伝えられていなければおかしい話です。その釈迦の教えを更に形式化したのが「最澄」と「空海」です。その後、仏教は、室町時代に隆盛期を迎えます。浄土宗=法然上人・浄土真宗=親鸞上人・法華宗=日蓮上人・臨済宗=栄西上人・曹洞宗=道元上人が主なところです。室町時代に仏教が各宗に分派され、確立されたので、戦国時代においては「釈迦」は普通に知られていたと思われます。
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- izuhara
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平安時代初期成立とされる説話集『日本霊異記』には釈迦の一生が細かく記述されています。 戦国期にどこまでの層に浸透していたかは不明としか言いようがありませんが、 ある程度の知識層には様々な書物によって釈迦の一生は知られていたと思われます。 釈迦の一生の典拠については知識を持ち合わせておりません。
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- pri_tama
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とりあえず仏教の伝来は、日本書紀によると飛鳥時代の552年(欽明天皇13年)に百済の聖明王により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされています。 ただし最近では、『上宮聖徳法王帝説』(聖徳太子の伝記)の「志癸島天皇御世 戊午年十月十二日」や『元興寺伽藍縁起』(元興寺の成り立ち・変遷を記述したもの)の「天國案春岐廣庭天皇七年歳戊午十二月」を根拠に538年(戊午年、宣化天皇3年)に仏教が伝えられたと考える学者も多いです。 とりあえず、聖徳太子の時代には日本古来の神道と伝来した仏教の間で相当の対立が有った事(物部氏と蘇我氏の争い)は間違いありません。 なお、仏教とは釈迦(仏陀)の人生から、人は悟りを開けば全ての苦しみから解脱出来るという実例を前に、自らも釈迦と同じ境地に至る為に修行する、或いはそこまで求めないにしても、釈迦の人生の中で発せられた多くの教えを守って生きていこうという考えです。 (釈迦の人生を知らないと、仏教の最も最初の一歩すら踏み出せない。) 戦国時代は、得に浄土真宗が講という組織(日頃は仏教の教義を説き、必要とあれば一致団結し領主等に抵抗した)を結成していました。 ←つまり一般民衆でも現代人よりよっぽど仏教に対する知識が多かったかと。 鎌倉時代には檀家制度(各自が特定の寺に所属し、その寺から教えを知ると共に支配も受ける)が成立しますし。 (江戸時代になると、全ての民衆が基本的にどこかの寺の檀家に成る事を義務づけられます。)
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回答ありがとうございました!
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