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信じるって何でしょう?

信じるって何でしょう? 信じるとはどういった精神状態、また思考状態を言うのでしょうか。 それは認知する、とか記憶する、よりも積極的な要素を帯びている感じがしますが。 信じるという事の意味をわかり易く、かつ腑に落ちるように教えていただきたいです。 ちなみに私は日常、信じるという言葉は当たり前に使っています。

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  • ベストアンサー
  • asaq
  • ベストアンサー率35% (6/17)
回答No.9

普通に答えるならば 「疑わないこと」 これだと思います 信じるの反対語が疑うですからね ということはどういう精神&思考状態なのか? これは難しいです・・・ 私もこれを書きながら迷ってきました 「疑わないこと」で終わりだと思っていたんですが よく考えるとこれっておかしいですよね? 私たちってそんなに色々疑ってますか? 政治に興味のない若者は街頭演説をいちいち疑わないでしょう じゃあ政治家を信じてるのか? そんなわけないですよね・・・ この瞬間、大地震が起こるかもしれないと疑って生きてますか? じゃあこの瞬間は大地震が起きないと信じてるのか? これもなんか違いますね 言葉的に言うなら信じるとは疑わないことなのかもしれませんが 私たちが信じるという言葉を使うときはもっと違う何かを信じるという言葉に 乗せている気がしますね 彼女が彼氏にこう言った 「私あなたのこと信じてるから」 これって良く聞くフレーズだと思うんですが こういうときって必ず疑ってますよね(笑) そしてこういうときの状況を解説したりすると大概この言葉は 自分に言い聞かせてると解説されますよね 私も「不安な気持ちを堪えるために自分に言い聞かせてる」もしくは 「単なる嘘」の可能性が高いと思います こうなってくると 「信じる」ということは「疑う」ということなんではないでしょうか? さらに深く掘り下げると「信じたい」という願望なんではないでしょうか 疑ってしまう→でもそれは良くないこと(美しくない)(相手に嫌われるかも)(自分自身が救われないかも)などなど・・・ →信じなくてはいけない 信じてると言わなくてはいけない 信じたい(その方が楽だから) →結果、信じる(信じてる)と口にするのかもしれませんね 信じるとは根拠がなくても受け入れること 信じるとは疑わないこと などなど・・・ でもほとんどの日本人は地球が丸いことを疑わず受け入れていますが 地球が丸いことを信じているんでしょうか? 多分、大して気にしていません 今まさに踏み出そうとしているその地面が幻覚で実は奈落の底に真っ逆さまかも知れないのに、普通に踏み出します 信じてるから? 確かに言葉的にはそうなのかもしれないけど「信じる」って言葉の響きに合いませんね 結論 信じるとは疑ってるけど信じたいっていう願望 その心理状態は・・・・依存かな? 人は信じるって言葉を使うときその対象に依存してますよね 我ながら納得のいく考察が出来ました(自己満足ですが) 質問者さんはどうでしたか?

touzainanboku
質問者

お礼

いやぁ、なんかとっても心にストンと落ちる回答でした。 信じるという言葉のロジックを繙く、みたいな。 信じるとは疑ってる、っていうのはなんかいいですね。私もどういうことか考えてみます。 私よく友人と「世界平和」について話します。笑 壮大なスケールですみません。 戦争は無くなるか、貧困は無くなるか、無くならないか。禅問答みたいなものですね。 この場合私が 無くなる という立場をとることは、まさに今現実にある状態から飛躍する訳ですから 戦争が無くなった とか 貧困が無くなった という状態を疑っている、知らない、訳ですもんね。そりゃ疑います。そしてそうなってほしい、そうならなければいけない、なぜならナントカカントカと、自分と相手を説得に回ることになりますね。疑ってるけど信じたい、というまさにその通りですね。 とてもわかりやすかったです。ありがとうございます☆☆

その他の回答 (13)

回答No.3

まったく的外れな事を言っていたら申し訳ないのですが…(^^; 私が思うことは 「信じる」という言葉は 確信がない時、疑いのような感情がある時に使う気がします。 「信じられないもの」はなんですか? どうして信じられませんか? 不確かなものだから信じられないですよね。 それを考えて認める、受け入れる事を「信じる」なんじゃないですかね…。 つまりは、最初から疑いがあるんだと思います。 確かなものを「信じる」って言うのは、なんか違う気がします。 事実は信じるものじゃないですよね。 例えば、人の言う事に対して、その人が確実に有言実行できると分かっていたら信じるもなにも、まず疑いすらないですよね。 けどもし、その人が嘘つきなら 約束を守れない人だったら 大丈夫かな?と疑いが生まれます。 でも、もしかしたら、 きっと大丈夫だろう 今度こそ約束を守ってくれるだろう …「信じてるよ」 私の場合ですが、 人に「信じてるよ」と言うときは、やはり疑いと不安があります。 不確かなものを信じる。 信じなくてはいけないのは自信がないから。 「信じてる」より 「お前なら出来る」と言ってもらえたら嬉しいです。 だって、きっと言ってくれた人も自信があって言ってる。 信じてるよ だと、 なんか…できないと思われていて、でも頑張ってくれるんじゃないかな~くらいの気持ちな気がします。 信じてるよ には期待があまり無いと思います。 自分を護ろうとしてる発言に感じます。 信じなくちゃいけないのはなぜですかね。 信頼してないからではないでしょうか…? ものすごく自分の考えなので 意味わからなかったらすみません…。

touzainanboku
質問者

お礼

いや、なんか意味わかります。 信じているという言葉の響きには確かに自分を守ろうというほうにウェイトが来てる気がします。 そうなのかも、とイヒがでました。ありがとうございます。

  • railgun31
  • ベストアンサー率36% (4/11)
回答No.2

何かの参考になれば、願ったり叶ったりです(この言葉を私は好んで使います)。 非常に論理的に言うと、 他者の行動原理(以下このことを「それ」とします)を知覚し、かつそれが自身の価値観に適合していて、自身が自分の認識をそれに依存するに相応しいものであると心理的に認めること というのが一番分かりにくい答えです。 >それは認知する、とか記憶する、よりも積極的な要素を帯びている感じがします その通りです。認知や記憶は、脳(哲学的には「心」かな)が、外部の事象を受動的に認知して、「自分の行動原理を構築するための情報」として行うもので、あー分かりにくいごめんなさい! つまり、認知、記憶というのは、脳が「とりあえずここにこんな情報があるぞ」と思考を整理する段階で勝手に行うことですが、 「信じる」というのはそこに「自己」が絡んできます。 認知や記憶によって脳が集めた情報を元にして、 「この情報は俺にとって大事なの?俺この情報を前提に動いて良いの?」みたいに認められると、ものごとは「信じられた」ことになりますね。 認知や記憶は「根拠」そのものですが、「信じる」ことは根拠を前提として組まれる、本人の判断です。 ようは「じゃああたしが行動するときにはこの情報を正しいものとして動くわ」みたいな感じですね。 ただ、信じることには認知や知覚といった「信じるための」根拠はありますが、「何を信じるか」という本質的な根拠には欠ける「納得」のことを言うんだと思いますよ。 すみません分かり易くもないし、私程度では知識が生半可だったかも知れません。 それに哲学というより科学的になってしまいましたね、求められた回答でないなら、駄文お詫びいたします。 私も色々と考えさせられました。質問感謝します。

touzainanboku
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 個人的な意思が絡む積極的な状態ですよね、やはり。 根拠はなくとも、俺はこっちだ、と舵をとる訳ですね。 科学を信じる、経済原理を信じる、大多数の意見を信じる、空気を読む なんてのも 空気を信じる に通じますでしょうか。 そう考えると、考える→悩む→選択する(信じる)→解決する(行動に移す)、と考えることと、信じるという自己意思の投影は意識するとしないとに関わらず通過するステップなのですね。それをあえて、じゃあなんでそっちを選んだんだと問い返してみた時に、こういう根拠があって、で、その根拠がどこまで深いものかはわからないけどそれを信じる、そうだと思う。と。信じると思うは近い関係? ありがとうございます。

  • bule_eyes
  • ベストアンサー率13% (7/52)
回答No.1

裏切られても本望だ。 まで信じるのが。 信じる だと思います。 裏切られた!信用してたのに! こんな事言ってるうちは 「そんな「信じる」なんて誰でも言える」と思われるかと。 良い結果だけ求める人は「アテにする」だけであって信じてはいないと思います。 安易に信じてはいけない世の中です。 しかしお互い信頼関係になりたいと思っている人達がいるのも事実。 裏切られたけど、こういう結果になる事だって予測出来た。 それでも信じた。だから後悔はしていない。 自分の取った行動には責任を持つ。 ここまで思って、信じる。

touzainanboku
質問者

お礼

美学を感じます。 個人的にはそういう美学が尊いと感じます。 ご回答感謝致します。

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