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ペルーへの第1回移住船「佐倉丸」の横浜港出港の日について
- ペルーへの第1回移住船「佐倉丸」の横浜港出港日を調べています。ウィキペディアの情報とは異なる日付も見受けられます。どちらが正しいのか教えてください。1899年2月18日と1899年2月27日の2つの日付があります。
- ウィキペディアによると、1899年4月3日に横浜港を出港した佐倉丸でペルーに上陸した日本人移民が790人いたとされています。一方、ペルーの電波望遠鏡を支援する会の情報によると、1899年2月27日に横浜港からペルーに出港したとされています。
- 日本郵船のホームページによると、最初の南米への移住船は佐倉丸で、1899年2月27日に横浜港を出港したとされています。
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外務省編纂 日本外交文書 デジタルアーカイブ http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/index.html 「なお、デジタル画像を閲覧する際には、 無料ダウンロード可能なDjvuビューアー(プラグイン)が必要となります」 第32巻(明治32年/1899年) http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/32.html 26 秘露移民雑纂 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DM0004/0001/0032/0678/index.djvu 3コマ目/11(770頁上段) 五一八 四月五日 移民取扱人森岡眞業務代理人ヨリ青木外務大臣宛 第一回祕露移民到着ノ件 御 届 拙者取扱ニ係ル南米祕露國出稼契約移民去ル二月廿八日 日本郵船會社佐倉丸ニ搭載横濱出帆仕候處本月三日祕露 國「カリヤヲ」港ヘ無事安着之旨來電有之候間此段御届 申上候也 明治三十二年四月五日 東京市京橋區山城町四番地 移民取扱人 森 岡 眞 業務代理人 ? 川 精 一(印) 外務大臣子爵 青 木 周 藏 殿 註 移民到着ノ員数ヲ示ササルモ監督ヲ除イテ七八七人ト數ヘラル 以上のとおり外務省に残された記録の一つには「二月廿八日」 (=2月28日)と記載されているものがある様子です。 上記に基づいて私見を述べれば、 「2月18日」説の方は「廿八日」を「18日」と誤認した可能性も考えられます。 新たに発生した「27日」か「28日」の問題は、 …日付変更線絡みなのかもしれませんが… 私にはわかりませんm(_"_)m
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- pasocom
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私には、どちらが正しい、とは断言出来ません。 しかし、ネット上に下記ページ「海外移住資料館」を発見しました。一冊の本の紹介です。いわく、 『日本からペルーへの第一回契約移民考証』 編 集 : 飯田 ファン 一夫 発 行 日 : 1999年4月1日 「ペルーへの本格的な移民は、1899(明治32)年2月27日、契約移民が横浜港から佐倉丸で出航し、4月3日カヤオ港に到着したのが始まりでした。著者の父である飯田勘之助は、この第一回契約移民の監督の一人としてペルーへ渡り、日本人会の初代会長としてペルー移民のために尽力しました。 本書は、著者がその父の思いも込め、約25年をかけて行った第一回契約移民の足跡調査です。第一回契約移民の姓名、それぞれの入植地や出身地などが、日本語とスペイン語で書かれています。 」 http://www.jomm.jp/library/2006kitemite.html かなり有力な「2月27日説」だと思われます。ご参考に。 また、WIKIPEDIAのご提示記事から「佐倉丸」を開くと、参考文献として、「船にみる日本人移民史」(著・山田廸生、1998年 中公新書)、と明記がありますので、おそらく出典はこの本だと考えられます。こちらはネットで当たっても大した手がかりが得られませんでした。