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新義真言宗と古義真言宗の違いを教えてください。
新義真言宗と古義真言宗の違いを教えてください。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>新義真言宗と古義真言宗の違いを教えてください。 古義真言宗とは、 本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)を説く真言宗の一派。 新義真言宗とは、 加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説く一派。 加持(かじ)とは、一般的には神仏に加護されることを言うが、空海は「仏日(ぶつにち)の影(=仏の太陽のようなもの)が衆生(しゅじょう・生きとし生けるもの)の心の水に映るのを加といい、行者の心の水が仏日を感じるのを持と呼ぶ」としている。 具体的には、手に印を結び(身蜜・しんみつ)、真言を唱え(口蜜・こうみつ)、心を仏に向ける(意蜜・いみつ)という3つの「行」によって、「加」(仏の慈悲)と「持」(人の信心)が働き、仏と人は相互に照らしあうことができる・・・とするもので、これを「三蜜加持」という。 つまり、 古義真言宗では、ただひたすら「念仏」を唱えていれば、大日如来が現れて教えを説いてくれる・・・と言うもの。 新義真言宗では、念仏を唱えるだけではなく、三蜜加持によって、大日如来が加持身となって教えを説いてくれる・・・と言うもの。 空海亡き後、10大弟子である真済(しんぜい)、真雅(しんが)、実恵(じちえ)、道雄(どうゆう)、円明(えんみょう)、真如(しんにょ)、杲隣(ごうりん)、泰範(たいはん)、智泉(ちせん)、忠延(ちゅうえん)によって真言宗の教線は広がっていった。 空海により教相(きょうそう=教学)はすべて確立されていたが、事相(じそう・修行方法)面では、師伝や口伝のわずかな相違によって、多くの分派を生むことになった。 そんな中で、保延6年(1140)高野山から離れた覚鑁(かくばん)は、紀州根来寺(ねごろじ)に堂宇を建てて移り住んだ。その後も高野山では覚鑁が設立した大伝法院(だいでんぽういん)と金剛峰寺との反目が続いたため、高野山大伝法院の学頭の頼瑜(らいゆ)は、ついに、大伝法院と蜜巌院(みつごんいん)を根来寺に移した。これが、古義真言宗と新義真言宗の分裂の最初である。 新義真言宗は拡大する一方で、戦国時代には僧兵持つようになったため、正応元年(1288)秀吉により大粛清が行われ生き残った僧は各地に離散をし「智山派」(ちざんは)と「豊山派」(ぶざんは)に分裂をし、それぞれの地で栄えることになった。ちなみに「智山派」の本山は京都市の「智積院」(ちしゃくいん)。「豊山派」の本山は奈良県桜井市の「長谷寺」(はせでら)です。
お礼
まさかこんなにまで詳しく教えていただけるなんて…ありがとう御座います。