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文学レポートについて
文学レポートについて 端的にかきます。 D.H.ローレンスのTheBlindManにおけるBlindnessについて3200字かくという課題がでています。 授業ではこの本の精読をやりました。(英語のものを和訳) どのようにかけばいいか全く検討もつきません>< Blindnessが何を示すのかもわかりません>< 何でも良いので何かアドバイスいただけないでしょうか><!!
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- kadowaki
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ロレンスの一ファン、愛読者です。 >D.H.ローレンスのTheBlindManにおけるBlindnessについて3200字かくという課題がでています。 時節柄、この種の丸投げ的質問が散見されますが、かつて学生をしていた身として、背に腹は代えられない質問者さんの切実な思いは重々わかりますが、それにしても、もう少し質問のしかたに工夫をすべきではないか、これではあまりにも芸がなさすぎると言うか、とても期待する回答が寄せられないと思わずにはいられません。 「授業ではこの本の精読をやりました」と言うなら、せめて記憶の片隅にわずかに残っている断片的印象でも構いませんから、それを呈示した上でご質問なさいませんか。 ロレンスを敬愛する一人として、ロレンスに多少とでも興味・関心をだいてくれる人がいると、なぜか自分と同じ思いを共有してくれるのではないかという期待感を勝手に持ちたがるバカな私ですが、それだけに質問者さんにはそういう姿勢をもう少しアピールしていただきたかったところです。 したがって、以下については、質問者さんのレポート作成に貢献するためにというよりも、質問者さんにThe Blind Manをはじめとする、ロレンスの一連の寓話的な小説に内在する、豊かで示唆に富む、彼固有の、あまりにも愚直でクサくてまともすぎる生命観、セックス観、宇宙観、自然観等々から何かを学んでいただきたいがためのものとご笑覧いただければと思います。 >Blindnessが何を示すのかもわかりません>< とあまりにも率直に書かれますと、私としては、半年間の授業中、質問者さんは一体何を考え、何をしていたのか?と逆におたずねしたくなるのですが。 戦争で顔にひどい火傷を負い、視覚を奪われたMaurice、晴眼者の妻Isabel、さらには弁護士のBertieの三人の登場人物を比較しますと、彼らの最大の違いは、それぞれの他者や外界との関係の持ち方、交わり方にあると言えるのではないでしょうか。 そして、The Blind ManたるMauriceだけはBlindness(触覚)を介して他者や外界と接することで、より深い“intimacy”を体感できるとすれば、あとの二人にはそれが理解できない、なまじ視覚に囚われているがために、本当は“intimacy”を感じ取られるはずの能力を自ら抑圧していることに気付いていないのではないかということです。 ちょうど、現代人の多くが“Seeing is believing”という先入観、偏見、思い込みに囚われ、物事を正確に見ていない自分をなかなか自覚できないのと同じように。 その意味では、他のロレンスの代表作と同様、この小説にも彼の近代文明・文化・社会にへの批判、溌剌とした生命力、活き活きとした身体感覚、他者・外界との有機的で親密な関係を喪失してしまった現代人、窮屈な自我の檻に閉じ込められているのにそうと気付かないた現代人への痛烈な批判が込められているのではないでしょうか。 なお、ロレンスによれば、視覚という《遠覚》は外界の対象との間に安全な距離を保ちながら関係しようとする、あくまでも個我の自己防衛のための機能でしかないのに、近代以降、人々はこういう視覚的認識を最も客観的であるかのごとく思い込み、その奴隷と成り下がったがために、個人の傲慢さ、尊大さ及びそれと裏腹の関係にある、外界や他者からの孤独、疎外を余儀なくされるに至ったということかと思います。 われわれがこうした状況から脱却し、外界や他者との暖かい“intimacy”の関係を取り戻すべく、ロレンスはBlindness(触覚)にその可能性を求めようとしたのではないでしょうか。 その意味では、こういう考えも有名な『チャタレイ夫人の恋人』に展開されているセックス観と深い次元で通底しているはずです。 以上、多少なりともロレンスにより興味・関心を持っていただくためのよすがとしていただければ幸いです。
- chomicat
- ベストアンサー率55% (586/1047)
ロレンスの「盲目の人」ですか? 難解ですね。ロレンスの背景にある思想と云うべき物を理解しようと色々な人が彼の作品の持つ思想というべきものを解明しようと試みました。 難しく考えずに自分がこの短編を読んで感じたことを書けば良いのです。 3200字、原稿用紙8枚分ですか? 一つ云わせていただくと彼の持つ感性(と言って良いかどうか・・)は自然に敵対しないと言うことであると私は考えています。 「盲目の人」の主人公は自律的に生きているのに対し細君は彼を完全に自分のものにする為、盲目になった事を喜んでいる様に思われます。 主人の「見る」と言う機能が失われたゆえ、「触る」と云う事が「見る」以上の喜びになった、と自分に言い聞かせて居るんです。(見る事は共有できないけれど、触る事は共有できますからそれが至上のものであると・・) でも健常者の細君から見ると毎日の生活は、時間がたつに従い平穏無事(心が)には行かず、盲目の主人の自律的な毎日に対しいらつく事が多くなってきます。 一旦そうなると「触る事」で完全に共有できていたと思っていた毎日の事象に細君は妄想に駆られ悶々として来る。 ましてや子供が出来たら盲目の主人はどうなるのかなど考えをめぐらし、考えあぐね、平静な毎日の生活に暗雲が立ち込めるんじゃないか?そうなると盲目の主人の心中も計り知れないと疑心暗鬼の世界に入ってしまいます。 盲目であれば目で見えている事からくる悩みは無いのでしょうけれど、その心の平和を夫婦ゆえ、細君は自分が主導し、生活の全てを共有しようとして、返って色々な事に盲目・・blindnessになってしまう事を書いているように思います。 そうなってしまうのが人間として自然ですね。 主人のほうは「見る」機能が失われていますから、毎日の生活を自律的に過ごしていると細君には思えてもそれが逆にいらだちになってしまう。(細君は見えるゆえに) そうなると回りも主人のことも生活の事全てが悩みの種になり周りが見えなくなってしまう。 それが自然なんでしょうね、人間は。 解釈は読んだ人によって色々ですから決まった答えはありません。 それこそロレンスの頭の中を見てみないとね。 申し上げた事は間違っていると言う意見もあると思いますけれど・・・。 失礼しました。