蟹工船はすばらしいですが、みなが知っています。
小林多喜二でしたら、新潮文庫の蟹工船に並録されている
「党生活者」と、岩波文庫版・蟹工船に並録されている
「一九二八・三・一五」をくらべてみると面白いのではないでしょうか?
時間軸としては1928のほうが先で、これは昭和3年の共産党大弾圧(3・15弾圧)「その日」を、さまざまな視点から描いた作品で、党生活者はその弾圧を受けたあとの活動家党員の有り様を描いています。弾圧の瞬間と、弾圧後、で比較してみる方法はどうでしょうか?
文学作品として考えた場合、今日まで生き残った小林多喜二の作品と、今日わすれられたプロレタリア文学との違い、を考えるのも興味深いと思います。また、この労働運動と密接なかかわりをもったジャンルは、当然ながら派閥対立もありました。ブロ芸、労芸、前芸、ナップなどです。これら各派を分析してみるのもいいと思います(代表者、代表作など)。
プロレタリア文学全集がおそらく大学図書館にはあると思いますが、それの解説、月報(はさんである小冊子)を読んでみるのもいいとおもいます。
比較論をせよとの命題ですが、現代と比較するか、当時のプロ文を比較するかで異なってきます。
当時でしたら、社会主義と共産主義の派閥の作品を取り上げてみる。関東大震災前、後、または昭和3年以前、以降。もしくは、あえて刊行され読まれた、駄作と名作の比較(今日まで生きたか否か。その差はどこにあるか)を論じるのはどうでしょうか?
当時(戦前)は、階級というものがありましたが、昭和30年すぎると「一億総中流」となり、大衆が出現、マスという形で「階級」が消滅します。しかし、現在新保守主義の失敗によって、派遣切りとかリストラによる、鬱憤をもった人々のいる新しい階級社会ができつつあります。
このような視点で論じるのも面白いでしょう。
「思います」「でしょう」の乱発で恐縮ですが、面白いテーマをなさられるので、ついつい。
いまどき骨太でナイスな課題だとおもいます。がんばってください。