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人間には共通の目的があるでしょうか?
人間には共通の目的があるでしょうか? もし人間に共通の目的があれば 世界はその目的の元 協力し合い助け合う事ができるのではないでしょうか? 人間共通言語も共通宗教も無いですが 共通の目的はあるでしょうか?
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ただ、自分が高みにいるような勘違いをしなさんなよ、ってことがトコトンわからず 「攻撃をやめなさ~い」と言われたつもりになってしまったり、 「他者が庇われている」と受け止めたりする、 そのような他者関与の自己を中心に据えた思考形式を脱却するといいと思います。 その脱却とは、自分の行いは自分で決めるという基本的な姿勢のもと、 人にとって他者は、自己が他者に関与する心性を見つめる存在であるとする脅迫的関係観念を脱して、 自己が自己自身を見つめる心性を他者が見つめる、という関係構造に至ることです。 これは形而上的な他者なのですね。見つめる他者のほうの身になれば、その自己自身を見つめる者というわけで、このような他者とは無名なのです。 このことは、小学校の教室レベルから地域レベルや全人類レベルまで等しい事柄であるといえます。 隣組や中東戦争を思い浮かべると、具体的に相互監視的な他者をもって同胞とする自意識の構造がどのようなものかわかりやすいかもしれません。 地球にいる人類が、脅迫的関係にある他者(たとえば地球外生命)の存在によって 人類同士という他者の存在に初めて関与できるような自己となるのではいけません。 このような意味での同化される他者は、実体であり客観という束縛にある存在です。 地球の危機を、自己自身を見つめるという心性によって捉え、また、その心性を見つめる他者という関係構造によって共有とできる、 そのようなありかたで、地球を守ることができるとよいと思いますね。
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- k_kota
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生き物の共通の目的は生存です。 特に食が一番の問題でしょうか。 飢えから逃れるために人を殺すことはあるでしょう。 また、人間は本能を満たしても人間らしい向上心を持っています。 宗教であるとか、その他の欲求、例えば試行品。 自分が働くのがいやなので他人にやらせましょう。 多くの土地を手に入れ支配したい。 いずれも人間としてありがちな望みです。 いずれも戦争の原因になりうるのは理解いただけるでしょう。 例えば、人類が手を合わせないと地球が亡びるとなれば戦争は無くなるでしょう。 しかし、間引く方が自分の幸せに繋がるなら知らない国の人を殺す方を選ぶかもしれません。 私は戦争をしようと思ったことはありません。 しかし、人間は他者を理解しようとしないということは知っています。 相手の気持ちを考えない人間が、戦争をするし、理解しようとしなければ戦争の原因も分からないし、止めることも無理です。 理解無く、"共通の目的"の基に戦争が無くなると言うのはどうでしょうか。 少なくとも、望まざる戦争に挑む必要のある人の前では言えるセリフでは無いと思いました。 ちなみに、私は人を救うほど人間が出来ていませんので、平和に向けた活動は基本的にしていません。口だけ動かして行動しないのはポリシーに反するので平和を訴えることもしません。 もちろん人殺しは嫌いです。
お礼
>生き物の共通の目的は生存です。 その通りだと思います 同様に人間の共通の目的は(人間として)存在することだと思うのです。 いつか未来には人間ではなく もっと進化した存在が現れるかもしれませんが 人間はその存在を目指してたすきを渡して行くものと思います。 行動はしなくても世論を形成するために 平和を訴えてもいいのではないでしょうか? 確かなご指摘ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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地球上の生態系の本質は、日光によって励起された化合物の合成(光合成=植物)と分解(消化=動物)の連鎖反応です。 植物が成長(合成)するためには、二酸化炭素と水、窒素などの、化合反応の材料が必要であり、動物抜きの分解(紫外線による分解や大気中の酸素による酸化)より、動物による能動的摂食による高速の分解の方が有効なのです。 生命の進化とは、いかなる“強い種”の創出でもなく、地球に降り注ぐ日光が輻射によって再び宇宙に還って行くプロセスに於ける、生態系としての多様化=地球上の熱容量(物質循環量と速度)の増大だと言えるのです。 生物は、エントロピー増大に抵抗して、成長したり、増殖したりして、エントロピー減少しているように見えます。 しかしそれは、生物にしても、社会的な要素にしても、「開放系」だからです。 生物は、自分のエントロピー増大を新陳代謝するために、環境のエントロピーの低い物(食物、燃料)のエントロピーを増大させて放出(排便、廃棄)する事で、環境も含むトータルな閉鎖系におけるエントロピー増大を加速しています。 それでも、生態系全体の進化は、エントロピー減少だと言えますが、それも太陽の核融合というエントロピー増大の一環である、「日射>光合成>摂食>消化>酸化>輻射」という一時的な地上の熱滞留としての、開放系ゆえのもので、結果的にはエントロピー増大を加速するものです。 先にあるのは太陽光=植物による光合成であり、動物はその有機物の分解を加速して植物の光合成の原料にする(物質循環の加速)ための寄生的な存在に過ぎません。 物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 地球上の生態系も、争いによる淘汰の連鎖の中にあります。 そもそも、遺伝子の中にさえ、寿命に限界を与え、有性生殖によって種内の争いによる進化の加速をはかるメカニズムがあるように、生物の進化においては、社会性の発達による組織内での争いの制限の外においては、弱肉強食が正義です。 そうであるならば、その弱肉強食の延長にある人類の存在が悪である訳がなく、ただ、そうした生存競争の環境である自然を破壊するまでに強くなったことが問題なのです。 生物の進化において、生存システムにわざと不安定要因を内包して、進化の可能性を追求してきた一方、持続性とのバランスが大事です。 その「持続性」には、多様な“利己”の拮抗による争いの結果としてのものと、分業化=組織化の発達における“利他”による助け合いとしてのものと、2つの方向性があります。 もし、人類が相変わらず“勝ち続け”、自己チューに自然破壊を進めるならば、生態系の持続性を阻害するものなので、いない方がよい存在になります。 お金をもらうために仕方なく働いている(奪い合っている)のではなく、助け合うために働いているという真実を自覚して生きるならば、その「助け合い」の延長に環境との循環が組み込まれ、生態系の発展と持続性をつかさどる神ともなるでしょう。
お礼
人間の体を考えれば 仰る通りエントロピーの増大と 太陽光と生命の関係がある訳ですが。 人間も食物連鎖の頂点にいますので そういう意味では人間の体 動物としての人間は弱肉強食 の中にあるといえます。 ただ人間は体とは別の次元に精神がありますので これが人権在る人間としてどういう存在の仕方をするかが 問われます 性質としての精神と考えていますが「人間」と言うのはどちらかと言えば精神としての人間を 言うのではないかと思います。その人間の目的は 体が生きることを目的とするように 精神は存在する事を目的にしていると考えます。 色んな視点からのご説明 どうもありがとうございました。
- shubal
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太古には人間には共通の目的がありました。生きることです。それから宗教ですが、世界のすべての宗教もかつては一つでした。
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お礼
私は存在を獲得する事 存続する事 未来の存在を実現する事を人間の目的と思っておりますが その様な話が出ませんので なかでもなるほどと思える方をベストアンサーとしたいと思います 大変ありがとうございます(*^^)v