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正倉院文書の表と裏の両方を使う理由
正倉院文書の表と裏の両方を使う理由 正倉院文書が表と裏を両方使っていたとはよく聞きますが、それは何故ですか? 出来れば使用用途も教えていただきたいです。
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『正倉院文書が表と裏を両方使っていたとはよく聞きますが、それは何故ですか?』 それは、(1)紙寸法から使用可能であり、書きやすかったから (2)仏教徒の増加(写経人口の増加)でしょうか。当初は経文用紙も戸籍・収税帳簿類も計画的に生産されていたはずです。 少し詳しく述べてみます。 古代の紙は、朝廷と地方の役所に集められていました。朝廷で使用する紙は、朝廷内の役所である「図書寮」で、墨、筆などの筆記用具とともに、職人(下級雇人)によって自家製造されていました。又朝廷には、18歳程度の若い男性(中男)に進上されている税金の一種(中男作物・・租庸調とは異なる)として、特定の紙産地から、紙が納められていました。 地方の役所に納められた紙の用途は、戸籍の帳簿と課税や納税の帳簿(計帳・正税帳)として使用され、これらの帳簿の副本は、地方に保管され、正本は朝廷に送られ保管されました。これらの紙は原則として地方で製紙されていたようで、紙質に地域差が大きいという特徴があります。 では、朝廷内の製紙工房での生産能力ですが、どれぐらいあったかというと、当初、工場長1名と職人8人とされています。(後の平安時代には、工場長1名職人4名にリストラされています。合計5人で年間2万張り(2万枚)を生産していました。)・・・・たったそれだけという少ない人数ですが・・・・この図書寮の役目には、製紙技術者の養成という任務もあり、全国に職人を送り出していたようです。 これらの紙は、現代の紙に比べても厚く立派な紙だったようです。紙の厚さを定める単位に「坪量」という単位があり、g/m2(1m×1mの面積の紙の重量)で表されますが、古代の紙は現代の新聞紙やコピー用紙の2倍~2.5倍の坪量(80~120g/m2)がある分厚い紙だったのです。つまり、元々両面の使用が可能な紙として製造されていたのです。 これら戸籍や正税帳(巻物)の紙の幅は、経文の紙の幅・サイズより大きかったので、巻物をほぐして紙質の劣る部分を取り外し、経文用として幅を整え、継ぎ足して再利用したのです。だから、表の文書は途切れ途切れになっている例が多いのです。 簡単に再利用出来た理由の一つに、紙の「経時変化」があります。紙は漉かれてから1年以上経ると、水も吸い難く、墨の滲みが少なくなり、経文などを書き易くなります。つまり、細かい字がより書き易くなるのです。表紙は戸籍、裏は細かい字の経文という利用がなされていたようです。経文は定型文ですが、断簡となってしまっている戸籍や課税や納税の帳簿は、往時を知る貴重な資料になっていますね。 なお、寺社の文書の場合、表が経文で、裏が会計帳簿という例もあるようです。
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- fumkum
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当時紙は貴重品で、一度使用した紙も裏面を再度使っていたからです。正倉院の文書は戸籍の反故(ほご)紙-使用済みで不用となった紙-に書かれている例が多くあります。このような場合、裏面に書かれている文書(紙背文書と言います)も歴史的資料として重要視されます。 なお、裏面(最初に書かれた面)の使用用途ですが、朝廷の戸籍をはじめとする公文書が一般的です。紙は貴重品なので大量に使用することのできたのは朝廷関係だからです。ですから奈良時代の実力者であった長屋王の邸宅などから、紙の代わりに用いられたと考えられる木簡も発掘されたりしています。 参考にウィキペディアの該当ペ-ジのURLを確認してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E8%83%8C%E6%96%87%E6%9B%B8
- tanuki4u
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