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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜ人は被害者の立場でものを考えるのか?)

なぜ人は被害者の立場でものを考えるのか?

このQ&Aのポイント
  • 被害者の立場でものを考える理由や心理について解説します。
  • 事件やトラブルにおいて、被害者の視点だけでなく加害者や客観的な視点も考えることの重要性について考察します。
  • 被害者と加害者の立場によって、事件や問題の解釈や対応が大きく異なることについて考えます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

慰安婦問題で私はミスを犯しましたが、まさかテレビの報道番組で、捏造番組をやるとは思わなかったから。 テレビの報道番組は、真実しか報道しないと過信していたんです。 テレビ局が視聴者を故意にマインドコントロールし、韓国政府が日本政府に対して有利になれるように工作をしていたとは知らなかった。 この偽装工作には日本のある政党も関与していた。 党首にやったことを認めろと問いただしたとき、その党首は怒り狂い取材陣を蹴散らした。 自分が関与していなければ、このようなことはしないわけで、関与を認めたってことですね。 被害者の方が被害を受けたということで、同情を得られるじゃないですか。 有利にものごとが運べる。 例えばオウムの石井久子、日本に対して攻撃をしている団体の幹部の1人だったわけですが、警察の強制捜査が入ったとき、警察を妨害しようとして、押し返された。 すると「今押しましたね! みなさん 警察は私に暴行を加えました こんなことがあっていいのでしょうか」と被害者であると主張をして有利になろうとしたバカ女。 自分たちのやってきた攻撃は棚にあげて、公務執行を妨害した自分のことも棚にあげて、押された うわーーん と嘘泣きして、自分を被害者にしたてあげ、有利になれると思ったバカ女。 慰安婦にさせられ、日本兵に刃物で脅されレイプされたと涙からに訴えた老女。 この人は当時、その場所に住んでいなかったことが調査の結果発覚。 嘘をついて涙ながらの迫真の演技をして人を騙した理由は金。 慰安婦だったと名乗り出たらお金がもらえると聞いて便乗した犯行。 まさか、日本の人がやってきて、事実を調査されて嘘がばれるなど思いもしなかったでしょうね。 で、本当に慰安婦だった人の話を聞くと、どうして今まで被害者だと訴えていなかったのかわかった。 同意の元だったから。 同意ではないが確かに慰安婦として突然連れ去られた人もいた。 どの人にとっては連れ去った人達は日本軍だと思ったでしょうけど、実際は韓国人の売春業者だった。 親が娘を業者に売っていた。 本人はまさか親に売られたなど知るよしもないわけで、日本軍に化けた業者だったなんて知らないわけです。 しかも、丁重に扱われて衛生管理も行き届いたものだったので、暴行などは無かった。 そういうわけで、長年慰安婦だった人は、被害者だと名乗り出なかったわけです。 誰も被害者だと思っていかなったのに、韓国のある団体は韓国の政治を牛耳ろうとした。 そのために担ぎ出されたのが、従軍慰安婦問題。 でっちあげをまことしやかに真実にするため、金をばら撒いて、被害者を作り出したわけです。 金目当てに人々は群がり、それを証拠として政治家は自国民を騙し欺いた。 韓国の国民が本当の被害者だったわけです。 ただし、韓国の人は自分が政治家に騙されたという意識は無いので、被害者という自覚は無いんです。 だから国民は政治家に対して自分たちは被害者だと言えない。 実際政治化に騙されて、資産を奪われたわけじゃないので、実質被害を受けていない以上、政治家に賠償を求める訴訟は起こせない。 日本が韓国のでっちあげを信じて賠償金を支払っていれば、偽装によるものなので、賠償金の倍返しくらいは慰謝料も含めて求めていいと思います。 日本って罪を認める発言を過去の主張はしたと思いますが、それを認めた証拠としてお金払ってませよね? だから実質被害は受けていないので、賠償金の請求はせきない。

その他の回答 (6)

  • AXIS_
  • ベストアンサー率12% (9/71)
回答No.7

 あともう一点付け加えるなら、メディアはセンセーショナルなことを報道するのが仕事ですので。

  • AXIS_
  • ベストアンサー率12% (9/71)
回答No.5

 これは簡単ですね。  加害者は「悪いことをした人」であり、被害者は「悪いことをされた人」だからです。  「悪いことをした人」の立場に立って考える必要はないと考えているからです。

  • Alkindus
  • ベストアンサー率18% (10/53)
回答No.4

普通の人は被害者になる可能性が高い。

noname#123390
noname#123390
回答No.3

>殺人事件がおこったら、誰もが被害者の立場で考えるのではないだろうか。 そんなことはありませんよ。加害者が特殊な人間、被害者が一般人という色づけをするマスコミのパターン的な傾向があって、そのために被害者により身近な感情を抱くということはあるかもしれませんが、これは間違いであると私などは思っています。人間は加害者にもなり得るし、被害者にもなるという視点が重要です。多くの心ある人はそういう鳥瞰的な視点で報道に接していると思います。 >しかし、被害者の立場だけではなく、加害者の立場か、あるいは少なくとも客観的に 物事を考えなければ、事件の真相は見えてこないのではないのか。 なぜ、加害者は殺人を犯す必要があったのか。これは結構大事なことであろうと---。 その通りです。動機追求は捜査の常道です。マスコミだって興味本位で書きたてることはいつものことです。 >加害者の利益や、被害者の不利益になる場合があるので、それを避けるためだと思う。 もちろん今後の捜査や立件にさしさわりがあることやら被害者のプライバシイに関することはふれないと思いますが当然ですね。 >最初から旧日本軍が加害者で、韓国の慰安婦が被害者だと構図ができあがっている。そのため、旧日本軍の強制連行はあったと--。 旧日本軍が加害者で、韓国の慰安婦が被害者だという構図が出来上がっているといわれるのは貴方の偏見でしょう。 >と、いうことでなぜ人は被害者の立場で、ものを考えるのでしょうか? このあたりの論旨がよくわからないのですが、この流れからひとつ考えられることは、 貴方が被害者意識を持っているということの現われではないのでしょうか。 ご参考になれば。

回答No.2

>>しかし、被害者の立場だけではなく、加害者の立場か、あるいは少なくとも客観的に物事を考えなければ、事件の真相は見えてこないのではないのか。  事件とは無関係な一般人にとって、客観的に考える必要性がないと思います。 >>なぜ、加害者は殺人を犯す必要があったのか。これは結構大事なことであろうと思うが、報道ではこの部分の詳細にはふれない。金銭トラブルとか男女関係のトラブルとか、抽象的なことしか報道はしない。それは、加害者の利益や、被害者の不利益になる場合があるので、それを避けるためだと思う。  一般人は、事件の詳細な情報を求めてはいないからです。求められていない報道を繰り返せば、その報道機関は倒産します。 >>また先ほど歴史カテをのぞいていたら、「従軍慰安婦」の問題があった。この問題は最初から旧日本軍が加害者で、韓国の慰安婦が被害者だと構図ができあがっている。そのため、旧日本軍の強制連行はあったと、わけはわからないが、はなから決めてかかる人も多いことだろう。  私は、「従軍慰安婦」について詳しいことは知りません。同様に、「シベリア抑留」についても詳しいことは知りません。しかし、シベリア抑留された人たちは、ロシア(ソ連)を訴えているでしょうか。シベリア抑留の加害者は確かにロシア(ソ連)だと思いますが、その責任は自国民を守れなかった日本軍、ひいては日本国民全体にあるとはいえないでしょうか。「従軍慰安婦」にも同様のことは言えるのではないでしょうか。状況によって、責任の所在は変わると思います。 >>と、いうことでなぜ人は被害者の立場で、ものを考えるのでしょうか?  No1さんと同様です。それが世論だからです。間違った対応をすれば、社会的な死を招く可能性があるからです。

  • zakire
  • ベストアンサー率37% (104/276)
回答No.1

従軍間慰安婦の問題に限っていえば、被害者がいる以上、誰が加害者か定めなくてはならないということに尽きると思います。 当時の社会情勢を考えれば、特定の誰かにその責を負わせることなどできないでしょう。しかし、被害を受けている人がいる以上、誰かを加害者として定めなくてはなりません。法治国家としての体裁を整えなくてはならないのであれば、そうした事態に陥らせた国家体制に責を求むる他はなかったであろうと推測します。 加害者の立場に立てないかという問題ですが、個人の立場で物言う場合はいいでしょう。加藤某やら、市橋君やら、他人とは思えない行動を取ってしまった人の話を耳にします。古いところでは宮崎君とかね。だからといって彼らを擁護していいものではありません。 越えるべきでない一線を越えてしまった人に対して、理解できると公に発言したらどんな事態が起きると思いますか。よくブログ炎上なんて話を耳にしますが、それどころではありません。関係者の責任問題に発展しかねないことになるのではありませんか?真相の究明を仰っておられますが、少なくともマスコミにそれを求めるのは酷だと思います。 してはならないことをしてしまった人には、わからない、理解できないと言っておく必要があるのです。何故ならば、結果に対する原因を持つ人に対して、当該の行動を取るに至らせる心理的機序を与える可能性があるからです。つまり、逃げ道を求める人の前に簡単な、しかし決して行ってはならない道を提示してしまうことになる。最後の一線を越える機会を与えてしまう危険というものは無視できるものではないように思います。 ひょっとしたら真実など何処にもないのかもしれませんよ。結果として現れたこと以外に第三者が口を挟んでいいものかどうか。私情のもつれなんかの場合、結局誰が悪かったのかわからないなんてこともありますからね。結果として誰が一番痛い思いをしたかで責任の所在を決めるというのは、そこそこ公平な判断方法だと思うんですがいかがでしょうか。

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