• 締切済み

モーゼの十戒と「人の道」十ヶ条

  モーゼの十戒と「人の道」十ヶ条を並べてみた。       モーゼの十戒 1.主が唯一の神であること 2.偶像を作ってはならないこと 3.神の名を徒らに取り上げてはならないこと 4.安息日を守ること 5.父母を敬うこと 6.殺人をしてはいけないこと 7.姦淫をしてはいけないこと 8.盗んではいけないこと 9.偽証してはいけないこと 10.隣人の家をむさぼってはいけないこと 一方、       「人の道」 十ヶ条 一 アルケーが唯一絶対の神であること 二 天国、地獄を語らぬこと 三 正義に味方し、死を恐れぬこと 四 変化流転は万物の常なることを知ること 五 過去にも未来にも永遠無限なる宇宙を知ること 六 かたちや儀式あるいは権威に捕らわれぬこと 七 己に自惚れぬこと、また己を卑しまぬこと 八 人に分け与えること 九 色情をいだかぬこと 十 食物に拘らぬこと 果たしてどちらがより真っ当であると言えよーか、 どちらがより真理に近いと言えよーか。  

みんなの回答

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.5

ちょっとざっくりしすぎだったので補足・ 絶対に万人にとって正しいものはそんなに多くない。 例え間違いがあっても何かを生み出して行く。 もちろん問題があったら修正する。 修正出来ないものももちろんあるがそれは生産物が間違っているのではなくて人間が間違っている。 そう言うものは生産性がある。 あなたの議論は数回以上されていますが、あなたに取って有益な何かは生まれましたでしょうか。 いずれにせよ、正しいだけでは生産はされないのです。 あくまで、生産性という点だけの話で優劣の話ではありません。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.4

「30年後のキャッツ・アイ」は、見た。

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.3

自分の神が「唯一絶対である」と思うのは自惚れではないでしょうかね。 別に比べなくても、どっちもそれなりに真っ当でいいんじゃないですかね。 そこで争ったり真理に近いかどうかというのは形とかに捕らわれているのとは違うのでしょうか。 私は間違っていようが生産性のあるものの方が価値があると思います。

hitonomichi23
質問者

お礼

  >私は間違っていようが生産性のあるものの方が価値があると思います。 少し考えてみてくれ給え。 間違ったものを大量生産したらこの世はどーなる。  

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.2

>三 正義に味方し、死を恐れぬこと 正義の定義付がされていませんからいかように恣意的な解釈がでいる、という致命的な欠陥を含む文章です。 というわけで、十ヶ条に足りなくなりますがどうしましょう。

hitonomichi23
質問者

お礼

  >>三 正義に味方し、死を恐れぬこと >正義の定義付がされていませんからいかように恣意的な解釈がでいる、という致命的な欠陥を含む文章です。 次のように問うて見ましょう。 人を殺すことは正義に反するか → 正義に反する。 姦淫することは正義に反するか → 正義に反する。 盗むことは正義に反するか → 正義に反する。 偽ることは正義に反するか → 正義に反する。 隣人の家をむさぼることは正義に反するか → 正義に反する。 つまりモーゼの十戒における、 6.殺人をしてはいけないこと 7.姦淫をしてはいけないこと 8.盗んではいけないこと 9.偽証してはいけないこと 10.隣人の家をむさぼってはいけないこと は全て正義に反することであるから、「人の道」十ヶ条においてはこれを、「三 正義に味方し、死を恐れぬこと」と強く説いているわけです。 納得できましたでしょーか。  

回答No.1

仏教の十重禁戒を学ばれたほうが、悩まずにすみますよ。自分の心に向き合うのだから超リアルです。絶対神さんたちのように浮いた話はしません。

関連するQ&A